匠雅音の家族についてのブックレビュー    おとこごろし−女における妖艶の研究|高橋 鐵

おとこごろし
女における妖艶の研究
お奨度:

著者:高橋 鐵(たかはし てつ)−河出文庫、1992年  ¥440−

著者の略歴−1907年東京都生まれ。日大心理学科在学中からフロイトに傾注。戦後『性典研究』『女体の数字』などを刊行し、セクソロジーの領域を開拓する。日本生活心理学会を創設するが、わいせつ図画配布で告発され、先駆者の受難を体験。代表作に「あるす・あまとりあ」三部作、『人性記』『日本の神話』等がある。1971年没。
 戦前からフロイトに傾注し、性的な世界を探った先人である。
筆者にはたくさんの著作があるが、本書は歴史に名をのこす女性たちを、性的な面から見たものである。
今から読むと、相当に強引なところがある。
フロイトを引用しながら、女性を性欲のままに生きると見ていた節も感じられて、いささか穏やかではない。
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おとこごろし (河出文庫)

 フロイトと同様に、筆者には女性コンプレックスがあった、とすら感じさせる。
しかし、筆者の活動した時代には、これでも本質を追究しようとしたのだろう。
筆者のおこした「日本生活心理学会」には、たくさんの有名人が集まっていたのは、知る人ぞしるところである。

 本書で扱われているのは、タイトルからも判るように、男性の運命を大きく左右した女性たちである。
彼女たちは、毒婦、姦婦、妖婦などなど、さまざまに呼ばれているが、女性の地位が低かった時代に、大きく生きようとした女性たちである。

 51才のシーザーに対したのは20才のクレオパトラで、彼女はエジプトの運命を変えた。
53才のアントニオには、39才のクレオパトラである。
ここで彼女の命脈は尽きるのだが、彼女の運命また数奇なものがあった。
年齢の違う男性との関係を、筆者は次のように言う。
 
 女性は性器の形態と性心理の上で、去勢されたような劣等感を心の底に潜めている者が多い。それが、成熟後の性欲満足の欲求と共に多くの男をとらえたり、あるいは、はるかに卓越した男を得たりして、自分の欠点「成り成りて成り足らざる我」を補おうという無意識動機になる者が多いのだ。P26

 これだけを読むと、とんでもないことを言っているようだが、これは筆者の独創ではない。
女性が去勢心理をもつとは、フロイトの言葉であり、「成りて…」のなかは古事記からの引用である。
フロイトに傾注していれば、ごく自然のうちにでてくる記述である。
しかし、筆者の時代ならいざ知らず、わが国では、男性優越主義者のフロイトを未だに祭り上げている。
医学の世界では、すでに誰もフロイトを使っていないと言うのに、文化系では未だにフロイトを奉っている。
まったく不思議な話である。

 本書では、何人かの女性を登場させているが、いずれも悪し様な言われ方である。
日本美人の代表とされる小野小町も例外ではない。
彼女には膣穴がなかったという俗説こそ退けるが、精神分析学では、こういう女性(小野小町のこと)の異常性を「ナルチスムス型の冷感症」と断じている。

 ヒッチマン・ペルグラー両博士定義によれば「根底に於て自分自身のみを愛し、他を愛そうとは思わず、むしろ自分自身が愛されることばかり考えている女性」で「彼女たちにとっては、男に求愛されることは、自分の自惚が増すことに過ぎない」のだ。
 つまり、フロイドのいう「自己愛型の女」で、ナルチサスの如く自分の美にのみ酔い、男たちが悶えればかえって優越感を感じる。だから、自分が男に征服されることは甚だしい屈辱で、そのために、精神的にも「献身的な愛」などは与えたくない。また、肉体的にも性的高潮(オルガスムス)などは与えられたくないようになる。P53


 小野小町が仁明帝に愛されたことも、自己愛の確認だったというわけである。
こういうタイプの女性は、相手の男性が弱いと、とんでもない破倫をやるという。
彼女のような女性は、おとこに組み敷かれるのを避け、加虐的に悩ますが、生理的な欲情は強くないと言う。
やはり、フロイトの置き土産は、とんでもない。

 徳川家から豊臣家に嫁いだ千姫に関しては、次のように言う。

  千姫が、性生活のはかなさを嘗め尽し、ようやく本多死去後、結婿ならぬ性生活を、特に目下の男を弄ぶようになったのも、いわば必然的である。
 分析学的に観れば、女性には、性生理上も性器の外観上も、男に成り足らざる劣等感があり、それが発達心理上(環境から)、逆に男と拮抗し、男性の力を去勢しようという秘願を抱く者ができる。そういう傾向の女性は身心共に男の力を殺そうとさえする場合が多い。
 このような去勢願望の強い女性は、境遇によって、サデイスティックな妖婦になる。それが、同じような秘願をもつ女性にとっても、被虐的な傾向のある男性にとっても、大いに魅力となるものである。P64


 現代でも言われるサドやマゾにも通じる話だが、いかなるものであろうか。
高橋お伝や、ユーゴスラビアのレンツィ夫人の話など、精神分析にて解釈される。
妖婦の肉体的な特徴として、次のように言う。

 身体の上半身は、男の方がたくましい。が、下半身は、ナント、女性のほうがはるかにミゴトなのである。
つまり、腰……生殖器をおさめている腰際地帯「骨盤」付近は、男なんぞ貧弱なものである。お臀は女の方が平均6吋も大きいのだ(ウォール「性と性崇拝」)。
 性器の筋肉へ集中する神経は、ペニスのが1とすれば女性の陰核へは4倍も多く「配線」されている。だからタクミな女性などは蛸の吸盤のように強い。えいやッと力をこめると男はそれこそ手も足も出ないようにすらなることがある。(中略)強いものは、妖婦諸君だ。ではなく、すべての御婦人の下半身なり−である。


といっても、本書のトーンは決して女性を蔑視しているのではない。
むしろ筆者の探求心が強く伝わってくる。
筆者には、女性を菩薩に見るような資質があったように感じる。
しかし、女性を菩薩に見立てる見方は、一見女性を敬っているようだが、女性を別種の存在と見ている意味で、やはり男女平等からは遠い見方である。

 菩薩思想と女性コンプレックスは、盾の裏表であり、同質の現象である。
また、女性を癒しの対象としてみる今日の一部の人たちと、女性蔑視ともみえる筆者の女性観は、通底しているように思う。
女性も男性と同質の生き物であり、菩薩でもなければ妖婦でもない。
女性を特別視する見方自体が、男性中心史観にたっているように感じる。
ましてや女性の特徴を、生理的な構造へと還元して説明するのは、時代錯誤といわれても仕方ない。
戦前から近代の途中まで、性的な世界が隠蔽された。
性を隠したことが、間違いだったと思う。

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参考:
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S・メルシオール=ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
顧蓉、葛金芳「宦官 中国四千年を操った異形の集団」徳間文庫、2000
フラン・P・ホスケン「女子割礼:因習に呪縛される女性の性と人権」明石書店、1993
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国 T・U 古代ギリシャの性の政治学」岩波書店、1989
田中優子「張形 江戸をんなの性」河出書房新社、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」 KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」中公文庫、2006

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