匠雅音の家族についてのブックレビュー    不倫の歴史−愛の幻想と現実のゆくえ|サビーヌ・メルシオール=ボネ

図説 不倫の歴史
愛の幻想と現実のゆくえ
お奨度:

著者:サビーヌ・メルシオール=ボネ−原書房、2001年   ¥3200−

著者の略歴− コレージュ・ド・フランスのジャン・ドリュモー教授の助手を永年勤めた。「鏡の歴史」「ディアンヌ・ド・ポワチエ時代のライフスタイル」「反逆する女力トリーヌ・ド・フルボン」など、著作多数。オード・ド・トックヴィル参考図書の執筆に参加。美術史、文化遺産研究。最新の執筆協力作品は「フランス美術館博物館ガイド」

 不倫や姦通が成り立つためには、結婚という制度がなければならない。
いまや結婚制度は大きく揺らいでおり、かつてのように子孫を残すことが、結婚だとは考えなくなりつつある。

 本書は、古代ギリシャから現代まで、フランスを中心とした不倫観をたどったものである。
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本書を読んでまず感じるのは、庶民と支配階級ではまったく異なった倫理が支配していた、ということである。
支配者たちは、有り余る時間とお金をつかって、自分たちだけに通用する倫理観をもっていた。
しかし、庶民は支配者の倫理観とは無関係に働き続けた。
庶民にとって、結婚が意味するのは、互いに生きていくための方策だった。

 古代ギリシャには奴隷がいたのであり、自由民というのは庶民ではない。
今日的には、むしろ支配者と言っていいかもしれない。
民主主義の手本のように言われるアテネだが、今日と同じ次元で考えるわけにはいかない。
しかも、男性と女性に対しては、まったく異なった政策が実施されていた。

 姦夫に対する制裁行動はアテネの為政者たち、すなわち紀元前7世紀のドラコンや、その一世紀後のソロンの思想に適っている。ソロンは、ドラコンの思想を徹底させ、強姦、売春、誘拐の罪は高額の罰金で購えるが、姦通は購えないとした。そして名誉を損なわれた者(父、兄弟または夫)が姦通の現場を押さえたら、恥をかかせた相手を殺していいと認めた。汚らわしい犯罪に見合った、みせしめの刑を与えてやらねば! なぜなら姦通は市全体に害を及ぼす。P15

 農耕社会での女性の社会的な地位は、現在ふつうに思うほど低くはない。
とりわけ働く庶民にとって、女性をないがしろにしたら、毎日の生活に差し障りがおきる。
非力とはいえ、女性にも充分の仕事があり、女性もれっきとした労働力だった。
だから労働力に応じて、女性の家庭内地位はそれなりに確保されていた。
しかし、支配者たちにあっては、事情はまるで違った。

 支配者たちにとって、仕事とは支配することである。
支配には多くの場合、男性しか用はなかった。
なぜなら、農耕時代の支配とは、戦闘行動がその根幹を支えており、
戦うことは男性の独占領域だったから、女性は支配という仕事に参加できなかった。
そのため、支配階層にあっては、女性の地位はきわめて低かった。

 古代ギリシャで、アテネの女性は法的に未成年の扱いを受け、なにも権利を持たなかった。滅多に外出せず、夫ともたまにしか顔を合わさず、もしかしたら寂しい生活をひっそり、男女の奴隷たちと嘆いていたのかもしれない。妻の唯一の務めは、夫の財産を受け継ぐ嫡子を産むことだった。家の管理をし、生涯、家の主(クリオス) に従属させられた。夫を自由に選ぶことは不可能で、結婚を決めるの  は父親か後見人だった。夫がアテネ内外の自由身分の女性と浮気した場合、妻はアルコンと呼ばれる  行政官に離婚請求することだけが許された。P19

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 もちろん離婚請求が、簡単に認められるわけがなかった。
働きのない女性の発言は力にならなかった。
女性側の落ち度などが、きびしく追求された。
しかも、離婚した女性は恥さらしと見なされ、
生きていくことが難しかったとすれば、夫の不倫も見て見ないことになった。
支配階層の女性は、現在の専業主婦と同様に、子供を産むこと以外に存在価値がなかった。
農耕社会の支配階層にとって、女性は男性の所有物だったのである。

 聖書の教えでは、未婚、既婚男性を問わず、既婚女性との性的関係を禁じている。それは妻、使用人、家畜に対する夫の所有権の侵害であり、戒律違反の汚れだからである。違反者は投石刑で殺された。「隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる」(レビ記)古い時代には、夫が浮気をしても相手の女性が結婚していなければ罪に問われなかった。P50

 こうした時代がながくながく、ほんとうに長く続いた。
それが近代という、庶民が主人公だと言われる時代になって、やっと少しずつ事情が変わり始めた。
働かない貴族を打ち倒し、誰でも働き、
しかも働くことを良しとする社会が実現されて初めて、女性の労働も認知された。
それでも女性の労働力が、社会の主流を支えるには至らなかったから、女性の地位は低いままだった。

 19世紀にいたって、女性の婚外の恋がうたわれ始めたが、決して主流ではなかった。
恋にうつつを抜かすことができたのは、働かない貴族たちである。
没落しつつある貴族たちの男女観は、来るべき社会の主流にはなり得ない。

 神経の細い普通の女性にとって、評判を危険にさらす不倫の道は障害物走に等しく、たとえゴールしてもなかなか素直に楽しめなかった。家族の目を逃れて恋人とこつそり落ち合い、ホテルの守衛の視線に怯えながら不安に苛まれる。罪の証拠を隠滅し、幸せを手に入れた代償に、後悔の念に苦しむ。夫は夕刊に没頭し、妻にほとんど気を留めていないというのに! 倫理感の強い妻は過ちを犯したことを認めたくなくて、裏切りを正当化しようとする。P190

 現代では女性の労働に、非力さが障害ではなくなった。
働くことによってのみ、男女の差別が解消される。
女性も男性と同様の経済力ができた。
そこで男女の社会的な関係は、大きく変貌を遂げた。

 アンシヤン・レジーム下で大罪、19世紀で軽犯罪だった姦通は、21世紀を迎える今、処罰の対象ではない。今日では完全に個人の問題として容認され、多くの場合許される。妻に貞淑を求めて夫は遊び回る、あるいは妻の姦通を非難して夫の浮気は見過ごす、といったかつての二重道徳に、現代人は苦笑するだろう。姦通という言葉もほとんど使われなくなつた。P235

 しかし、農耕社会に生きるイスラムでは、いまだに姦通なる言葉は現役である。
そして、男性は何人かの妻をもつことができるし、
結婚した女性は家の中で暮らさなければならない。
姦通した女性は、石投刑によって処罰される。
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参考:
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