匠雅音の家族についてのブックレビュー    男女摩擦|鹿嶋敬

男女摩擦 お奨度:

著者:鹿嶋敬(かしま たかし)岩波書店、2000年  ¥1800

著者の略歴−1945年茨城県に生まれる。1969年千葉大学文理学部卒業.同年日本経済新聞社入社, 94年より編集局生活家庭部長,97年より編集局次長兼文化部長,99年より生活家庭部編集委員、現在−日本経済新聞社編集委員兼論説委員。著書−『男の座標軸一企業から家庭・社会へ』 『男と女 変わる力学』(以上岩波新書)『明日の家族』(編著,中央法規出版)『変容する男性社会』(共著,新曜社)

 男女が平等化するに従って、男女間で摩擦が発生している、と本書は述べる。
<キャリア形成というの名の幻想>という第1章から始まる本書は、
総合職女性はなぜ職場を去ったか、と問題設定する。
総合職女性の離職より、一般職女性の離職のほうが、はるかに多いことは閑却されている。
筆者の視野は狭くて古い。
56歳の新聞記者が書いたものとしては、本書程度の時代認識でも仕方ないのかもしれない。
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 筆者は、男女平等と個人化は同時追求のものであり、男女平等を欠いた個人化はありえないという。
しかし、個人化とは男女平等を包括しており、個人化といったときは、男女平等を持ち出すまでもない。
 筆者は、なぜ男女平等なのか、なぜ個人化なのかが判っておらず、男女平等を当為命題として繰り返すだけである。
男女が平等でなければならず、平等が男女にとって幸せだ、という思いこみから論が出発する。

 なぜ男女は平等ではなかったのか、なぜ現代社会では平等になろうとするのかといった、根本的な原因を考えずに、男女平等を叫べば、それはもう宗教でしかない。

 筆者は自分の信じる信念、つまり男女は平等であるべきだという宗教を信じているに過ぎない。
だから、現状を総花的に述べるだけになり、現状への批判が山のようになってしまう。
男女が平等であるのは、情報社会で認められる理念であり、
肉体労働が優位価値である社会では、むしろ男女は不平等であって当然である。
肉体的腕力が有意な社会では、男女が平等になったら社会が維持できない。
肉体的な非力さが、労働のうえで弱点とはならない情報社会でのみ、男女平等が必要であり、実現されなければならない。
人間が正当な評価を受けない状態が続くと、人間は社会を維持する活力を失ってしまう。
産業が規定する生き方を無視すると、その社会は再生力を失って存続できない。
当該の社会の産業構造に、もっとも適した生き方が残ってきた。
肉体支配の時代には、肉体的な強者が優位し、頭脳支配の時代には、頭脳的強者を優位とするに過ぎない。
だから情報社会化しながら、肉体の強さが基準である男女別対応を続けると、その社会は活力を失い成長が止まる。

 社会の成長を持続させるためには、肉体優位から頭脳優位に組み替えなければ、情報社会は生き残れない。
頭脳の序列が、男女を問わないに過ぎない。
この認識がないから、本書は表面的な記述に終わっている。
日本テキサス・インスツルメンツは、女性を男性と同様に労働力化した会社だという。
その責任者だった取締役の坂本幸雄氏は、筆者の質問に答えて次のようにいっている。

筆者−フィーメイル・プログラムをスタートさせたきっかけは何だったのでしょうか。
坂本−日本の旧財閥系企業などに比べると、外資系の場合、人材不足は否めません。優秀なら男も女も関係なく抜 擢しなければ、企業間の競争に勝ち抜けない。フィーメイル・プログラムは、そんな、やむにやまれぬ事情から出発 したもので、決して私がフェミニスト云々といった次元の問題ではないんです。あくまで経営上の問題です。P42


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 生き残りに必死な経営者こそ、なぜ女性を戦力化しなければならないか知っている。
男女という区別ではなく、頭脳が優秀か否かという区別が、企業にとっての選別である。
現実の女性は、イデオロギーで生きているわけではない。
だから、普通に生きる多くの女性は、男女の不平等を認めて現状維持的である。
坂本氏の発言を聞いても、筆者は男女平等信仰という、イデオロギーの呪縛から逃れることができない。

そして、男女平等を叫び続ける。

 「結果の平等」は不合理、不平等な顔も持 っているけれど、「機会の平等」という″武器″だけでも男女平等の達成はむずかしい。機会の平等とは、競争に参加で きる人たちにとっての平等という意味で、強者の論理なのだと私は思っている。女性は家庭維持責任の多 くを負っている分、必ずしも機会の平等を享受できるわけではないことも理解すべきだろう。P122

 男女平等という概念は、近代社会のものであり、
近代社会は強者の論理が開いたのである。
貴族という支配者を打ち倒した庶民が、古い支配者に代わって支配者になった。
より強い支配者が庶民だった。
しかし、庶民の数は多い。結果として、生活条件が底上げされてきた。
歴史はいつでも強者の論理が支配しており、弱者の論理で社会が動いたら、その社会は滅亡に向かう。

 男女の平等化とは、決して弱者の論理ではなく、より強くなるための論理である。
だから、男女平等は必ずしも女性を幸福にするとは限らない。
優秀な女性は幸福になる可能性が高くなったが、優秀ではない女性はより不幸になるだろう。
同時に優秀な男性はより幸福になり、優秀ではない男性は不幸になる。
それだけのことだ。
男女平等が、自動的に幸せをもたらすのではない。筆者は牛尾次朗氏に、次のような愚かな質問をしている。

しかし、牛尾氏の返答は鋭く、筆者の問いを否定する。

筆者−仕事と家事・育児の両立が可能な職場への変身、すなわちファミリーフレンドリー企業への変身が、今ほど企業に求められている時代はないと思います。だが、変身は可能なのでしょうか。
牛尾−ファミリーフレンドリー企業への変身を役所が提唱する場合、優先順位としては競争力の維持とい う課題よりも先に、企業のファミリーフレンドリー化を位置づけるような雰囲気を感じ
るが、それだったら 不可能な話です。マーケットのグローバル化が進むなかにあって、競争力をいかに維持するか は企業活動にとっての生命線なのですから。それを二番手、三番手に置くわけにはいかない。こうした議論は、かつての企業一家主義を前提にしているのではないですか。 サラリーマンの全人生、あるいはそこまで行かなくても人生の7割、8割を会社に預けるよう な時代なら、ファミリーフレンドリーといった議論も意味を持つでしょう。だが今や若い世代では 、定年まで同じ会社にいようという人は少数派になってしまった。彼らにとっての企業は能力を発揮する舞台 であり、一方、企業はその舞台、すなわち職場を提供する機関でしかなくなろうとしています。ファミリーフレンドリーに関 する議論が有効なのは、労働と福祉の機能を併せ持つイエ社会型の企業形態のときであって、それが崩れさろうという今、こうした議論は有効性を失いかねません。P264


 筆者は、一対の男女がつくる家族が永遠に変わらないと考えているから、こんな質問がでるのである。
男女が平等ということは、核家族が崩壊し単家族化することに他ならない。
男女平等が、核家族を崩壊させることが理解できないので、
筆者は男女平等を安心して信仰できるのだ。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫、2008

下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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