著者の略歴−1956年生まれ。歴史家、作家。古典文学の教鞭をとるかたわら、ギリシャ、ローマ時代を舞台とする歴史小説を執筆し、また詩集も発表している。作品に「メッサリナ」「カピトリーノの娼婦たち」 買売春が肯定されるようになっては来たが、まだまだ愚かな女性フェミニストを中心として、買売春反対の声が高い。 売春を貧困の問題と考えずに、女権の問題としてしまうところに、視野の狭隘さを感じる。 そのうえ、我が国のフェミニズムは、女性の権利を守ることより、 自分たちの職業を守ることに熱心であるため、売春婦に対して大層冷たい。
本書は、売春とりわけギリシャとローマにおける娼婦に焦点を当てている。 ギリシャにしてもローマにしても、農業が主な産業だったから、典型的な農耕社会だったと言っていい。 とすれば、売春があった、と考えるのは自然である。 しかも、享楽的な空気の強かったローマでは、売春に限らず奔放な性関係があったらしい。 そこで男女関係の話になると思いきや、本書は何と「男同士の愛」から始まる。 ギリシア愛はエラステス(成人男性の「愛する者」)とエロメノイ(「寵愛される」少年)を結びつけ、男性同士の同棲を容認する。男性の同性愛は世界の調和を形作る「天上愛」と讃えられ、異性愛は卑俗なものと軽蔑された。このような愛の思想が広まった結果、ギリシアでは女性が軽んじられる風潮が生じた。P7 「愛する者」はもちろん「寵愛される」少年より年上で、「愛される者」は12歳以上、16〜7歳が最高とされたらしく、18歳になると落ち目になったという。 これは我が国でも同様である。 前髪を上げるまで、つまり変声期前の時代が好まれたのである。 筆者がなぜ、男娼から筆を起こしたのかは判らないが、男娼がいたからといって女性の娼婦がいなかったわけではない。 この時代、売春は悪ではなかった。 また、人間はみな同じ人間である、というヒューマニズムの意識は確立していなかった。 地中海のこと、海賊もいれば、奴隷もいた。 また、現在のような国家形態ではなかった。 そのため、海賊や外国に捕らえられると、たちまちにして奴隷となってしまうことすらあった。 当時の娼婦の最大の供給源は、本書によると奴隷だったらしい。 紀元前1世紀まで海は海賊だらけで、とりわけサモスとエトリアの海賊は有名だった。港を海賊たちが襲撃することもあった。ギリシア人は港を守る艦隊を持っていなかったからだ。売り飛ばされた女性が運良く親切な主人にめぐりあえれば、自由身分の女性として扱ってもらえる場合がなきにしもあらずだった。小アジアのカリア地方の都市、テアンゲラに紀元前2世紀の碑文が残っている。それによると、デロスに寛大な男が住んでおり、奴隷市場で女性2人を購入後、自由身分の女性として養った、とある。だがこのような幸運にめぐりあう女性は非常に少なかった。誘拐された子どもや男女が要求通りの身代金を支払えないと奴隷や婦婦、男娼として売り飛ばされるのが普通だった。誘拐罪は重罪であり、自由身分の人間を奴隷にした者には死罪が言い渡されたが、それでもいつ何時誘拐されるとも限らないのが当時のギリシアの状況であった。P53
我が国も例外ではなかった。 「東京の下層社会」や「最暗黒の東京」等が描くとおりである。 そこで没落すると、男は車引き、女は娼婦になる以外に、生きる道がなかった。 もちろん貧困が追いやったのだから、車引きや娼婦の生活は厳しく、非人間的なものだった。 近代にはいると、人間平等感が芽生え、ヒューマニズムが台頭してきた。 前近代では、貧しいのは本人の責任で、社会が面倒を見る必要はなかった。 が、平等意識の芽生えた社会では、貧しい人を救えという運動が起きるのは必然だった。 こうした背景から、売春婦を救えという売春反対運動が起きた。 しかし、前近代では少し事情が違った。 帝政ローマの遊惰ぶりは、狂人たちの断末魔のあがきにも見える。あるべき場所に駒が一つもないようなものだ。ネロ帝はみずから円形競技場で戦車競争に参加した。皇后メッサリナは娼婦に身をやつした。大ポッパエアら既婚女性は数多の愛人を作った。クラウディウス帝やネロ帝の治世には、ナルキススやパラス、カリストゥスら解放奴隷が政治を動かした。執政官のプラウティウス・ラテラメスが場末で娼婦遊びに狂っていることはローマ中に知れ渡っていた。P224 こうした事実を否定するのではなく、大ローマ帝国のもう一つの面として、全部的にローマを捉える必要がある。 今日的な価値観で、遠い時代をはかると、大きな間違いを犯すように思う。 たとえば、男性間の性関係というだけで、少年愛(=ホモ)とゲイが同じものだと考えると、本質を見誤る。 ギリシャなどの同性愛と、今日のゲイはまったく違うものだ。 本書は、性関係が複雑になることを、性が乱れるとして否定的に捉えている節がある。 また、売春それ自体に対しては、斬新な指摘はない。 しかし、性的な快楽に浸ることを、必ずしも否定してはいない。 筆者のそうした資質が、歴史をを自由な目で見させているのだろう。 図説と書かれているように、豊満な美女たちの絵や、写真などを盛り込んだ本書は、 ギリシャ・ローマの日常を想像させてくれる。 (2004.6.18)
参考: 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002 匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992
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