匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族と住まない家−血縁から<暮らし縁>へ|島村八重子、寺田和代

家族と住まない家
血縁から<暮らし縁>へ
お奨度:

著者:島村八重子(しまむら やえこ)寺田和代(てらだ かずよ)
春秋社、2004年  ¥1700

 著者の略歴−島村八重子: 1954年東京生まれ。東京女子大学卒業。義父の在宅介護と看取りをきっかけに福祉、高齢者介護に関心を持つようになる。情報誌の編集に携わったのちフリーライターに。2001年、介護保険のケアプラン自己作成者に呼びかけて「全国マイケアプラン・ネットワーク」を立ち上げ、代表をつとめる。
著書に「介護のための安心読本」「F福祉マンションにある暮らし」(共著)(ともに春秋社)がある。
寺田和代:1959年静岡生まれ。立命館大学卒業後、3年間の会社員生活をへてフリーライターに。「鳩よ!」「Hanako」「クロワッサン」などで活躍。おもに文芸、介護、家族をテーマに執筆している。

 家族は自分が作った分身であり、配偶者はその共同作業者であった。
だから家族とは、最も親しく、最も心が許せ、最も同居したい人のはずだった。
それが家族と同居を望まない人が増えているという。
家族や住まい方の研究から、家族以外と同居している10人の人に、筆者たちはインタビューした。

 本書に登場する人たちは、血縁の家族と住んでいる人はいない。
それぞれに1人だったり、他人との共同生活者だったりと、いわゆる核家族的な生活はしていない。
コレクティヴ・ハウスや福祉マンションなど、居住形態はさまざまである。
血縁の家族との同居に疑問をもったり、家族と死別して1人になったりしている。

 10人のインタビューで作られているので、1人1人を取り上げるより、目次を掲載したほうが良いだろう。
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序 章 「家族と住まない家」のいま
第1章 大切なのは家の名より、関係
第2章 もうワンルームの暮らしには戻れない
第3章 コレクティブに暮らす、という新しい経験
第4章 住まいも仕事も、服を着替える感覚で
第5章 家族とは一瞬の状況である
第6章 あるべき暮らし、なんてない
第7章 共生の住まいに不可欠なのは対等な関係
第8章 自分の老後は、自分で設計したい
第9章 結婚をへて到達した「ひとりの愉楽」
第10章 ほどよい距離のなかで暮らす心地よさ
第11章 ひとりとみんなと。両方を大切にした住まい
第12章 「選択縁」のなかで暮らすということ
終 章 「暮らし縁」という名のまだ見ぬ未来


 それぞれに特徴のある生活だが、20歳の男性が60歳の女性と、ルームシェアーした話には教えられるところがあった。
以前に彼は、個別的な住居部分と、食堂や大浴場などの共用部分をもったサービス提供型のマンション=ハートフルに住んでおり、その時の感想と次のように語る。
 
 ハートフルでは、食事をしながら話をするということ以外に、お風呂を洗うとか、洗濯物をたたんで入れるとか、家庭内で家族でいっしょにするという作業がまったくなくなったような感じがします。小さい営みって非常に大きいんですね。ぼくにとつて、その時くらい家族が大切だと思ったことはありません。P130

 共用部分でのサービスとは別に、個別住居もあり、そこには風呂や厨房もある。
しかし、便利な生活に流されて、大浴場などの共用部分に依存するようになってしまった。
そのために、家庭を維持するための家事がまったく不要になり、日々の小さな営みが消失してしまった。
そして、気がついてみると、小さな営みが家族のつながりの上で実は大切だったという。
その後、彼は60歳の女性と同居して、教えられることが多かったらしい。
彼女をリスペクトするという。

 思えば、そういう人がいままでぼくのまわりにはいなかった。リスペクトしているし、たくさんのものを与えてくれた。人に対する見方とか、精神的なことを教えてくれた。広い世界のこととかいろいろ教えてもらって…。この人と出会うまでは、シェアする相手はだれでもいいやと思っていたのが、この人と住んだことで条件ができてしまいました。P134

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 世代を越えた人同士が同居するのは、とても良いことだと思う。
外国にでると、自分の歳を忘れることができるのは、歳を感じさせずに対応してくれるからだ。
我が国では、年齢に従って対応されてしまい、若い人とタメ語で喋るのは難しい。
こちらは横並びのつもりでも、中高齢者に対して、若い人は抵抗があるらしい。
しかし、性別が違うと、年齢の差を超えるのは、比較的に容易になる。

 ルームシェアーというと、同年齢の同性が対象になる場合が多いが、実はこれが日本的な構造だろう。
性別役割の解消と年齢秩序の崩壊は、同時にやってきたはずである。
同年齢・同性・同じくらいの収入といった同質な人々が、集まってしまう人間関係も、工業社会的な大量生産の反映である。
こうした同質性から卒業しても良い頃である。

 本書は<暮らし縁>で住まうのが良いという。そして、<暮らし縁>で住まうために、七つのポイントをあげる。

1 住まい手が「大きな家族のようにならない」という意識を共有している
2 暮らしに必婁な仕事や役割には全員が交代であたり、人間関係に序列をつくらない
3 住まい手同士のつながりの中心にことばのコミュニケーションをおいている
4 内部で完結しようとせず、足りないものは外側に求めていく姿勢を持っている
5 外部とのかかわりや交流を大切にしている
6 個室があるなど、十分な私的領域が保障されている
7 賃貸であることなど、「いつでも降りられる」しくみを待っている


 それぞれに含蓄のある言葉だが、個人化が進む今後、共同して住むことを選ぶ人は減るだろう。
家族以外と住むことには賛成するが、本書のような企画は、何故か単身生活を否定的に見がちである。
なぜか、何人かが集まって住むことを指向しやすい。
しかし、産業構造が個人化を要求している以上、今後の人間は個人生活を基本として生まれてくる。
個人生活こそ基本だろう。
最大の問題は、個人としての収入の確保であろう。
収入を無視して、住居は語れない。


 本書では、家族と住まない家と言いながら、誰かと住むことが前提となっている。
人間は1人で生きれないとすれば、本書のような企画も大切だと思うし、快適な集住生活が検討されるべきではある。
しかし、個人の生活が原則であるべきで、個人の確立があって初めて、共同生活が可能である。
個人が自立しないままで、共同生活を始めると、誰かが苦痛を耐えなければならなくなる。
 
 選択肢が増えれば、家族と住まいの関係にまつわる「ここしかない!」とでもいうような高気密なメッセージのガス抜きが少しずつ進行するだろう。
 そうなれば、ともに暮らす人がだれであろうが、そもそもひとりで住もうがだれかと住もうが、選択肢のすべては等価になり、こちらがダメならあちらを試してみたり、住まいの拠点をいくつか持って季節や年ごとに転々とするなんてことが、それほど突飛なアイデアではなくなるかもしれない。P280


 実は今までも、定型的な住まい方に、全員が従っていたわけではない。
本書でも、養子で育ったり、大家族であったり、と様々な経歴の人が登場している。
家族と住まないのではなく、家族以外と住んでも良いということだ。
しかし、本書はどこかネトネトした人間関係が切りきれていない。
個人が自立する前に、誰かと一緒に住もうとするから、結局家族の代用品となる。
本書がいう共同生活は、むかしの隣組とどう違うのだろうか。

 高齢者であっても、成人は生活を自分で決定できるから、問題は少ない。
考えなければならないのは、子供の育て方である。
単親で子供を育てる時、どんな環境が用意されるか、それがもっとも重要な問題である。
本書は夫婦での子育てには言及しているが、単親への視線が薄いように感じた。
ところで、大河原宏二さんの「家族のように暮らしたい」のほうが、
家族的な雰囲気が薄く感じたのはなぜなのだろう。  (2005.02.26)
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参考:
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
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山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
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ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
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本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
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高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
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