匠雅音の家族についてのブックレビュー   結婚の起源−女と男の関係の人類学|ヘレン・E・フィッシャー

結婚の起源
女と男の関係の人類学
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著者:ヘレン・E・フィッシャー−どうぶつ社、1983年  ¥1、800−

著者の略歴−1945年生まれ。ニューヨーク大学卒業。コロラド大学で修士・博士号をうける。自然人類学専攻。現在、いくつかの大学での講義のかたわら、アメリカ人類学会、ニューヨーク科学アカデミー、その他の学会のメンバーとして広く活躍。
 結婚という制度は、人類の誕生よりずっと後になって生まれたものだ。
人間だって動物だから、子孫を残してきたが、結婚制度と子孫の繁栄は関係なかった。
ただ1対の雄と雌が交尾をし、雌が妊娠し、子供が生まれた。
そして、その子供を育ててきた、という事実があるだけである。
しかし、そこには明らかな選択が働いている。
セックスの相手は誰でも良いというわけではない。
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 選ばれた、つまりセックスのゲームに勝った当事者の遺伝子が、次の世代へと受け継がれ、人類は繁栄を続けてきた。
今日では、結婚した相手以外の異性と、セックスをすることは不道徳とみなされている。
つい最近までセックスは、結婚した者たちの特権だった。
しかし、歴史はそれが必ずしも真実ではない、と教えている。

 タンザニアのトゥル族は、ほとんどの男女に愛人がいる。彼ら農民や牛飼いたちにとって、結婚はビジネスにすぎない。女たちは小さい頃から、結婚したら夫にしたがうものと教えこまれているが、夫を愛することは要求されない。トゥル族は、結婚した相手に愛情を持ち続けることは不可能に近いと考えていて、「ムプャ」(恋愛)を大切にする。もっとも「ムプャ」をするしないは自由である。恋人たちは森で落ちあうと、ちょっとした贈物を交換しあってからセックスをする。現場を見つけられたときは、男が相手の夫にヒツジやウシで罰金を払わなけれはならないが、普通は無視される。P18

 実は人間の歴史では、結婚と愛情はあまり関係がなかった。
結婚は生活のためであり、愛情があるから結婚するのではなかった。
それが長い農耕社会を過ごしてきた人間たちの生き方だった。
しかし、同時に結婚という制度が存在したの事実だった。
それは人間の雌は、発情期がなく、いつでもセックスが可能だからである、と筆者はいう。

 毎日でもセックスができるというのは、生き物としては例外である。
通常の生き物は、発情期以外にはセックスをしない。
人間はいわば性の強者である。
動物のセックスは繁殖のためだが、人間はセックスを楽しむ。

 筆者は、人間のセックスと結婚の起源、家族の起源を、猿や類人猿にさかのぼって記述していく。

 メスの側のセックス誘発因子だけが進化したのではない。メスの選釈を通してオスの側のそれも進化する。霊長類の中で人間のオスはとびぬけて大きいペニスを持ち、それは体の大きさが三倍もあるゴリラのペニスより大きい。だから通常の状態でもメスに強い性的快感を与えることができる。すなわちメスは、性交中に膣腔の入口に近い三分の一のところが腫脹し、快い緊張感がつくり出されるので、オスの通常のペニスでもオーガズムの強い収縮が容易に感じとれるのである。さらに、膣中へのスラストを続けていると、大きさを増したペニスがメスの外部性器の筋肉や組繊を引っぱる。この動作でクリトリスをおおう組織が下に引っぱられ、クリトリスそのものがやさしく摩擦される。オスのペニスの大きさは、セックス以外にはいかなる実際的機能も持っていないことから考えて、メスが大きいペニスを好んだため、長い間にその方向へ進化したのだと思われる。P108

 性の強者である人間が、発情期を失ったことは大きな影響を与えた。
それは人口の爆発的な増加である。
ここで、人間たちはアフリカの大地から出て行かざるを得なくなったのだろう。
こうなると、家族の形成まであと少しである。

 霊長類メスは、このように子どもの生涯にきわめて重要な役割をはたしているから、母と息子間の近親相姦は、おのずから回避されていると考えられる。(中略)1970年、インセストに関する調査がはじまる。結果は、全交尾中の1パーセントが母親とその息子の交尾で、しかも息子が性的に成熟したばかりのときの交尾だった。完全に成熟したオスはけっして母親と交尾しようとはせず、それどころか実際は、母親には赤ん坊のようにふるまうし、乳をまさぐり、母親のふところにもぐりこみ、背中におぶさろうとするオスさえいる。P154

 インセスト・タブーの発生が、家族を固定させた。
そして、これは経済的にもかなったことだった。
そして、言葉を獲得し、思考を深めていった。
つがうという結婚制度を生みだした人間だが、いまでは結婚制度が揺らいでいる。
それに対して筆者は、次のようにいう。

 霊長類に共通するこうした行動型のうえに、人間はつがうことを発展させ、同時にそのきずなを維持させるすべての根本的な人間感情を発展させた。私たちがもっている恐怖感やさまざまな習性と同様に、この感情は消えることがないだろう。今でも私たちはこび笑いをする。つがい関係の初期には相手に夢中になるし、つがい関係が総統している間は相手に誠実であろうと心がける。そしてつがい関係がこわれるとさびしさを感じる。乱交や嫉妬や、つがいの相手に裏切られたときの復讐心には罪悪感を抱く。今でも男たちは妻が寝とられないかと気をもみ、女たちは夫に棄てられないかと悩む。現代の高度産業社会では、こうした感情はまったく必要としないものだし、つがい関係すら必要としないのに、それでもなお私たちはそれを捨てようとはしない。
 きずなを結ぶということはきわめて人間的なことなのである。それは性の契約とともにはるか遠い昔にはじまった。その契約の内容は時代とともに変化していくだろうが、契約を結ぶという本能までもが失なわれてしまうことはけっしてないだろう。P260
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参考:
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棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
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中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
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斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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