匠雅音の家族についてのブックレビュー     閨の睦言−よがり声の研究|福田和彦

閨の睦言  よがり声の研究 お奨度:

著者:福田和彦(ふくだ かずひこ)−現代書林、1983年、 ¥1300−

著者の略歴− 大阪,堺市に,1929年に生る。文化学院文科,東京写真大学技術科,アテネ・フラソセに学ぶ。美術史家(主に東洋美術史,日本庭園史,浮世絵史など)。性良俗史家,詩人,写真家,映画評論家としても活躍する。1967年より,インド,東南アジア諸国,アメリカ,ヨーロッパ(英国,フランス,イタリア)の各地において美術研究生活をおくる。1958年から金沢美術工芸大学産業美術学科の主任講師を勤める。1963年.第一回国際工業写真展(チェコスロヴァキァ)において最高賞(グラン・プリ)を受賞する。現在,フリーの著述生活に専念する。主要著書:「映画とエロティシズム」「乳房の歴史」「エロティシズムの世界史」(全4巻),「日本の城下町」「枯山水の庭」「秘巻浮世絵」(7冊),「前田家伝来衣裳」「世界性風俗じてん」,「JAPANESE STONE GADEN」(アメリカ,英文),「L'ART EROTICA  GIAPPONESE」(イタリア,イタリア語版)「閨の秘伝を教えます」(現代書林)など,100冊余
 男女の愛欲の世界にも、女性差別は貫徹する。
女性は犯される存在である、と言われる。
そのため、男性器が女性の身体に挿入されるセックス自体が、
男に対する女の劣位の確認だとアンドレア・ドウォーキンはいう。
彼女のような立場からすれば、本書はとんでもない女性蔑視の研究と言うことになるのだろうか。
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閨の睦言―よがり声の研究

 愛欲は人間の精神を弛緩させ、人間性が素っ裸にされる瞬間である。その瞬間、男と女は一切の社会的な絆から解放され、厳しい道徳律からも超越する。それは真の<自由解放区>である。外界から遮蔽され、二人だけの密室的な世界に変貌する。ハンス・オールの言葉ではないが、秘密の世界、核の世界である。P4
 
 社会に男女差別があれば、それが寝室にまで持ち込まれるのは当然であり、
筆者が言うように寝室では倫理性も常識もない、というのは必ずしも真実ではない。
人間は社会的存在だから、人間である以上、どんな状況にも社会性は忍び込んでくる。
セックスは差別だというアンドレア・ドウォーキンの言葉は一面では正しい。

 しかし、男女の交わりは、生き物としての行為でもあり、性交に社会性のみを云々することはできない。
だから、恍惚感によって思わず漏れる言葉を、男女差別の確認だというのは、すこし残酷なようにも思う。
セックスを差別だと言うことによって、むしろセックスを否定しかねない。
男女ともにセックスの喜びは謳歌すべきだ。

 オルガスムの時に発せられる声をよがり声とよぶが、これには古くからの常套語があった。
「おします」「死ぬ」「疾く」の三語は、多くの古典に見られる。
「おします」は「いく」であり、「疾く」は「はやく」である。
これらの言葉は、口から自然発生的にでるものなのかもしれない。
いわば生物的な音であるために、数百年も昔から、変わらずに使われているだろう。

 筆者の書き記す内容は、古典の文献から拾ったもので、12〜3世紀の絵詞や草子をもとにしている。
そして最近の例では、明治の頃までを渉猟している。
もちろん、資料のたくさん残っている江戸時代が、もっとも詳しいのは言うまでもない。
たとえば、下記のセリフは、女性の口から発せられる言葉である。

 あア、もう、なんとも言ようもなく、よくって、よくって、ならねえわな。いつしても、こんなにいいものは、またねえのを(またとないものを)、それ、もっと腰を引っ立て、奥の方をぐっと強く当るように突いて呉ンな。あア、いい、ふう、ふう。あれ、突き外して気を揉ませると、虫の毒だよ。まだ、わしもいかねえものを、おめえはもちっと、こらえて呉ンな。たった三度めが、いまいきかかったものを、せめて七度もやらねえけりやア堪能しねえ、あア、ふう、ふう、なぜこんなに、おめえは女の気をやらせることが上手だのう。それ、いいよ。あア、どうも、ふん、ふん、あれさア、もう、どうしよう、よくって、よくって、ならねえ。P77

とは、浮世絵「ついの雛形」にある書入れ詞である。
書かれた言葉だから、男性の手になるものだろう。
今日のポルノと同様に、女性をモノとしてみている、といった批判もなりたつだろう。
しかし、女性が労働力として、生産活動に従事していた前近代にあっては、
女性の地位もそれなりに確保されていた。
とすれば、書かれた言葉もあながち無視する必要もないだろう。
よがり声は女性があげるものといわれるが、本書では男性もさかんによがり声を出している。

 ところで、こうした研究は女性からも、アプローチされて良いように思う。
フェミニズムが性の解放を唱えるのであれば、性交の快楽をより大胆に主張すべきだし、
その先達としての女性たちを賛美することは、大いに促進すべきである。
海外の女性たちは、セックスの謳歌に関して大いに発言しているが、
寡聞にしてわが国の女性フェミニストたちの発言は聞くことがない。

 種は男女によって維持されている。
セックスは男性だけがするものではない。
女性もセックスの当事者である。
セックスは女性が研究できる分野である。
「張形」でも述べたが、女性の文章は自分の性体験を経ていないように感じる。
自分の体験を踏み台にして、それを対象化し理論化する作業が、女性は下手なのだろうか。

 女性は被害者だ、弱者だと言うが、セックスにおいては必ずしもそうではない。
たしかに男性器が勃起しないと、性交には至らないが、
男女の交わりは女性からも働きかけは可能である。
むしろ、女性が受け身だというのこそ、社会的に作られた女性のイメージであり、女性差別の成果ではないだろうか。 

 女人は口癖のように、女は受身だから、性についてはつねに被害者の立場にあると称しているが、これは詭弁である。けっして女人は受身などではない。(中略)女陰という下の口は、男のものを取りあげて口に入れるのであって、積極的な行為ではあるまいか。男は常に下の口で食べられる側であって、提供者に過ぎないのだ。男は女人の手管によって錯角し、騒されっばなしなのだ。P99

という筆者の発言には、完全には賛成できない。
その理由は、個人と社会の位相を同じレベルで論じるという、わが国の大学フェミニストと同じ混同をしているからだ。
しかし、人間が行う男女の交わりは、生き物としてのそれでもある。
ここには男女の序列は入り込む余地はない。

 男女の肉体が異なる以上、そこから発生する事象に違いがでるのは当然である。
その違いを否定したら恋愛はなりたたず、人間という種は滅びる。
人間は社会的な生き物だから、社会からの存在被拘束を受けるのは事実である。
しかし、問題にしなればならないのは、性別による社会的な対応の違いであり、差別的な制度である。
社会的な制度を変えることによって、結果として意識が変わるのであり、直接的に意識を変えようとするのはファシズムである。

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参考:
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オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」 KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
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大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
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石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
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能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」中公文庫、2006


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