著者の略歴−1942年生れ。ごく普通の少年"ドナルド"として、ボストン近郊で育つ。ハーバード大学時代はフェンシング部所属。1965年に結婚し、1男1女をもうける。経済学者としての著書は多数あり、"ディアドラ"となった現在も、アイオワ大学で教鞭をとっている。 映画「ボーイズ ドント クライ」は、女性から男性への性転換を描いていた。 本書は、男性だった人物が、中年を過ぎてから女性へと性転換した本人の実話である。 本書のようなタッチの本が、大学の出版部から上梓されるのは不思議だが、本書は1999年にシカゴ大学から出版されている。 筆者は、子供の頃は完璧な男の子だった。 特別に女っぽかったわけでもなく、女性とだけ遊んだわけでもない。 むしろチャンバラごっこの好きな元気のいい男の子だった。 中学生になる頃から、彼は女装に目覚め、周囲の目を盗んで母親の衣装を身につけていた。 このあたりは筆者自身も触れているように、映画「ぼくのバラ色の人生」とまったく同じである。 彼は普通に結婚し、2人の子供をもうけている。
大学に職を得てから、彼はますます女装に傾斜していく。 そして、子供たちが独立する50才になって、今度は女装ではなく女性への性転換をする。 本書はその過程を、本人が自分の視点で書きつづったものである。 しかし、なぜ女性になったかという質問には、とうとう答えない。 彼は女性であることが自分のアイデンティティであり、それは自己決定権の一つだとしか言わない。 男性であること女性であることは、二項対立的に決められることではない、と今日では言われる。 性別としても、完全な男性も女性もいない。 社会的な性差にいたっては、社会が決めるものであり、後天的なものだと言われる。 性転換というと、すぐゲイが思いおこされるが、ゲイは性転換者ではない。 ゲイとは男性として男性を愛する男性だし、女性のままで女性を愛する女性である。 それにたいして、性転換者は自分の生物的な性別が、社会的な性差と一致しないと感じるものであり、自分の性別を変えようとする。 結論からいうと、私は性転換にたいしては積極的に賛成はしない。 もちろん、性の自己決定権は当人にあると思うから、性転換そのものに反対しない。 自分が自分の身体をどうしようと、まったく当人の勝手である。 そして性転換の結果、不利益を被ることがあってはならないとは思う。 教師であれば、授業や研究ができれば良く、当人が男性か女性かはどうでも良いことである。 それは本書のなかでも、女性が1人増え男性が1人減る、と表現されているとおりである。 性別がどうあるかは、個人的にはまったくどうでも良い。 だから、私は個人的には性転換者とも、ふつうにつきあう。 性転換者が生きることを、個人的には認められるべきである。 制度的な差別があってはならない。 しかし、社会的に見たときには、いささか事情は違う。 著者は否定するが、性転換は性のステレオタイプを積極的に容認しなれば成立しない。 つまり、ユニセックスでは性転換は成立しない。 男性性や女性性を固定的と認めるがゆえに、男性から女性へ、また女性から男性へと性転換が成り立つのだ。 性転換とは性のステレオタイプを固定的と認めるがゆえに成り立つのだ。 男性らしくあれ、女性らしくあれ、という社会のからの性に固有のメッセージを、性転換によって体現している。 性転換によって社会の男女への差別的視線を促進していることは間違いない。 言いかえると、性転換者は結果として性差別主義者でもあるのだ。 ポルノにかんしては、アンドレア・ドォーキンとは意見を異にするが、 この点にかんしては彼女に賛成する。 そういった意味では、個人的なことは政治的なことである。
法廷に引っぱり出されたにもかかわらず、女性一般の優しさを語る。 そして、性転換した夫が許せずに離婚した妻と、父親との交際を拒絶する娘をもちながら、 女性は性転換に理解があると絶賛する。 また、筆者がドラッグ・クィーンや女装旅芸人を、一段下に見ている視線も気になるところである。 筆者は、博士号をもつ経済学者でありながら、自己相対化の能力が低い。 それは社会科学のなかでも、経済学だけが原論をもち、 分析対象から自己を排除できるという、経済学の特性からくるのだろうか。 抽象的なことと自分の廻りおきることが、筆者のなかでは上手くつながって理解できない。 性転換する自由もおおいに認めるが、 妻や子供たちが性転換した彼を、拒否する自由もまた認めるべきである。 愛情とは相互関係であり、一方の変化についてこれなければ、関係が破綻するのは当然である。 父や母だから、夫だから妻だから、自分との関係が持続すると思うのは、まったくの錯覚である。 立場や属性は、愛情を支えるものとは限らない。 人間関係は社会的な場が支えるものであり、人間は社会的な生き物である。 社会的な関係とはきわめて脆いものである。 自由であるとは孤独であることの別表現である。 筆者のように自分が社会的に逸脱しながら、無条件の理解を求めるのは、非常に難しい。 成人男性が保守的なのも理由がある。 男性が新規なことに簡単に飛びついたら、その社会を支えるものが誰もいなくなってしまう。 新しいものが確実に役に立つと判ってはじめて、男性はおずおずと手をだしてきた。 男性が保守的で女性が寛容なのには、歴史的な必然があった。 他人や女性たちが寛容なのは、それでもやっていけたからであり、 男性や身内が非寛容なのは、そうしなければ生きてこれなかったからである。 自己決定権こそ、最も大切な人間の権利である。 自己決定権を求めて、フェミニズムは男性支配の社会に反旗を翻した。 どんな意見をもとうが、どんな服装をしようが、まったく個人の自由である。 それは個人の決定に属することであり、他人はとやかくいう筋合いではない。 性転換ものその一つであるから、性転換に反対はしない。。 しかし、自由だといったとき、すべての価値は崩壊し、寄る辺なき浮遊に陥ったと知るべきである。 もはや他人に強制できる正義はない。
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