著者の略歴−慶應義塾大学経済学部准教授。1964年、米国生まれ。オベリン大学(oberlin College)卒業。京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。論文に、「近代家族と家族感情」(稲垣恭子編『子ども・学校・社会:教育と文化の社会学』世界思想社、2006年)、「純潔の構造:聖と俗としての恋愛」(『ソシオロジ』150号、2004年)、「スポーツ・エリート・ハビトウス」(共著、杉本厚夫編『体育教育を学ぶ人のために』世界思想社、2001年)などがある。 文化、歴史、比較、そして、理論的アプローチをとおして、 純潔をキー概念にしながら、近代におけるロマンティック・ラブと男女交際を考察している。 アメリカの近代との比較しながら、恋愛のあり方、ロマンティック・ラブと、といったことから、 近代家族を考えて興味深い。
戦前の農村部では、夜這いや若者宿などがあった。 セックスを行うのは、既婚者だけではなかったし、愛情とも絶対的な関係があるとはいえなかった。 つまり、前近代にあっては、結婚できる人間は限られていたし、 人口のコントロールは個人的なことではなく、出生は村落共同体の重要関心事だった。 戦前までの庶民層では、結婚とセックスは一致しておらず、 男女が馴染みになることは、そのままセックスをともなっていた。 セックスは愛情という言葉とも、いくらかの距離があり、 セックスと愛情には近似的な関係はあるものの、直接的な関係はなかった。 戦後の恋愛結婚では、結婚してはじめてセックスするという前提だった。 そして、人となりをよく知ってから結婚する手はずだった。 しかし、結婚前にはセックスが制限されていたので、人となりを知るには、若干もどかしいものがあった。 恋愛結婚といいながら、セックス抜きの恋愛は、欺瞞といっても良いものだった、と思う。 婚前交渉なる言葉がはやり、結婚前の性交渉は是か非かといった論争が、つい最近まであった。 つまり、結婚してはじめてセックスすべきであり、 それまでは肉体的な交わりをしてはいけない、というのが戦後の恋愛結婚の掟だった。 戦後、とりわけ正田美智子さんの結婚以降、普及しはじめた恋愛結婚は、 我が国の男女関係や結婚観に大きな変化をもたらした。 しかし、筆者は次のように言う。
女性の意識としては、女性が純潔を自ら求めたのであろうが、 その背後には、核家族の成立があることを見過ごすべきではない。 核家族にあっては、女性は専業主婦となる以外には生きていく道がなく、純潔だけが男性への対抗財産だった。 稼ぐ手段を剥奪された女性は、結婚相手の子供を出産することにだけ、存在意義をもったと言っても良い。 核家族をつくる恋愛結婚では、純潔を保つことによって、結婚相手以外の子供は妊娠していないことを証明した。 核家族の成立は、男性だけの稼ぎで、社会的な生産がまかなえる時代になったことの証だった。 筆者は「機械的な」認識論的アプローチを機能主義として批判している。 たしかに、人間の動機が、時代の変化と構造的に連動しているという主張は、 マルクス主義的な発想であり、限界があるのは理解する。 しかし、文化的なアプローチは、何でもありの論になってしまうのではないだろうか。 ロマンティック・ラブだけが結婚の動機だというのは、 アメリカでは言えるのかも知れないが、我が国ではどうだろうか。 我が国では、もっと打算的であるのは、いつの時代でも言えるのではないだろうか。 本書は興味深い指摘をしてはいるが、文化相対論でしかないように感じる。 家内性の核として、夫婦愛と親子愛とをもちだし、近代家族の解体後に触れている。 アメリカでは近代家族の崩壊をみたのは、1960年代の終わり頃から70年代にかけてであったのに対して、シングル・マザーの少なさや性別役割分業体制の根強さなど、日本型近代家族がゆるぎつつあることは明らかであるとはいえ、まだ崩壊しているとは言い切れない。比較の観点からみれば、アメリカでみられた近代家族の徹底的崩壊と、日本でみられる近代家族の執拗な残存との対比の背景にある要因として、家内性の核のあり方があるであろう。P168 と言っているが、夫婦愛と親子愛をもちだすまでもなく、たんに近代化の早さの違いではないだろうか。 近代化とは雁行的に進むものだとすれば、アメリカと我が国に違いがあっても、何の不思議もない。 むしろ、筆者に問いたいのは、近代家族の崩壊後には、どんな家族が出現しており、それを何と呼ぶかである。 (2008.4.15)
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