著者の略歴−ニューヨーク在住の劇作家・女優。本書のもとになった一人芝居「The Vagina MonoIogues」はブロードウェイで大反響を呼び、オビー賞を受賞、その後も世界各地で上演されている。その他の彼女の作品には「Necessary Targets、Lemonade、The Depot」などがある。 口にされない言葉は忘れ去られ、やがて秘密になる。 そして、秘密は恥と迷信と恐れと迷信を生む、と筆者はいう。 まったくその通りである。 我が国では、差別をあらわに語らず、口にしないことによって、差別がないかのように装っている。
部落差別は公には語られないし、危険だとみなされる言葉は、当たり障りのない言葉に置きかえられてしまう。 それで差別をなくしたつもりである。 現在では、同性愛のもつれからの犯罪も、その原因には言及されないようだ。 本書は、そうした負け犬根性とは、まったく無縁である。 ガッツある筆者は、「ヴァギナ」という言葉を、あえて自ら口にし、女性にインタビューをし、舞台の上で公演までしてみせる。 真摯なフェミニズム、ここにありである。 この言葉を口にするには勇気がいる。「ヴァギナ」。最初はまるで、見えない壁を無理やり突き破るような気がする。「ヴァギナ」。今にも誰かにお仕置きされるんじゃないかと、びくびくしながら、そっと言う。でも、百回めか千回めかに、ふっとあなたは気づく。これはわたしの言葉なんだ、わたしの体、わたしのいちばん大切な部分なんだ。そしてとつぜん理解する、今までこの言葉を口にするときに感じていた恥ずかしさやとまどいは、自分の欲求に蓋をし、″こうありたい″という願いをくじくためのシステムだったのだと。P9 差別的社会に住んでいれば、誰も差別意識から逃れることはできない。 偏見や差別意識は、誰の身にも染みついている。 それは差別しているほうも、されているほうも同じである。 しかも、小さな時から刷り込まれてくるから、差別意識から自由になるのは難しいものだ。 そこで、差別を白日の下にさらけ出し、自らの差別意識と対峙する必要がある。 英語圏にかぎらず、女性器は差別用語である。 我が国でも、オチンチンは気軽に口にできても、オマンコという言葉は、なかなか口にできない。 公な場所どころか、私的な場所でも口にするのは、とても憚られる。 そして、おまんこと言うときは、何か蔑視の意味が込められていることが多い。 英語でも「ヴァギナ」というのには、心理的な抵抗があるらしい。 この心理的な抵抗というのが、じつは差別意識そのものである。 筆者はあえて「ヴァギナ」と口にして、差別意識を克服しようとする。 白日化して差別を克服しようとするこの姿勢は、当サイトの姿勢とまったく同じであり、筆者の活動に共感する。 ワークショップで、わたしたちは一人ひとり手鏡を持たされて、自分のヴァギナを見るように言われた。そうしてじっくり観察したあと、どんな風だったかを、みんなの前で順番に、言葉で説明させられるの。正直いって、それまでわたしが自分のヴァギナについてもっていた知識は、みんな人から聞いたことや作り話ばかりだった。きちんと見たことはなかったし、見ようとしたこともなかった。だって、わたしにとって、わたしのヴァギナは、抽象的な次元のものだったから。つるつるのブルーのマットの上で、手鏡を使ってその部分を見るのは、ひどくぶかっこうで骨が折れた。大昔、まだ原始的な望遠鏡しかなかった時代の天文学者の苦労が、少しはわかった気がしたわ。P51 手鏡で股間を眺める女性たちが並んだ、このワークショップを想像すると、いささかゲンナリする風景が思い浮かぶが、いかにも真面目なアメリカ人的である。 こうした試行錯誤で、フェミニズムが鍛えられ、思想の次元を高めていくのだ。 なにせ、何千年も続いてきた女性差別を克服するためには、このくらいやらなければダメなのだ。 筆者は、アメリカ全土をまわって、「ヴァギナ・モノローグ」という舞台を演じ続けている。 この舞台は、オフブロードウェイでも上演され、1996年には<オビー賞>を受賞している。 その後、2001年2月10日に、ニューヨークのマジソン・スクエアー・ガーデンで、「V−DAY」公演があり、そこで「ヴァギナ・モノローグ」が一躍有名になったらしい。 「V−DAY」公演 には、グレン・クローズ、ジェーン・フォンダ、オブラ・ウィンフリー、ウーピー・ゴールバーグ、キャリスタ・フロックハートなどが参加している。 グレン・クローズは演技がうまいと思うが、こうした行事に参加していると知ると、よけいに評価を上げたくなる。 最後に、グロリア・スタイナムが賛を寄せている。 そのなかで、彼女自身も「ヴァギナ」を口にできなかった世代だと告白した後で、次のよう言っている。 人間の体のパーツを″語れるもの″と″語れないもの″に分けるところから出発する古臭い家父長制的二元論−女らしさ/男らしさ、 肉体/精神、セクシヤル/スピリチェアル、等々−が、いかに窮屈なものであるかにも、きっと気づかされることだろう。P126 「セックスワーカーのカーニバル」のシャノン・ベルといい、 「セックス、アート、アメリカンカルチャー」のカミール・パーリアといい、 アメリカのフェミニストたちには、ほんとうに頭が下がる。ぜひ、我が国の女性フェミニストにも、このくらいの頑張りを見せて欲しい。 (2009.6.1) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002 橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998 エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009 レオノア・ティーフアー「セックスは自然な行為か?」新水社、1988 井上章一「パンツが見える」朝日新聞社、2005
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