著者の略歴−日本女子大学卒業。新聞社専属記者を経て、フリージャーナリスト。現在、『AERA』などの雑誌や単行本の執筆、講演活動等で活躍。夫婦、家族の問題から学校、男女のセクシュアリテイ、若者の意識まで、激変する社会を綿密な取材にもとづいてルポルタージュする。著書に『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房)『恋愛できない男たち』(大和書房)『働く私に究極の花道はあるか?』(小学館)、共著に『不純異性交遊マニュアル』(筑摩書房)『サイファ覚醒せよ!世界の新解読バイブル』(筑摩書房)などがある。 家族を卒業せよというが、卒業してどこへいくのか。 現代の核家族の先はどうなるかが、筆者は分かっていない。 そのため、問題の所在はおぼろげながら分かっていても、同じところで堂々巡りを繰り返している。 結局は、愛情に基づく終生にわたる1対の男女による繋がり、つまり核家族に収斂している。 これでは家族を卒業するのが怖くなり、家族に止まったほうが良いと思わせる。
さまざまな事例を拾って、ルポルタージュ風に論じていく。 巻頭では、「酒鬼薔薇事件」と、「和歌山カレー事件」を扱っている。 筆者は現地にまで足を運んでおり、現地の場所からの情報を読み込もうとする。 しかし、2つの事件に共通する筆者の立場は、容疑者となった2人を徹底して否定的に見ており、その視点はきわめて通俗的である。 しかも、「和歌山カレー事件」はまだ判決が確定していないにもかかわらず、犯人と断定して論じている。 容疑者を否定的に見ることによって、むしろ問題を見えにくくしている。 フェミニズム系の論者に共通するように、筆者も社会の構造より、人々の意識に注目している。 意識が正しければ、人は自立できるし、犯罪は起きないと考えているようだ。 私自身は「社会の中の人間」としての成長を放棄しない、前向きな生き方である限りは、ハウスキーバーとしての主婦(専業主婦)もOKだと思っている。ジョン・レノンだって専業主夫だった。男も女も居たい場所で、自分の心が望む仕事をすればいいのだ。 一方が社会的生産活動に加わり、一方が子育てを担当するという分業システムに、別になんの異論もない。それは単に個々のパートナー間の取り決めで行うべきであって、「向いている方がやればいい」次元のことだからだ。 近年、さまざまな問題を引き起こしているのは、「専業主婦」というポジションそのものではない。『主婦』の家庭内における母としての言動は、揺るぎない正しさに裏打ちされている、という「家の仕組み」に基づいた社会的な根強い刷り込みだ。 が、そんなものの根拠はどこにもない。ただ個人として子供や夫と、さまざまな関係性を持っている女性たちがいるだけだ。P96 無収入の専業主婦という、社会的な制度のなかで、女性たちが呻吟している。 社会的な制度を不問に付したまま、意識改革で乗りきれると言うのは、実に残酷な発言である。 ジョン・レノンは最初から専業主夫だったわけではない。 彼には膨大な印税収入があった。 収入の心配がなかったから、ジョン・レノンは専業主夫ができたのだ。 筆者は収入があるから、専業主婦制度を他人事として肯定し、こんなことが言えるのだ。 本書は一見すると、現代の家族を否定しているように見える。 現代の家族が機能不全に陥っているから、家族卒業をしようと言っているようだ。 しかし、筆者の中では、愛情に基づく継続的な男女関係が理想で、子供を持つことが善なることとされている。 筆者は表だってそう言わないが、愛情あふれる理想的な核家族から、どうしても逃れられない。
というが、この姿勢は何でもありと言うだけで、何も新たな視点を生んではいない。 筆者は1人の男性と同棲しているらしいが、家族のとらえ方が恣意に過ぎる。 家族は個体維持と種族保存の交点にあることが、筆者には分からない。 自分の好きに住めば、それが家族だと言っているようだ。 賀茂美則氏の「家族革命前夜」と同様に、隔靴掻痒といった感がぬぐえなかった。 しかし、最後に掲載された岡田斗司夫氏との対談を読んで、すべてが氷解した。 筆者は「家族の幸せ」そのものを否定するのではなく、それを再構築できないかと望んでいる。 そして、結婚にも家族にも「愛」がないともたないという。 また、筆者は専業主婦に対して否定的なのだが、実体としての家族は根本から腐っているとして、家族幻想を解体することを提唱する。 それに対して、岡田氏は「愛情」に代わって「責任」をもちだす。 専業主婦の否定というと、本サイトと非常に似ているが、根本的なところで違いがある。 本サイトは、専業主婦が成立する制度的な面を問題視するが、筆者は前記のごとく専業主婦制度を肯定する。 そして、専業主婦はずるいといって、専業主婦個人を問題にする。 制度を肯定し、その制度を選んだ人を否定するのは、論理矛盾であろう。 そのため、岡田氏から次のように批判される。 岡田−現にいま引きこもってる人に対して、現実に戻れるチャンスが実際には事実上ないのに「外に出ないのはおまえが楽だから」とは僕は言えない。世の中の雇用条件が完全に男女平等になったら、そしたら初めて僕は、「女は働かなくてずるい」と言いますけど、今の状況ではよういわんですよ(笑)。 速水−「機会がない」というのは、私も以前はそう思っていたんですけど、いろいろ聞いてみると、結局家庭にいるのが楽だからなんですよ。面倒くさいんですよ。 岡田−働く方が損だからでしょう。でもそうなると、彼女らにとって、離婚するメリットつて何かあるんですか? 現在の制度は、単身者より結婚して子供を持つ者が有利にできている。 だから、多くの人がいまだに結婚を選ぶ。 しかし、その制度が疲労し、制度が人々を苦しめている。 制度が上手く機能しないから、専業主婦に有利な現在の制度を変革する必要がある。 それには核家族から単家族に、制度を変えることだ。 核家族から解放されているように見える筆者だが、愛を口にしてしまうところから、核家族の幻想に取り付かれていることが分かる。 岡田氏の発言がなかったら、本書の主張は論理矛盾したままで、まったく不明のままである。 本書が上梓されることは、フェミニズムにとっても家族にとっても害悪だろう。 (2005.12.10)
参考: G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005 越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972 大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002 J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997 磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003 賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997 E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001 S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001 石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002 マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003 上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990 斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001 斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997 島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004 伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004 山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999 斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006 宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000 ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983 瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006 香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005 山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006 速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003 ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004 川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001 菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005 原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003 A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998 ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001 棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999 岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992 加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004 バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001 中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005 佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984 松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993 森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997 林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997 伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998 斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009 高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006 デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995 ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997 ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997 編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995 ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005 広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002 服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972 ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005 奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
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