著者の略歴−1955年、千葉県生まれ。高校卒業後、東京で漫画家をめざす。「漫画コミック」(芳文社)でデビューし、官能雑誌やレディースコミックにギャグ漫画を連載。現在まで息長く描きつづけている。「aya」「小説CLUBロマン」に連載中。 何という潔い生き方だろうか。 性に関して随分と開放的になってきたが、それでも女性が自分の性体験を語るのは、まだまだ抵抗があるだろう。 漫画という表現を職業としているので、抵抗感が薄いのかも知れないが、自分の顔写真を入れて上梓するのは、時代が進んできた証拠だろう。
筆者は1955年生まれだから、すでに49歳である。 もはや立派な中年である。 この年齢まで漫画家としてやってきたのは、スランプもあっただろうし、随分と大変だったろう。 しかも、男をナンパすることについても、49歳のいまも現役のようだ。 自分の生まれた年を、書かない和製フェミニストが多いなかで、筆者は堂々と生年を書いている。 本書からは、自力で生活をしてきた人間の力強さを感じる。 何度も言うが、筆者は漫画家である。 つまりエンターテイナーでもあるわけで、本書に書かれていることが、すべて真実だと言うことはないだろう。 筆者がこの書評を読むと、まんまと術中にはまったわいと、ほくそ笑むかも知れない。 フィクションであることを充分に承知しながら、大筋では事実に基づいていると決めて、書評を書き進んでいく。 女の人ってみんな、オナニーなんてやったことありませんって澄ました顔でしらばっくれてるけど、普通に健康体ならやってるのが当然のはず。最近は若い女の子だってオナニーしてるって平気で告白できる時代だけど、昔ってほんとに性に閉鎖的だった。 今考えると、あんなに罪悪感持ったりしちゃって損しちゃった。P13 時間があるならきっと猿のようにやっているだろう。でもやめなくちゃ。オナニーの後はいつも罪悪感が残る。だって……これはいけないことだもの。もうやめよう。今度こそやめよう……。誰かに気付かれたら大変だもの。そう思いながら性欲には勝てず……明後日にはまたやっちゃうのだった。P16 まったく男の子と同じで、この発言には安心した。 筆者と同様に、少年たちも罪悪感に苛まれながらも、性欲には勝てずにやってしまう。 やはり人間は、肉体で生きている。 しかし、不思議に思うのは、オナニーだと罪悪感を感じながら、セックスだと充実感を感じるのは、一体どこに違いがあるのだろうか。 性欲は10代がもっとも強いかも知れない。 少なくとも20代に入ったら、その後は下り坂だろう。 江戸時代の浮世絵を見ると、女性も直接的に性欲を表現したように見える。 女性も自分から欲情し、すでに濡れているので、男性の前技よりも男性器そのものが欲しかった。 そう読める浮世絵がたくさんある。 余談ながら、このあたりはアリエスに習って図像学として、学者さんに研究して欲しい。 肉体が健康であって初めて、観念も花開くのであって、観念だけが独り立ちすることはない。 頭脳労働が開花した近代は、女性の性欲を隠蔽してしまったのだろう。 情報社会は工業社会のうえに成り立っているのだし、工業社会は農業社会のうえに成立している。 その逆では決してない。 その意味では、肉体の賛美は頭脳の賛美でもある。 筆者は現在でこそ、自分の性欲を素直に肯定している。 官能雑誌にも連載しているとかで、本書はどこを開いても、彼女が感じているセックス場面の連続である。 今では挿入とそれに続く運動を、性的な意味で大歓迎しているが、若き同棲時代には少し違ったようだ。 私は、どうしようもなく感じてしまうと、彼のおちんちんがほしくてたまらなくなった。それは、セックスで気持ち良くなりたいという欲望ではなくて、彼と一つになりたいという純粋な気持ちだったような気がするわ。だから、温かい肉棒が入ってくると、なんだかほっとした。彼も、私の中に入ってきた時だけは、自分の快感にひたって腰をふっていたみたい。私も、彼の感じている顔や声を聞くのはいやじゃなかったし、とても興奮したわ。 夢中になって腰をふって、イッタあとは、お互いへとへとに疲れて、抱き合ったまま眠つたりした。P85 この描写は、愛し合う男女間のセックスである。 セックスとは不思議なものだ。 愛情がなくてもセックスはもちろん可能で、セックスに絶対的に不可欠なのは、愛情ではなく健康である。 しかし、愛しいと思う相手との関係は、愛情のないセックスとは別物のようだ。 筆者は多くの男性とベッドを共にしながら、微妙に違う性愛を大胆に告白している。 がっかり……。ここ1年で、失恋のため激ヤセしていたので、私のオマンコもチカラなくゆるんでしまっているのかしら。15年後の今なんて熟々で肉もついて、誰もが締まりがよくて名器って言ってくれるのだけど。体が痩せるとオマンコも痩せるのね。だから大きめのおちんちんじゃないと入ってるって感じがしなくて……正直、もの足りない。こんなのって虚しいわ……。P123 この発言は信じて良いのだろうか。 書ける嘘と書けない嘘がある。 身体の感じないことを、想像で書くのは難しい。 この発言は書けない嘘のように思う。 体験した実感に基づいて、書いたように感じる。 多分本当なのだろう。 男性には決して判らない感覚だけに、何だか不思議な感じ読んだ。 男に養われるのも少しだけイヤ。 自分で稼いで好きに使いたい。 と、筆者はあとがきに書いている。 本書は森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」よりも、はるかに直接的でしかも技巧的であり、エンターテインメント性に富んでいる。 鈍重な和製フェミニストたちも、筆者のセンスを見習ったほうが良いと思う。 (2004.12.09) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002 匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992
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