匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族卒業|速水由紀子

家族卒業 お奨度:

著者:速水由紀子(はやみ ゆきこ) 朝日文庫、2003年 ¥620−

 著者の略歴−日本女子大学卒業。新聞社専属記者を経て、フリージャーナリスト。現在、『AERA』などの雑誌や単行本の執筆、講演活動等で活躍。夫婦、家族の問題から学校、男女のセクシュアリテイ、若者の意識まで、激変する社会を綿密な取材にもとづいてルポルタージュする。著書に『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房)『恋愛できない男たち』(大和書房)『働く私に究極の花道はあるか?』(小学館)、共著に『不純異性交遊マニュアル』(筑摩書房)『サイファ覚醒せよ!世界の新解読バイブル』(筑摩書房)などがある。

 家族を卒業せよというが、卒業してどこへいくのか。
現代の核家族の先はどうなるかが、筆者は分かっていない。
そのため、問題の所在はおぼろげながら分かっていても、同じところで堂々巡りを繰り返している。
結局は、愛情に基づく終生にわたる1対の男女による繋がり、つまり核家族に収斂している。
これでは家族を卒業するのが怖くなり、家族に止まったほうが良いと思わせる。
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 さまざまな事例を拾って、ルポルタージュ風に論じていく。
巻頭では、「酒鬼薔薇事件」と、「和歌山カレー事件」を扱っている。
筆者は現地にまで足を運んでおり、現地の場所からの情報を読み込もうとする。
しかし、2つの事件に共通する筆者の立場は、容疑者となった2人を徹底して否定的に見ており、その視点はきわめて通俗的である。
しかも、「和歌山カレー事件」はまだ判決が確定していないにもかかわらず、犯人と断定して論じている。
容疑者を否定的に見ることによって、むしろ問題を見えにくくしている。

 フェミニズム系の論者に共通するように、筆者も社会の構造より、人々の意識に注目している。
意識が正しければ、人は自立できるし、犯罪は起きないと考えているようだ。

 私自身は「社会の中の人間」としての成長を放棄しない、前向きな生き方である限りは、ハウスキーバーとしての主婦(専業主婦)もOKだと思っている。ジョン・レノンだって専業主夫だった。男も女も居たい場所で、自分の心が望む仕事をすればいいのだ。
 一方が社会的生産活動に加わり、一方が子育てを担当するという分業システムに、別になんの異論もない。それは単に個々のパートナー間の取り決めで行うべきであって、「向いている方がやればいい」次元のことだからだ。
 近年、さまざまな問題を引き起こしているのは、「専業主婦」というポジションそのものではない。『主婦』の家庭内における母としての言動は、揺るぎない正しさに裏打ちされている、という「家の仕組み」に基づいた社会的な根強い刷り込みだ。
 が、そんなものの根拠はどこにもない。ただ個人として子供や夫と、さまざまな関係性を持っている女性たちがいるだけだ。P96


 無収入の専業主婦という、社会的な制度のなかで、女性たちが呻吟している。
社会的な制度を不問に付したまま、意識改革で乗りきれると言うのは、実に残酷な発言である。
ジョン・レノンは最初から専業主夫だったわけではない。
彼には膨大な印税収入があった。
収入の心配がなかったから、ジョン・レノンは専業主夫ができたのだ。
筆者は収入があるから、専業主婦制度を他人事として肯定し、こんなことが言えるのだ。

 本書は一見すると、現代の家族を否定しているように見える。
現代の家族が機能不全に陥っているから、家族卒業をしようと言っているようだ。
しかし、筆者の中では、愛情に基づく継続的な男女関係が理想で、子供を持つことが善なることとされている。
筆者は表だってそう言わないが、愛情あふれる理想的な核家族から、どうしても逃れられない。
 
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 シングルの自由さを愛するなら、それもいい。孤独に耐えられなければ、信頼し合える友人と部屋をシェアするのも心強い。死ぬまで男と女でいたいと2人の生活を選ぶカップルも、3人の子供に囲まれて賑やかに過ごす夫婦も、形はどうあれ一緒にいるのが必然であるなら、そこが心のホームベースだ。P254

というが、この姿勢は何でもありと言うだけで、何も新たな視点を生んではいない。
筆者は1人の男性と同棲しているらしいが、家族のとらえ方が恣意に過ぎる。
家族は個体維持と種族保存の交点にあることが、筆者には分からない。
自分の好きに住めば、それが家族だと言っているようだ。
賀茂美則氏の「家族革命前夜」と同様に、隔靴掻痒といった感がぬぐえなかった。
しかし、最後に掲載された岡田斗司夫氏との対談を読んで、すべてが氷解した。

 筆者は「家族の幸せ」そのものを否定するのではなく、それを再構築できないかと望んでいる。
そして、結婚にも家族にも「愛」がないともたないという。
また、筆者は専業主婦に対して否定的なのだが、実体としての家族は根本から腐っているとして、家族幻想を解体することを提唱する。
それに対して、岡田氏は「愛情」に代わって「責任」をもちだす。

 専業主婦の否定というと、本サイトと非常に似ているが、根本的なところで違いがある。
本サイトは、専業主婦が成立する制度的な面を問題視するが、筆者は前記のごとく専業主婦制度を肯定する。
そして、専業主婦はずるいといって、専業主婦個人を問題にする。
制度を肯定し、その制度を選んだ人を否定するのは、論理矛盾であろう。
そのため、岡田氏から次のように批判される。

 岡田−現にいま引きこもってる人に対して、現実に戻れるチャンスが実際には事実上ないのに「外に出ないのはおまえが楽だから」とは僕は言えない。世の中の雇用条件が完全に男女平等になったら、そしたら初めて僕は、「女は働かなくてずるい」と言いますけど、今の状況ではよういわんですよ(笑)。
 速水−「機会がない」というのは、私も以前はそう思っていたんですけど、いろいろ聞いてみると、結局家庭にいるのが楽だからなんですよ。面倒くさいんですよ。
 岡田−働く方が損だからでしょう。でもそうなると、彼女らにとって、離婚するメリットつて何かあるんですか?


 現在の制度は、単身者より結婚して子供を持つ者が有利にできている。
だから、多くの人がいまだに結婚を選ぶ。
しかし、その制度が疲労し、制度が人々を苦しめている。
制度が上手く機能しないから、専業主婦に有利な現在の制度を変革する必要がある。
それには核家族から単家族に、制度を変えることだ。

 核家族から解放されているように見える筆者だが、愛を口にしてしまうところから、核家族の幻想に取り付かれていることが分かる。
岡田氏の発言がなかったら、本書の主張は論理矛盾したままで、まったく不明のままである。
本書が上梓されることは、フェミニズムにとっても家族にとっても害悪だろう。 
(2005.12.10)
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
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斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992

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