匠雅音の家族についてのブックレビュー    悪戦苦闘ED日記|梅田功

悪戦苦闘ED日記 お奨め度:

著者:梅田功(うめだ こう)−−宝島社新書、2001、¥700−

著者の略歴−1968年生まれ。「フライデー」「Views」記者を経て、フリーライターに。週刊誌、月刊誌に事件・事故・人物ルポなどを別名義で発表している。著書にインタビュー集「ノンフィクションを書く!」など
 女性の台頭した理由が、きちんと押さえられていないから、本書が出版されることになるのだ。
女性の台頭が目立つようになって随分と時間がたった。
が、いまだに女性台頭の真の理由は考察されていない。
肉体労働から頭脳労働へ、つまり屈強な肉体の無化が、女性の台頭に道を開いたのである。
情報社会化こそ、女性の社会進出には追い風だった。
と同時に、男性の勃起を支えてきた、屈強な肉体の優位という屋台骨も、今ではお払い箱になったのである。
勃起障害は、これからますます増えるだろう。

 1992年に、私は「性差を越えて」を書いたなかで、勃起の背景という一章を設けている。
そこで、屈強な肉体が優位価値ではなくなったから、今後男性は女性にだけ勃起しなければならないような強制からは、無縁になった、と書いた。
しかし、人間はどこまで追い詰められていくのかと、本書を読むと暗澹たる気持ちになる。
フェミニズムは自分たちが追い出した論理によって、一度は仕返しをされざるを得ない。
私にとって本書に次のように書かれたことは、予測されたことでありまったく驚きではない。
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 今の時代、30歳以上の男性の3人に1人が勃起不全なんですよ。推計患者数1130万人。原因は糖尿病や高血圧症からストレスまでいろいろとあるけれど、これは立派な病気です。風邪をひいたら心配されるのに、なんで勃起不全だからってバカにされて金まで貸し渋られるんですか。P4

 糖尿病や高血圧は昔からある。
でも勃起不全はそれほど話題にはならなかった。
そこには明らかに時代が違うという背景があるのだ。
それを語らずして、勃起不全を病気としてとらえて対処療法を続けても、ますます勃起不全は増えるだけである。
筆者も時代のなせる事だと気づいてはいる。本書でも

 肉体を使う人はEDにならない P66
 IT革命が精神と家庭を破壊する P147

という章を設けている。

 本人が勃起不全に悩んだというだけあって、描写は実にリアルである。
そして、本書の結論も、納得できる当たり前の話である。
結局、筆者はセックスが何たるかを判っていなかったのだ。
それは筆者だけではないだろう。
女性だって判っていない。
女性フェミニストはもちろん判っていない。
セックスは性欲がさせるのでもないし、快楽を求めてするのでもない。

 第六章 セックスはコミュニケーションの延長である P204

という章を設けて、そのなかで

 セックスは相手に対して感情を露にする行為だ P219

といっているが、セックスは関係性の確認以外の何物でもない。

 セックスは関係性の確認であることが、情報社会でのみ赤裸々になるのであって、工業社会まではセックスに様々な覆いがかぶっていた。
その覆いのために、男性も女性もセックスを介した人間関係と、面と向かわずにすんだ。
経済的な必要性が、結婚を支えていたので、男女関係が剥きだしになることはなかった。

 しかし、女性の台頭は、夫婦関係に経済的な必要性を不要とし始めた。
経済的な必要性で結婚するのではない。
本書の限界は、セックスを夫婦間に限定し、夫婦間の勃起障害だけを問題にしていることである。
それに正常位という言葉を使う筆者の感覚は古い。

 女性が保護される意識から抜け出していない。
だから、勃起不全を解消する方法として、男性に意識や役割の変化を求める。
しかし、男性の勃起不全に悩むのは、当の男性だけではなく相手の女性も悩む。
情報社会化が進み女性が真に自立すれば、ベッドにおいても同等になり、よりよきコミュニケーションが可能になるだろう。
それまでは男性が悪者になる日が続くだろうが、それまでは事態はますます悪くなるばかりである。

 男性の場合は、勃起不全という形で、性交不能がはっきりと現れる。
しかし、女性の場合は、性交不能が現れにくい。
情報社会化は女性にも性交不能をもたらす。それは女性が濡れなくなることだ。
情報社会化がすすむと、女性が濡れなくなるだろう。
時代の転換は、男女ともに迫られるのだ。
本書でも男性側に、女性への理解ばかり求めている。

 勃起は生理的なメカニズムでだけ起きるわけではない。
とすれば非夫婦の男女間だって、当然のこととして勃起障害は起きる。
ことは夫婦間の問題だけではなく、男女間一般の問題として、勃起障害を捉えなければならない。
そして、性関係が男女の関係性であるとすれば、男性だけではなく女性にも性交障害が発生するのは自明である。

 本書の結論には、保留付きで賛成する。
しかし、勃起不全は今後この程度の問題として語られるのではないだろう。
本書のような問題がでてきて初めて、女性の台頭の真の意味が理解されていくのだ。
半分の男性が勃起不全になろうとも、情報社会化は止まらないし、必然的に女性の台頭も止まらないのである。

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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
苫米地英人「「婚活」がなくなる日」主婦の友、2010
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986


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