匠雅音の家族についてのブックレビュー    エロスの涙|ジョルジュ・バタイユ

エロスの涙 お奨度:

著者:ジョルジュ・バタイユ ちくま学芸文庫、2001年  ¥1300−

著者の略歴−1897〜1962年。戦前から戦後にかけて、文学・芸術・思想・社会学・人類学・政治など広範な領域で批評活動を行い、現代の思想、文学に大きな影響を与えつづけている。著書に『無神学大全』『呪われた部分』『エロティシズム』『宗教の理論』『至高性』など。小説に『青空』『眼球譚』『マデム・エドワルデ』など。
 1961年にフランスで出版された本書は、筆者の最後の著書である。
訳者によれば、筆者の書いたもののなかで、最も良い本であると同時に最も親しみやすい本である、と筆者が語ったという。
しかし残念ながら、筆力はすでに衰えてきており、筆者のもくろみは充分に成功したとは言えない。
TAKUMI アマゾンで購入

目次
 序
第一部 始まり−エロスの誕生
T死の意識
1. エロティシズム、死、″悪魔″
2. 先史時代の人間と絵画洞窟
 3.死の認識に結びついたエロティシズム
 4.ラスコー洞窟の″竪坑″の奥における死
U労働と遊び
 1.エロティシズム、労働、小さな死 
 2.二重に呪術的な洞窟 
第二部 終わり−古代から現代へ
Tデイオニュソスあるいは古代
 1.戦争の誕生
 2.奴隷制と売春
 3.労働の優位性 
 4.宗教的エロティシズムの発展における下層階級の役割 
 5.エロティックな笑いから禁止へ
 6.悲劇的エロティシズム 
 7.侵犯と祭りの神デイオニュソス
 8.デイオニュソス的世界
Uキリスト教の時代
 1.キリスト教的断罪から病的興奮へ(あるいはキリスト教から悪魔主義へ)
 2.絵画におけるエロティシズムの再出現
 3.マニェリスム
 4.18世紀の自由思想とサド侯爵
 5.ゴヤ
 6.ジル・ド・レーとエルジエーベト・バートリ 
 7.近代世界の進展
 8.ドラクロワ、マネ、ドガ、ギュスターヴ・モローおよびシユルレアリストたち
V結論に代えて
1. 魅惑的な人物たち
2. ブードゥー教徒の供犠
3. 中国の処刑


 という構成になっている。
筆者は冒頭で、エロティシズムを定義しようとして、堂々巡りをくり返す。
若い時代なら、エロティシズムとは何かなど考えるいとまもなく、直ちに実践によって確かめているだろう。
筆者のいうように、人間は意識であるというのは事実であるとしても、それは老いたがゆえの発言だろう。
高齢によるエロスの衰えが、本書を書かせたと言っても過言ではない。

 本書の内容もさることながら、文章の量も少なく、大半はカットや写真で埋められている。
338ページのうち、96ページしか文章がない。
しかも訳者によれば、これらの写真の多くは、J=M・O・デュカの協力によっている。
協力という表現が使われているが、実情はデュカが集め、筆者はそれを追認したように思われる。
若いときには、大部を著した筆者だが、年齢には勝てないようだ。

 それとは反対に、エロティックな欲望への応答は、−詩情とか恍惚とかいった、おそらくはより人間的な(より肉体的でない)欲望への応答と同様に(だが、エロティシズムと詩情なりエロティシズムと恍惚なりのあいだの相違は、決定的に捉え得るものであろうか)−このエロティックな欲望への応答は、目的なのだ。
 本書の意味は、第一歩において<小さな死>と究極的な死との同一性へと意識を開くことである。

と、序においていう筆者だが、それに成功したとはとても思えない。
人間を動物から区別し、人間たらしめているのは、労働であるときめる。
私も労働が人間の存在を、基底において支えていると思うが、現代社会ではこの言葉はこれほど素直に語られないだろう。
いかにも1960年代の発言である。

 1960年代までは、近代がその有効性をもっていた。
前近代の農耕から工業社会へと、肉体への信頼があった。
だから労働といったときに、ここで意味するのは肉体労働である。
肉体に万全の信頼を置けた時代に、肉体労働が人間の存在を支えたのだ。
そして、頭脳労働者は高等遊民だった。

 しかし今日、労働が肉体から離れ、労働の手応えを失っている。
機械というブラック・ボックスがコンピューターを内蔵し、生産を効率的にこなす。
人間の肉体より、ずっと正確に早く生産する。ここで労働=肉体労働という言葉が、重さを失ったのである。
もはや人たる所以は、労働であるとは簡単にいえなくなった。

 本書で気になるのは、エロティシズムが男性のものとしてしか語られていないことである。
確かに男性のオーガズムは瞬間である。
だから、よりいっそうの快感を追求すれば、エロティシズムは想像の世界をさまよう妄想となる。
そして、見る快感とか、想像の快感といった形にならざるを得ない。
オーガズムを小さな死といって、ほんとうの死と同視してみても、はなしは始まらない。

 男性のオーガズムが瞬間であるがゆえに、よりいっそうの快楽の追求は、想像の世界につながらざるを得ない。
女性のオーガズムは瞬間ではなく、長い時間にわたって持続する。
何度も何度もオーガズムの山を体験する女性は、快楽の追求が想像力世界へと逃げなくても、肉体そのもので可能なように思える。
とすれば、エロティシズムはどんな形を取って想像されるのだろうか。
女性にとってのエロティシズムは、おそらく男性のそれとは違うように思うのだが。
(2003.5.9)

    感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる