著者の略歴−ドイツ生まれの技術史家。1930年エッセンの生まれ。ミュンヘン工科大学、ロチェスター大学で学び、スミソニアン研究所職員、ドイツ博物館館長等を歴任。現在はアメリカ、ヴァージニア州に在住。 本書は技術の特徴に関する論考であり、以下の二点を立証しようとするものである。 −人間の基本的活動としての技術は、その他すべての人間的な営みと密接に関連している。したがって、あらゆる人類文化の必要欠くべからざる部分であり、よく話に聞くのとはちがって、外部の何らかの主体によって人類に解き放たれた異質で非人間的な力なのではない。 −技術と、その他すべての人間生活および文化の表出との間の相互作用的な関係を明らかにすることは可能であり、さらに所与の社会で優位を占めている政治、社会、経済、あるいは宗教的観念と、技術によってもたらされた機器類への同時代の好みやデザインとの関係のように、扱いにくくてつかみどころのない相互作用でさえ解明することができる。P3
と始まる本書は、中世後期からルネサンスにいたる時計と自動機械の解明を始める。 前半の第1部では、機械式時計の歴史や時計にかんするメタファーをのべ、 後半の第2部では、自由主義のシステムについて述べる。 まずなによりも時計は、人間生活に不可欠のもではない。 時計が必要とされ始めたのは、組織化された共同体を運営するためだった。 時計を持ち込むことによって、宗教改革が準備されたのである。 時計はその正確さから、分析的な哲学理論にも影響を与えた。 哲学といえば、当時は数学ともつながっていたし、天文学ともつながっていた。 そして、時計を世界にたとえた世界機械なる言葉が生まれた。 そして、時計は、秩序、権威、生命へと収束し、それは神へと連なった。 それまでの融通無碍な自然の時間から、機械時計による時間の融通のきかなさが、近代の論的な思考へとつながる。 筆者は時計のもつ正確さ、精巧さを、さまざまなメタファーとして読み込んでいく。 そして、当初肯定的だった時計のメタファーは、逆に中央権力傲慢さとして、機械国家への非難となって表れる。 機械が悪を象徴すればするほど、善は自然や生命と同一視されたのである。 時計が象徴した堅固な秩序は、 17〜18世紀初頭のイギリスにおいて、自由の名のもとに拒絶された。 自由と秩序は相反する概念だが、自動制御とフィードバック制御なるものが、それに対応する。 そして、自動制御システムが、自由主義的な秩序概念に合致した。
勢力の均衡が望ましいなら、自由放任が適切である、とルソーは結論付けた。 しかし、誰からも賛成されなかった。 そして、イギリスにおいて、立憲君主制が確立されると、それが自動制御の自立システムとして評価され始めた。 そして、貿易収支の面では、自動制御的思考は完全に上手くいった。 自動制御の概念を本当に定式化したのは、アダム・スミスの国富論である。 市場価格は需要と供給の差の関数である。 市場価格は需要と供給をコントロールし、需要と供給は市場価格をコントロールする。 ここで自動制御の思考が成立している。 権威主義的な秩序概念が、17〜18世紀のヨーロッパ大陸を支配していたが、イギリスでは自由主義的な影響を受けてきた。 われわれはさらに、自由主義的な秩序概念と技術との関係を考察する必要がある。これまで検討したような、自由主義によって変質させられた秩序の出現を扱ったさまざまな哲学上の議論には、これといった技術関連のメタファーが出てこなかった。一見して、次のように結論づけた人もいるだろう。この秩序の概念は技術の影響を受けなかったのだ、と。しかし、それとは別の相互依存が、水面下に存在したかもしれない。自由主義的な秩序概念に統一性を与えたものは自動制御の概念であり、これは、とりわけ技術的な概念だった。P275 イギリスで自由主義的な秩序概念が登場したのと、 自動制御のメカニズムが隆盛になったのは、同じ時期である。 両者は相互依存の関係にある。 また大陸においても、機械時計と権威主義的な秩序概念が生起したのは、同時期である。 したがって技術は、文化における知的生活の一部である、と書いて筆者は筆をおく。 機械時計と自動制御装置は、反対の概念を導き、背中合わせの関係にあった。 技術と社会の相互作用を、時計を手がかりに分析した本書は、 ユニークでありなかなかに説得力がある。 しかし、メタファーに頼るところが、結局一つの試論にしか過ぎない感を抱かせる。 (2003.8.1)
参考: 松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984年 アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994 鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005年 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 鮎川潤「少年犯罪 ほんとうに多発化・凶悪化しているのか」平凡社新書、2001 アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984 ジル・A・フレーザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003 菊澤研宗「組織の不条理−なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか」ダイヤモンド社、2000 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975 E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995 M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989 アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975 E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988 イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001 ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997 橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984 石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007 梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000 小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001 前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001 黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997 フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001 ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979 エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985 成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000 デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007 北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006 小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000 松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001 斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978 ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988 吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983 古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000 ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003 三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005 ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005 フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974 ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990 ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000 C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007 オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006 エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992 森山大道「犬の記憶」河出文庫、2001
|