匠雅音の家族についてのブックレビュー    三くだり半と縁切寺−江戸の離婚を読みなおす|高木侃

三くだり半と縁切寺
江戸の離婚を読みなおす
お奨度:

著者:高木侃(たかぎ ただし)−−講談社現代新書、1992年 ¥680−

著者の略歴−1942年ソウルに生まれる。中央大学法学部卒業。同大学院を経て、現在、関東短期大学教授。専攻は、日本法政史・家族法。著書に、「縁切寺満徳寺の研究」成文堂、「明治前期身分法大全1〜4巻」共編、中央大学出版部
 江戸時代の話、女性はたった一枚の紙きれで簡単に離縁された、と人は言う。
その紙切れを称して、三くだり半という。
3行半に書く習慣だったから、離縁状を三くだり半と呼んだとか。

それは次のようなものだった。
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    この花と申す女、いずかたへ
    縁つき候とも、私方にては
    いっさい構えなきござ候、後日のため
    差し出し申し一札、よって件のごとし
     安政四巳
       小金井村 七郎右衛門P32

 それでは、女性は本当に紙切れ一枚で、簡単に離縁されたのだろうか。
本書は離縁状を丹念に読みこむなかから、その疑問に答えようとする。
結論から言えば、三くだり半が夫から妻に渡されたからといって、
妻が泣く泣く実家に帰っていたわけではない。
江戸時代には離婚は恥でも何でもなかった。
気に入らない男性を、さっさと見捨ててしまった女性もいた。

 現在、離婚が増えていると巷間では騒いでいるが、
明治前期の離婚はすこぶる多い。
現在の離婚率は、増えたといっても1パーセント台だが、
明治初期には4パーセント近かった。
これは江戸時代の離婚の多さを反映したものだといわれる。

 この離婚は、夫による一方的な追い出し離縁だったのだろうか。
実は、追い出し離婚だけではなく、
妻のほうからの飛びだし離婚も多かったのだと、本書はいう。
しかし、女性の再婚にあたっては、離縁状が必要だったので、必ず三くだり半は書かれた。
夫には三くだり半を書く権利ではなく、書く義務があった。
権利と義務では、その性質はまったく正反対である。

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 江戸時代は、男尊女卑の家制度によって、女性は圧倒的に不利な状況に置かれた。
女大学に見るように、夫こそ天であり、
主人であると諭されたが、実態はどうも違うようである。
武士階級にあっては、妻は持参金を背景に強い発言力をもっていたし、彼女たちは離婚をも厭わなかったという。

 武士階級の離婚率は、10パーセントという高率で、しかも女性の再婚率は50パーセントを超えていた。
「貞女二夫にまみえず」といったことは、男性の願望にしか過ぎなかった。
庶民に目を転じれば、女性の優位がいっそう増すのは当然である。
女性は自らが貴重な労働力であるから、軽い扱いを受けていたはずはない。

 江戸時代の離婚にあっては離縁状の授受が、妻にとつても夫にとつても法律上の要件であったから、離縁状は授受されさえすればよかった。したがって、その記載内容はまったくのタテマエであって、家とか家風の文句すらタテマエとして実態とは無関係に使用された例もある。そして夫の方にも離婚の確証が要求されたので、離縁状を渡した妻から「離縁状返り一札」をとった夫もある。そこには離婚当事者としての妻本人の存在が感じられるが、すくなくとも妻実家が引き受け手として重要な役割を担った。それが徹底したのが「先渡し離縁状」で、妻方が離婚権をにぎつた。P101

 夫婦双方での協議離婚が主流であり、
夫からの追い出し離婚だけで、江戸時代を見るのは誤りである。
次の5つの場合は、妻から一方的に離婚できた。
現在の離婚条件よりも、はるかに女性に有利だった。

   1.夫が妻の承諾なしに、妻の衣類など持参財産を質に入れたとき
   2.妻と別居もしくは音信不通つまり事実上の離婚状態が3〜4年続いたとき
   3.髪を切ってでも離婚を願うとき
   4.夫が家出して12カ月(古くは10カ月)が過ぎたとき
   5.比丘尼寺(縁切寺)へ駆け込んで、3カ年が経過したとき

 江戸時代の縁切寺は、鎌倉の東慶寺と群馬の満徳寺だけであったが、
妻からの離婚靖求もかなりの程度に認められていた。

 働かなくてもすむ専業主婦はいなかったので、すべての女性は労働力だった。
未婚・既婚を問わず、江戸時代の女性たちはよく働いた。
働き手である限り、女性の存在が軽んじられることはあり得ない。
むしろ明治の中頃になって、民法によって家制度が敷衍され、
男尊女卑が強制されたことによって、女性の地位は厳しいものになったのである。
江戸時代の男女関係を、冷静に見直すために、本書は最適な事例を提供してくれる。
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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