匠雅音の家族についてのブックレビュー     セックス・レスキュー|大橋希

セックス・レスキュー お奨度:

著者:大橋希(おおはし のぞみ)  新潮文庫、2006年    ¥500−

 著者の略歴− 1970年東京都生まれ。1992年東京大学文学部卒業。富士通、「フォーブス日本版」編集部を経て、現在「ニューズウイーク日本版」編集部在籍。翻訳・編集のはか、家族、教育、社会問題の取材・執筆を行なっている。既婚、二児の母。キム・ミョンガンの「せい」相談室 http://www.office-sei.com/

 本書は、セックスレスに陥った女性に、セックスを体験させようとする「性の奉仕隊」を書いたものである。
オフィス「せい」を開設し、奉仕隊を主宰するキム・ミョンガンさんを中心に、
インタビューなどをまじえて、性に対して考察をしている。
TAKUMI アマゾンで購入

 望まないセックスは、不愉快きわまりないし、他人が強制すれば犯罪である。
しかし、結婚している男女間で、セックスがないと大問題になってしまう。
結婚はセックスのためにするのではないと言いつつも、
セックスのない結婚生活は考えられないだろう。
たかがセックス、されどセックスである。

 今までフェミニズムは、デート・レイプや家庭内暴力など、男性から女性への否定的な行為を、好んで取り上げてきた。
未婚化現象に対しても、男性は結婚したいのに、女性がそれを望まないといった論調が多かった。
しかし、この世は男女で構成されている。
男性だけに問題があるということはない。

 我が国のフェミニズムは、男性への批判が多く、
女性が自立することや、女性の解放を謳わなかった。
とくに性的な快楽を謳歌することを、否定的に見こそすれ、
性の快楽を賛美して、それを追求する姿勢を見せなかった。
そして、女性として専業主婦を擁護し、稼がない人間として批判しなかった。
その結果、女性の人格や身体が、稼ぐ女性と稼がない女性の、いびつな状態に押し込められてしまった。

 本書を読んでいると、隔靴掻痒のもどかしさを感じる。
セックスレスにたいして、対処療法的な対応に終始し、
家族関係や人間関係の根底的な変化に、思考が届いていないのだ。
セックスが関係性の確認だとすれば、関係の質が問われるべきだろう。
つまり個人的にではなく、社会的な問題とされるべきである。
にもかかわらず、個人的な解決に止まっている。

 キムさんの相談室は、セックスレスに悩む女性が来るのだから、
個人的な対応になるのは当然だろう。
しかし、本書はキムさんの宣伝の書ではない。
とすれば、セックスレス現象の社会的な背景にも論及して欲しかった。

 「せい」の相談者でいちばん多いのは40代で、世間一般でもセックスレスに悩むのは同じくらいの年齢層と思われる。アダルトビデオで実際のセックスとはちょっと違ったファンタジーをたたきこまれ、ヘルスで「女性にヌカれる」受動的なセックスを覚えた男たちが、セックスレスに陥っているのは偶然ではないような気がする。
 その妻たちはいわゆるハナコ世代(30代後半〜40代半ば)と重なる。華やかなバブル期を謳歌し、かつての自分といまの現実の乖離がいちばん大きい世代でもある。
 「夫婦仲と性の相談所」サイトを開設し、多くの人々の悩み相談にのっている二松まゆみは、十年ほど前にママさんネットワークを組織し、マーケティング会社にまで成長させた経歴をもつ。そこに集まったのは、バブル期に三高のだんなと結婚し、パワーとお金はあるが社会と切り離されて悶々としているようなハナコ世代の専業主婦たちだった。P60


 専業主婦たちが生きる手応えを求め、性の欲求に飢えている。
我が国のフェミニズムが、稼がない専業主婦を擁護してきたことのツケが、
集約的に表れているように思う。
本書と同時期に、瀬川清子さんの「婚姻覚書」を読んでいたが、
近代以前の逞しい女性たちと、本書の女性たちとを、どうしても比較してしまう。

 近代以前の女性は、まちがいなく立派な労働力だった。
だから、労働力に応じて大切にされたし、性の自由ももっていた。
しかし、産業が農業から工業へと転じるにつれ、女性は稼がなくて生きていけるようになった。
結果として男性に養われる存在になっていった。
稼がない女性=専業主婦は、逞しさも瑞々しい生命力も失ってしまった。

 農耕社会までは女性にも性の選択権があり、女性も性的な快楽を追求できた。
が、専業主婦となったここで性の決定権が男性に握られてしまった。
専業主婦は性の自由を放棄して、1男性の性の奴隷となることを、選択せざるを得なくなった。
核家族の主婦となり、稼がなくてもいい存在になったことは、瑞々しい生命力を失うことと、引き替えだったのである。

 時代の変化は緩慢に進行する。
夜這いや混浴といった、おおらかだった農耕社会の性が、
工業社会の規範へと閉じこめられても、農耕社会の性はなかなか絶滅しなかった。
夜這いが完全に消滅したのは、おそらく1960年頃だったろうし、
猥談が消滅したのは1990年頃だったのではないだろうか。
つまり、前の社会の価値観が消滅するのには、100年近い時間がかかった。

 工業社会のギスギスした性の価値観が、今では再検討され始めているが、それはまだまだ現役だろう。
性において女性は受け身であり、女性が性的な欲望を露わにすることは、恥ずべきことだとされている。
情報社会になろうとしているのに、工業社会の性道徳を信じている人はたくさんいる。
こうした社会では、情報社会の性倫理は、いまだ開花することはできない。

 奉仕隊なんて不道徳だ、という意見の人々もいるだろう。私も決して婚外交渉を勧めようという意図はない。一夫一婦制に基づく婚姻制度はそれなりに意味があり、社会が必要としているものだ。その基本は性の相互独占化にあるのだから、そのルールは守ったほうがいい。P247

という筆者だが、個人的な問題と社会的な制度とを、同位相で論じているように思う。

 女性の稼ぐことが普通になれば、美人がもてはやされることはなくなる。
アメリカの女優さんは、すでに不美人が主流になっている。
稼ぐ女性が主流の社会では、可愛い女性より逞しい女性が尊重される。
稼ぐ女性は、性においても男性と対等にわたりあえる。
本書で筆者がいう我が国の貧弱な性事情は、
その多くが専業主婦をうんでしまった我が国の家族制度に、負っている部分が多いだろう。 
(2006.9.26)
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参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002

プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

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