著者の略歴−1895年秋田県生まれ。東洋大学専門部倫理学東洋文学科卒業。民俗学者。柳田国男に師事,精力的な民俗調査・研究で日本の民俗学発展に尽力。大妻女子大学名誉教授。日本民俗学会名誉会員。著書に「女の民俗誌−そのけがれと神秘」柳田賞受賞、「婚姻覚書」「海女」「若者と娘をめぐる民俗」など多数。1984年没。 1957年(昭和32年)に、本書は初めて上梓された。 筆者はわが国の庶民が、どんなものをどのように食べていたかを、丁寧に追っている。 前近代の影響が色濃く残っていた戦前の農村部では、生きること自体が厳しいことだった。 誰もが自分の肉体で、激しい労働に従事しなければ、生きていけなかった。 身体が元であることは、今も昔も変わらない。 しかし、肉体労働と今日のようなデスクワークとでは、身体のあり方、使い方はまるで違う。
わが国は、昔から米を食べていたように思いがちである。が、国民の全員が米を口にするようになったのは、戦後の食糧管理制度ができてからである。 戦前、軍隊に召集された若者が、米の飯が食えたと感激した話など、すでに忘却の彼方である。 米を作っている農民は、米を食べたとは限らなかったのが、前近代だった。 今から百年前の明治初年までは、日本の人口の大部分が村に住んでいて、塩以外は買わない、という程の自給自足の食生活をしていたのであるから、その地方の農作物の変遷と食料の変遷は大かた一致していたと見てよい。その上領主への貢米という政治的な事情によって、武士階級や都市民がより多く米を食したので、百姓はより多く稗や粟のような雑穀を食わなければならなかった。(中略)命令されるまでもなく、庶民はよい米は上納し、その次は売米にし、屑米、砕米を飯米にするのが常識で、雑穀を多く用い、砕米の粉や薬草を交えて食用にし、正月や盆に米の飯を腹一杯食うことをたのしみにしていたのである。P46 飽食の現代からは想像もつかない。 食料を自給自足していた前近代では、飢饉で餓死した記録すら残っている。 乏しい食べ物を食いつなぐ苦労は、枚挙にいとまがない。 本書はそうした先人の苦労を、克明に伝えている。 前近代にあっては、食べることにもっとも意が注がれた。 私はかつての食糧事情や生活環境を想像するたびに、現代がどれほど良い時代かと思う。 もちろん現代にもたくさんの悩みはある。コミュニケーションの不在とか、家族の崩壊といった話もきく。 しかしそれでも、前近代に戻ろうとは決して思わない。 のどかに見える農村には、因習がはびこっていたし、何よりも生きることが困難だった。 古き時代をよきものと懐古するのは、知的怠慢以外の何ものでもない。 と同時に、厳しい時代を生きた先達たちには、ほんとうに頭を下げたい。
封建時代には、男性が威張っており女性は虐げられていた、そう言う人がいる。 しかし、男女が同じ野良仕事をしていた時代には、決してそんなことはない。 女性の地位が低下したのは、むしろ近代に入ってからである。 近代に入って、生産労働から離れた女性が、家事労働の専従者になった。 いわゆる専業主婦が誕生し、性別による役割分担が始まってから、女性の地位は劇的に低下したのである。 筆者は、農村では男女ともに同じ仕事についたので、食事は比較的平等だったと言っている。 それは当然だろう。 肉体労働に従事するには、食べなければ力がでない。 女性だけが食べずに働けるはずがない。 働かないものを養えるほど、農村は豊かではない。 全員に食べ物を与えて働かせるのが、妥当な選択である。 とすれば、女性も男性と同じ食生活があったとは、簡単に想像がつく。 食べる量は、肉体を使う労働の激しさに比例している。 ひんばんな食事は、結局胃の腑に入る食物の総量如何ということになる。どこでも純米ばかり食っているわけではないが、田植・麦こなし・稲刈・麦蒔の頃の男子の食量は1日8合、冬の間は6合と概算している村がある。男子は1日8合が普通であるが、夏秋の忙しい季節は9合〜1升は入用であるという地方もある。労働のはげしい季節には1人7、8合入用であるが、外働きをしない冬の季節には4合でよい、食量と労働量は比例する、というのが普通である。P208 もちろん、お酒は毎晩に晩酌できたわけではない。 祭りや厄日にだけ、お酒を飲んだのであり、しかも今日のように酒屋で買うものではなかった。 味噌や漬け物からはじまって、ほとんどの食糧を自給していたのだから、どんな食べ物も店で買うということはなかった。 肉体労働は爽快な空腹感をもたらすが、頭脳労働はストレスばかりを残す。 今日では働いても、腹が減るとは限らない。 身体を酷使しない今日では、かつてと同じような3度の食事は、もはや不要かもしれない。 厚生省は国民の基本カロリー値を下げたが、3度の食事は単なる習慣かもしれない。 産業構造が変化しても、人間の生活習慣は、なかなか変わらないものである。 本書は、昔の人の厳しい食生活を、きっちりと浮かびあがらせてくれた。 「アメリカがまだ貧しかった頃」と同じように、先人たちへの暖かいまなざしを感じる。 生活のソフトを記録する作業は、ぜひ続けたいものである。
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