匠雅音の家族についてのブックレビュー   ジョアンナの愛し方−男性があなたに夢中になる203の方法|オリビア・セント クレア

ジョアンナの愛し方
男性があなたに夢中になる203の方法
お奨度:

著者:オリビア・セント クレア
飛鳥新社、1992(絶版)小学館文庫 2001年 ¥381−

著者の略歴−1962年、ニューヨーク生まれ。雑誌編集者。「セックスは、男性だけが楽しめばそれでいいというものではなく、2人で楽しみたいものである」という考えをもとに、この本を執筆した。
 本書を店頭で見たときは、出版されなければならない本が、やっと上梓された感じだった。
フェミニズムの雌叫びに促されて、女性の台頭が続き、
女性が社会的に元気なれば、本書が語ることは必然である。
アメリカでの出版も1992年であり、同じ年にわが国でも上梓されているのは珍しい。

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 ベッドマナーを語る本の多くは、男性がいかに女性を喜ばせるか、という視点で書かれている。
つまり男性が主体、女性は客体である。
もちろん、それはそれで意味があることだが、その視点は男性支配そのものである。
女性の台頭は男性からの働きかけだけを許すわけはない。
女性も男性への働きかけをしたいだろうし、すべきである。
今や女性も主体なのである。

 セックスは関係性の確認だとすれば、男女両方からの働きかけが必要なことは言うを待たない。
わが国のフェミニズムは性愛を語ることが少なく、
フェミニストが自分の目でセックスを語ることは絶無である。

本書の腰巻きには、

 あなたは、まちがった愛し方をしていませんか?
 平凡なジョアンナが、あんなにも愛されるのはなぜ? 
 外見を磨くだけでは得られない、男性から愛される愛し方。
 ジョアンナの秘密をあなたにソッと教えます。

と書かれているが、編集者は本書の意味がよく判っていないようだ。
たしかに本書には、冒頭にジョアンナという名前が登場するが、それは導入のためであって、全体を貫く主人公ではない。むしろ、

「からだの中で一番エロチックな場所は、頭の中である」p14

という言葉が引用されていることに、気づくべきである。
ベッドでのテクニックを語りながら、相手を思いやる想像力こそ愛情を支える基本だと、
本書は実に真面目な姿勢に終始する。
女性が男性に身体を与えるとか、男性が奪うとか、といった一方的な関係は絶無で、
本書は常に2人の関係が意識されている。
思いやる気持ちのうえにセックスがあって、セックスこそ2人の関係をより親密にする最高の行為だというのである。
 
 『急にあなたのからだが欲しくなった。
だから何も言わずに、
 少しカーブした繊細でスベスベしたペニスに舌を滑らせた。
 ペニスはピンとはっていた。

 私のからだも震えだし、息をするのがつらくなった』
 「愛の快感」マーレン・セル編
 
 フェミニズムは女性も人間だと主張するのだ。
男性に性欲あれば、女性にだって性欲はある。
男性だけがそれを表すことが許されて、女性が表すことが許されないことはない。
わが国のフェミニストは、自分の身体の快感は語っても、関係性を語ろうとはしない。

 斉藤綾子氏や北原みのり氏などは自分の性愛を語るが、
彼女たちは自分の快感をいかにたくさん獲得するか、という立場から抜けてない。
快感を語っても、男性への働きかけを語ることが実に少ない。
それでは男性が自分の快感のために性交するのと同じである。
結局、女性の語る関係性は、被害者としての言葉だけである。

 本書は男性との関係性において、相手を思いやりながら、しかもとても積極的である。
積極的に男性を愛する姿勢が、男性に愛されるのであって、それがベッドでのテクニックに表れるに過ぎない。
性愛に関しては、女性サイドから書かれた本が少ないが、本書は愛する男女の必読文献だろう。
冒頭に、

 この本の内容は、彼には絶対に見せないほうがいいでしょう。覚えたテクニックは自然に、自発的に、無意識のうちにあらわれてくるのが理想的だからです。P7

と書かれている。
それを肯定はするが、2人で読んでもまったく問題はない。
むしろ本書を読むことが、相手への思いやりとして伝わるから、親愛感はおおいに増すだろう。
本書の個々の表現や、一つ一つのベッドテクニックにこだわらず、
本書全体が何を言っているのかを読むことである。

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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002


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