著者の略歴−1908年カナダ生まれ。経済学者、政府機関勤務、ケネディ政権下のインド大使、「フォーーチュン」編集長などを経験、49〜70年ハーバード大教授。主著「アメリカ資本主義」「自由の季節」「新しい産業国家」「不確実性の時代」「マネー」など。 1958年という昔に出版された本書は、すでに古典といっても良い扱いを受けている。 しかも、何度も版をかさね、すでに第4版まで改訂されている。 50年代が、アメリカの輝いていた時代であることを反映してか、全体に楽観的なトーンであるが、鋭い指摘は現在でもじゅうぶんに通用する。 豊かな社会の賛美者としてのみ、筆者をとらえる向きもあるが、筆者の視線は社会全体に届いている。
貧困からの脱却が何よりも優先された前近代、経済学はいかに貧困を撲滅するかが、最大の指命だった。 一握りの有閑階級が満ち足りた生活をし、多くの庶民は満足な生活ができなかった。 前近代ではそれがあたりまえで、庶民が貧乏でいることは、何の問題にもされなかった。 それが近代に入ると、庶民が貧乏であることは、社会の活力を欠く原因となった。 つまり生産物を買うのは、庶民であることに気づいたのは、近代である。 大衆消費社会のほうが、王様や貴族の消費より多い。 そこで、国民経済の活性化をめざして、経済学が誕生するのである。 本書の前半は、経済学史的な記述が多く、やや退屈にも感じる。 経済学はその生い立ちから、貧困を見つめてきたので、社会が貧しいといった先入観から抜けられなかった。 しかし、絶対的な貧困から脱却し、アメリカでは貧乏が少数派になっていた。 そうした時代には、経済学も以前とは異なった見方が必要だったが、多くの人は豊かであることに無頓着だった。 豊かな社会であるという筆者の指摘は、最も早い時期にあるもので、時代への見方を変えたといってもいい。 大衆の貧困化の不可避性、自然の生産手段の所有者の富裕化、賃金と利潤との避けがたい争い、そして利潤優先による経済進歩、といったリカードの結論は、怒った人の手に渡ると、革命への呼びかけにもなりかねないからである。資本主義に対する考え方が暗いという点では、リカードとマルサスもマルクスに劣らなかった。しかしマルクスの使命は、リカードやマルサスとはちがって、欠陥を指摘し、罪の責任を追及し、変革を促し、そしてとくに規律的な信条を募ったことである。規律的な信条をえたという点でのマルクスの成功は、モハメット以来例のないものであった。P118 ヨーロッパが戦争の疲弊から立ち直れなかった50年代、アメリカは豊かさを独り占めした。 貧困は革命を招来するから、体制側は共産主義化を恐れると同時に、貧困の撲滅につとめはじめた。 しかし、貧困の撲滅が成功したのは、分配が公平になったからではない。 富に恵まれた人は、過去何世紀もの間、その富を正当化するためにいろいろ手の込んだ尤もらしい議論を展開してきた。 こうした議論に対して自由主義者は本能的にきびしい態度をとってきた。しかし、最近の何十年かの間に大衆の物質的な生活が非常に向上したのは、所得の再分配ではなくて生産の増加によるものであって、先進国に関するかぎりこの事実は何とも否定しようのないことである。そこで自由主義者も、半信半簸ながらも、この事実を受け入れるようになってきた。その結果、経済の拡大という目標がアメリカの左翼の通念の中に深く織り込まれることになった。P150
だから、圧倒的多数の貧乏人の声にも、耳を傾けなければならなかった。 しかし、アメリカでは今や貧乏人は、少数派になってしまった。 外国の豊かな人を比べても、アメリカの貧乏人はけっして貧しくない。 貧しくない庶民が、社会の大多数をしめる社会では、それまでとは価値観が異なる。 第19章の「転換」から後半は、本書の主張が鮮明になる。 荒野を開拓してつくられた国においては、節約と労働とが万人の義務であった。生活それ自体を支える財貨の供給は、節約と労働によって維持され、拡大されたからである。そして経済学の主流あるいは古典的な伝統は、経済行動の分析と経済制度のための一組の規則以上のものであった。それは道徳律をも含んでいた。世界は人間を生活させる義務はなかった。人は働かなければ食えなかった。こうして課された義務は、自分のため、そしてそれとともに他人のために働くよう人間に要求した。P346 少数の金持と多数の貧民がいたからこそ、不平等と貧困に対する関心は切実でありえたのだ。多数者がゆたかになったので、たとえそれ以外の人びとがもっとゆたかであっても、この問題は決定的な政治問題ではなくなった。しかし不幸にも、不平等が問題にされなくなってもすべてがきれいになったわけではない。半端な、しかもある意味でははるかに救いがたい問題が残されているのだ。P385 労働時間は大きく短縮されてきた。 1850年頃には、週70時間くらい働かされた。 週6日働くとして、だいたい12時間労働である。 明治から大正時代へと、12時間労働はわが国でも同様だった。 しかし、長時間労働で有名なわが国でも、いまや週40時間である。 これは生活のために、全生活時間にわたって働くことから、解放されたことを意味する。 かつての労働工場は、汚く厳しく不健康なものだった。 多くの人がブルーカラーだった。 しかし、肉体労働者がへったことは、労働への動機付けを変えてしまった。 有閑階級ははとんどいつの時代のどの社会にも存在した。有閑階級とは労働を免除された人びとの階級である。近代では、そしてとくにアメリカでは、有閑階級は、少なくともそれと識別しうる現象としては、消滅した。怠けていることはもはやとくであるとは考えられていないし、また必ずしも尊敬すべきことと考えられてさえいない。 しかし、この有閑階級に代って、別のもっと大きい階級が現われていることは、ほとんど気づかれていない。昔は、仕事といえば、苦痛、疲労、その他の精神的または肉体的な不快さというひびきをもっていたが、この新しい階級にとって仕事はそのようなひびきを全然もっていない。 そしてまた、コンピューターによって仕事の質がひき続き変革されていることにより、この新しい階級の成長が加速されている。P399 もちろん本書は、新たな現象のマイナス面にも、充分に目を注いでいる。 しかし、いずれにせよ絶対的な貧困がなくなったことは確かだし、ほとんどの赤ん坊が老人になれる時代がきた。 こうした指摘が、1958年になされたことを思うとき、本書の先見性が明瞭になる。
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