匠雅音の家族についてのブックレビュー   <恋愛結婚>は何をもたらしたか−性道徳と優生思想の百年間|加藤秀一

<恋愛結婚>は何をもたらしたか
性道徳と優生思想の百年間
お奨度:

著者:加藤秀一(かとう しゅういち) ちくま新書  2004年  ¥720−

 著者の略歴−1963年生まれ。一橋大学社会学部を卒業し、東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。現在、明治学院大学社会学部教授。専攻は社会学、性現象諭。著書に「性現象論」(勁草書房)がある。
 恋愛結婚が優生思想に結びついてきた、と筆者は結論づけたいつもりらしい。
しかし、筆者は恋愛結婚と、終生の一夫一婦制を混同している。
結婚が見合いから、恋愛をきっかけにして始まるようになった。
いわゆる見合い結婚はへって、いまでは恋愛結婚が90%近いというのは、事実だろう。
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 出会いがどうであれ、自分たちは恋愛の結果、結婚にいたったと、多くの人は考えている。
そして、多くの未婚者も、恋愛の結果、結婚したいと考えているらしい。
しかし、6割の未婚男女が恋愛と結婚は、別次元のものであるとも認識している、と本書はいう。
ここから、結婚は生活であり、恋愛は情事だと考えれば、問題はない。

 「結婚の利点」として多くの男女が、「精神的な安らぎの場が得られる」という選択肢だったというのだから、恋愛と結婚は可分である。
にもかかわらず、6割の未婚男女のリアリティにとむ考えを、本書は考察の対象にはしない。
現代の結婚イコール恋愛結婚であるという現実を確認して、<恋愛結婚>の源流へと筆をすすめていく。

 恋愛が輸入された明治期、恋愛はかならずしも結婚と両立しない、と考えられていた。
それが、恋愛が結婚へと収斂していくという。
そして、筆者は結婚をめぐる議論のふれないものに、「一夫一婦制」があるという。

 一夫一婦制とは今日の<恋愛結婚>を支える最深の土台であり、ほとんど不可視の前提である。P60

 一夫一婦制の確立には、長い道のりがあって、江戸時代から明治の初めにかけて、畜妾の習慣が続いたという。
筆者は、ここで庶民の歴史と、金持ちたちの歴史を混同している。

 どんなに浮気な男女でも、恋愛は1対の男女間でしかできない。
ましてや、性器を結合するという意味でのセックスに至っては、1対1の男女間でしか成立しない。
どうじに2人、3人と恋愛し、3Pセックスしたといっても、一度は性器の結合を解かなければ、新たな結合はできない。 

 セックスという意味での恋愛は、1男1女つまり一夫一婦でしか成り立たないが、結婚は一夫多妻や一妻多夫でもなりたつ。
結婚はセックスを含んではいるが、むしろ生活面が重視されるから、何人ででも可能である。
しかし、恋愛と結婚を結びつけて考える場合、一夫一婦制を問題にすべきではない。

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 本書が問題にすべきだったのは、終生にわたる一夫一婦制である。
恋愛結婚であろうが、見合い結婚であろうが、終生の一夫一婦制をとるかぎり、結婚を正当とする制度が生まれてしまうのである。

 性道徳の基準によって女たちを良家の子女と汚れた売春婦とに分類する差別的思想こそが、廃娼運動の本質(すくなともその一部分)だったといってもいい。P100

 売春婦を醜業婦と呼ぶのは、恋愛結婚とは関係ない。
見合い結婚であろうとも、終生の一夫一婦制をとるかぎり、女性を家庭内外でわける思想は生まれうる。
現代の専業主婦たちが「主婦だって専業売春婦だ」と、愛人バンクの経営者だった筒見待子さんにいわれたときに、開きなおれたのは終生の一夫一婦だと信じていたからだ。

 本書がいうように近代の歴史は、恋愛を結婚へと結びつけようとしたかも知れない。
しかし、戦前は恋愛結婚をする者など、きわめて少数で、むしろ異常な結婚だった。
恋愛結婚が主流になるのは、1960年代である。
つまり、高度成長経済になって、いいかえると豊かな社会になって、はじめて恋愛という個人的な気まぐれにしたがって、結婚できるようになったのである。

 現代の結婚に、優生思想が潜んでいることは認めるが、優生思想は恋愛結婚でなくても潜んでいる。
むしろ、見合い結婚のほうが、優生思想と馴染みがいいだろう。
優生思想とは無縁と思われる恋愛結婚に、じつは優生思想が優位だというなら判るが、筆者の言わんとするところがちょっと判らない。

 現代人は優生思想と無縁だ、と筆者はいいたいのでもないだろう。
医療技術の進歩は別にしても、管理下がすすむ現代こそ、優生思想とは馴染みがいいのであって、農業が主な産業である社会では、優生思想は馴染みにくいだろう。

 肉体労働が支配的な社会では、頭脳の弱者は生活可能だし、肉体的な弱者でも生活は、それなりに可能である。
しかし、情報社会では頭脳の弱者は生活が困窮するし、肉体的な弱者も生活がきつくなる。
とすれば、今後の社会こそ、優生思想がはびこると考えるべきであろう。

 今後、専業主婦でいられるのは、裕福な少数者だけになる。
1960年代のように、中産階級の女性たちが、こぞって専業主婦になれる時代は終わっている。
今後は、男女の全員が働かなければならなくなる。
必然的に、終生の一夫一婦制は崩壊していく。
とすれば、全員に職業が確保されなければ、社会がたちいかなくなる。

 情報社会化がすすむ今後、人間の自由と平等をどう確保すべきか、と問題はたてられるだろう。
性器を結合するのは、1対の男女間でしかできなのだから、恋愛結婚が問題にされるのではない。
また、一夫一婦制が問題なのではない。終生の一夫一婦制こそ、解剖されなければならない。
筆者が語るべきだったのは、恋愛結婚ではなく、終生にわたる一夫一婦制だった。
 (2009.2.28)
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参考:
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石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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