著者の略歴−1945年茨城県に生まれる。1969年千葉大学文理学部卒業.同年日本経済新聞社入社, 94年より編集局生活家庭部長,97年より編集局次長兼文化部長,99年より生活家庭部編集委員、現在−日本経済新聞社編集委員兼論説委員。著書−『男の座標軸一企業から家庭・社会へ』 『男と女 変わる力学』(以上岩波新書)『明日の家族』(編著,中央法規出版)『変容する男性社会』(共著,新曜社) 男女が平等化するに従って、男女間で摩擦が発生している、と本書は述べる。 <キャリア形成というの名の幻想>という第1章から始まる本書は、 総合職女性はなぜ職場を去ったか、と問題設定する。 総合職女性の離職より、一般職女性の離職のほうが、はるかに多いことは閑却されている。 筆者の視野は狭くて古い。 56歳の新聞記者が書いたものとしては、本書程度の時代認識でも仕方ないのかもしれない。
筆者は、男女平等と個人化は同時追求のものであり、男女平等を欠いた個人化はありえないという。 しかし、個人化とは男女平等を包括しており、個人化といったときは、男女平等を持ち出すまでもない。 筆者は、なぜ男女平等なのか、なぜ個人化なのかが判っておらず、男女平等を当為命題として繰り返すだけである。 男女が平等でなければならず、平等が男女にとって幸せだ、という思いこみから論が出発する。 なぜ男女は平等ではなかったのか、なぜ現代社会では平等になろうとするのかといった、根本的な原因を考えずに、男女平等を叫べば、それはもう宗教でしかない。 筆者は自分の信じる信念、つまり男女は平等であるべきだという宗教を信じているに過ぎない。 だから、現状を総花的に述べるだけになり、現状への批判が山のようになってしまう。 男女が平等であるのは、情報社会で認められる理念であり、 肉体労働が優位価値である社会では、むしろ男女は不平等であって当然である。 肉体的腕力が有意な社会では、男女が平等になったら社会が維持できない。 肉体的な非力さが、労働のうえで弱点とはならない情報社会でのみ、男女平等が必要であり、実現されなければならない。 人間が正当な評価を受けない状態が続くと、人間は社会を維持する活力を失ってしまう。 産業が規定する生き方を無視すると、その社会は再生力を失って存続できない。 当該の社会の産業構造に、もっとも適した生き方が残ってきた。 肉体支配の時代には、肉体的な強者が優位し、頭脳支配の時代には、頭脳的強者を優位とするに過ぎない。 だから情報社会化しながら、肉体の強さが基準である男女別対応を続けると、その社会は活力を失い成長が止まる。 社会の成長を持続させるためには、肉体優位から頭脳優位に組み替えなければ、情報社会は生き残れない。 頭脳の序列が、男女を問わないに過ぎない。 この認識がないから、本書は表面的な記述に終わっている。 日本テキサス・インスツルメンツは、女性を男性と同様に労働力化した会社だという。 その責任者だった取締役の坂本幸雄氏は、筆者の質問に答えて次のようにいっている。 筆者−フィーメイル・プログラムをスタートさせたきっかけは何だったのでしょうか。 坂本−日本の旧財閥系企業などに比べると、外資系の場合、人材不足は否めません。優秀なら男も女も関係なく抜 擢しなければ、企業間の競争に勝ち抜けない。フィーメイル・プログラムは、そんな、やむにやまれぬ事情から出発 したもので、決して私がフェミニスト云々といった次元の問題ではないんです。あくまで経営上の問題です。P42
男女という区別ではなく、頭脳が優秀か否かという区別が、企業にとっての選別である。 現実の女性は、イデオロギーで生きているわけではない。 だから、普通に生きる多くの女性は、男女の不平等を認めて現状維持的である。 坂本氏の発言を聞いても、筆者は男女平等信仰という、イデオロギーの呪縛から逃れることができない。 そして、男女平等を叫び続ける。 「結果の平等」は不合理、不平等な顔も持 っているけれど、「機会の平等」という″武器″だけでも男女平等の達成はむずかしい。機会の平等とは、競争に参加で きる人たちにとっての平等という意味で、強者の論理なのだと私は思っている。女性は家庭維持責任の多 くを負っている分、必ずしも機会の平等を享受できるわけではないことも理解すべきだろう。P122 男女平等という概念は、近代社会のものであり、 近代社会は強者の論理が開いたのである。 貴族という支配者を打ち倒した庶民が、古い支配者に代わって支配者になった。 より強い支配者が庶民だった。 しかし、庶民の数は多い。結果として、生活条件が底上げされてきた。 歴史はいつでも強者の論理が支配しており、弱者の論理で社会が動いたら、その社会は滅亡に向かう。 男女の平等化とは、決して弱者の論理ではなく、より強くなるための論理である。 だから、男女平等は必ずしも女性を幸福にするとは限らない。 優秀な女性は幸福になる可能性が高くなったが、優秀ではない女性はより不幸になるだろう。 同時に優秀な男性はより幸福になり、優秀ではない男性は不幸になる。 それだけのことだ。 男女平等が、自動的に幸せをもたらすのではない。筆者は牛尾次朗氏に、次のような愚かな質問をしている。 しかし、牛尾氏の返答は鋭く、筆者の問いを否定する。 筆者−仕事と家事・育児の両立が可能な職場への変身、すなわちファミリーフレンドリー企業への変身が、今ほど企業に求められている時代はないと思います。だが、変身は可能なのでしょうか。 牛尾−ファミリーフレンドリー企業への変身を役所が提唱する場合、優先順位としては競争力の維持とい う課題よりも先に、企業のファミリーフレンドリー化を位置づけるような雰囲気を感じるが、それだったら 不可能な話です。マーケットのグローバル化が進むなかにあって、競争力をいかに維持するか は企業活動にとっての生命線なのですから。それを二番手、三番手に置くわけにはいかない。こうした議論は、かつての企業一家主義を前提にしているのではないですか。 サラリーマンの全人生、あるいはそこまで行かなくても人生の7割、8割を会社に預けるよう な時代なら、ファミリーフレンドリーといった議論も意味を持つでしょう。だが今や若い世代では 、定年まで同じ会社にいようという人は少数派になってしまった。彼らにとっての企業は能力を発揮する舞台 であり、一方、企業はその舞台、すなわち職場を提供する機関でしかなくなろうとしています。ファミリーフレンドリーに関 する議論が有効なのは、労働と福祉の機能を併せ持つイエ社会型の企業形態のときであって、それが崩れさろうという今、こうした議論は有効性を失いかねません。P264 筆者は、一対の男女がつくる家族が永遠に変わらないと考えているから、こんな質問がでるのである。 男女が平等ということは、核家族が崩壊し単家族化することに他ならない。 男女平等が、核家族を崩壊させることが理解できないので、 筆者は男女平等を安心して信仰できるのだ。
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