匠雅音の家族についてのブックレビュー     娼婦と近世社会|曽根ひろみ

娼婦と近世社会 お奨度:

著者:曽根ひろみ(そね ひろみ)   吉川弘文館 2003年 ¥2400−

著者の略歴− 1949年 静岡県生まれ。1980年一橋大学社会学研究科博士後期課程単位取得退学。現在 神戸大学国際文化学部教授。〔主要著書〕Women and Class in Japanese History,Collaboration, Center for Japanese Studies,The University of Michigan,1999。『比較文化論』(共著)世界思想社、1995。『日本の近世16 民衆の心』(共著)中央公論社、1994。『女性史研究入門』(共著)三省堂、1991
 歴史はつねに現代からの読み返しである。
筆者は売春について論じているが、売春なる概念自体が近代のものである以上、筆者の研究も現代からの読み直しになる。

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冒頭で、単純売春は否定できるか、という設問をたてて、次のように応えている。

 結論的に言えば、売春を「性的サービスを売る労働」と認める限り、単純売春を「論理」として否定したり、法的規制の対象として国家的な制裁=刑罰を科したりすることはできないであろう。なぜなら、全く自由な私人間の自由意思や合意に基づく契約、商品やサービスの売買、労働力の商品化などは、現在の資本主義的経済や市民社会を構成している核心的な原理であり、それらの諸原理に基づく行為を普遍的な「論理」や「法」として否定することは、近代国家の法体系や資本主義的な経済論理とあきらかに矛盾するからである。事実、単純売春に刑事罰を科さないことは、現在の売春規制に関する国際的な潮流であり、わが国の売春防止法も、売春禁止を宣言してはいるものの単純売春に対する刑事罰を定めていない。P7

 しかし、筆者は個人的な倫理として、売春には否定的である。
論理と心情が分離しているので、なんとなく切れ味の悪い文章になっている。
売春を否定する倫理観は、超歴史的なものではなく、家族を律する倫理と深い関連がある、と認識していながら、結局何を言いたいのかよく判らない。

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 性行為が有償になったのは、結婚制度が一夫一婦制を強めてからだという。
この認識も正しいだろう。
つまり、近代に入って一夫一婦制が強まり専業主婦が登場し、稼がない女性が生まれてしまった。
専業主婦を男性が養う正当性として、自ら稼ぐ売春婦の存在は許されなかったのだ。
性別役割による分担を認めると、女性は稼がない存在であるべきで、稼ぐ売春婦は核家族の原則に反するのだ。
だから、近代家族の裏側として、売春婦は蛇蝎のごとく嫌われたのである。

 以上の論理が確認できれば、近世の娼婦にたいしても、もう少し鋭い分析ができるだろう。
近世にあっては、売春つまり性交をうることは、現代とは違った意味をもっていた、と筆者も言っている。
それがイマイチ全体の論旨とつながってこない。
 
 第1章以降になると、江戸時代へと進んでいって、売女、熊野比丘尼、芸者、梅毒と展開されていく。
そして、婚外の性愛をあつかい、近世売買春の構造をのべる。
大学フェミニズムに比べると、柔軟な論述だが、隔靴掻痒という感じが否めない。
おそらく、売春を論理では肯定しながら、倫理では否定している筆者の立場が、本書全体を解りにくくしているのではないだろうか。

 前近代にあっては、福祉などという観念はなく、暴力がむき出しに行使されていたから、一度、貧困におちいると絶望的な生活になっただろう。
貧しい男性が、肉体労働者にならざるを得ないように、貧しい女性は売春に生活の糧を求めざるを得なかった。
そうした事情は、貧乏人たちは誰でも知っていたから、売春婦に対して近代人ほど冷たくはなかったはずである。

 アジアを歩くと、貧しい男性はリキシャなどの車引きになり、女性が春をひさぐようになる。
車引きの男性と売春婦のあいだには、同じ階層に属する人間的な共感がある。
近世では、金持ちが貧乏人を蔑視した。
しかし、貧乏人同士は、一種のあきらめかも知れないが、共感のつながりがあった。
こうした社会的な感覚の違いを無視したまま、いまの見方で近世を見るのは危険きわまりない。

 筆者は、梅毒に対して近世の人たちは、寛容だったと言っている。
小林秀雄が梅毒に苦しんだ話は有名だし、戦前から戦後の人たちも、性病に対しては寛容だった。
娼婦とか売春といって特別視するのは、売春を悪だとする近代の偏見が染みこんでいるからだ。
筆者は論理では近代的な偏見を理解していながら、心情的に抜け切れていない。

 本書は売春をイデオロギーで断裁することなく、真面目に論じている。
大学フェミニズムよりは、ずっと柔軟である。
学者でありながら、やっとここまで来たという感じはする。
しかし、近代の呪縛から逃れるには、まだまだ時間がかかりそうである。 (2009.4.22)
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参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992

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