著者の略歴−アンナ・アルテール: 「マリアンヌ」誌、科学・健康・テクノロジー部部長、天文物理学博士。著書に「宇宙−地球、惑星、恒星、銀河…」(2002年、Larousse)、「わが娘−天文物理学博士」(2006年、Calmann-Levy)ほか。 ベリーヌ・シェルシェーヴ:「マリアンヌ」誌、社会部部長。著書に「公務員−特権と偏見のあいだ」(2001年、Mikan)ほか。 愛する男女がであっておこなう行為は、古今東西どこでも決まっている。 それによって、人類はえいえいと子孫を残して、生きながらえてきた。
古代人たちも、いたしたであろうセックスは、性器の結合はおなじでも、その姿勢はずいぶんと違う。 動物たちもセックスをしているが、彼(女)のセックスは本能に決められた姿勢だけであり、さまざまなバリエーションを楽しんでいるわけではない。 人間だけが、組んずほぐれつセックスをしているのだ。 ある地域の人たちは、男性が女性の上にのしかかる体位を、宣教師の体位と呼んでいたという。 そのため、女性の後ろから、男性がせまる姿勢が古いものである、という意見がある。 いずれにせよ、性欲は本能だとしても、性欲の充足方法は、本能的な行動ではない。 やはり文化的な教育の結果である。 本書は、西洋では顰蹙をかう性欲の充足方法を、世界の人々に押し広げて考察している。 ニッポンの古い神話には、男神イザナギが「身の成り余れるところ」を、女神イザナミの「身の成り合はぬところに刺しふたいだ」とあるが、そこにはヨーロッパ的規範のような気遣いは微塵も見られない。行為の最中に姿勢を変えたり、またもとの姿勢に戻ったりするのも、神々の啓示を受けてのことなのだから、少しも猥褒なことではない。P29 近代的な禁欲主義にそまった西洋人たちは、セックスを素直にみることができない。 しかし、近代で相対視する訓練をつんだので、いちど興味を感じると、徹底的に分析を始める。 体位についても、あれが良くて、これがダメ式の教科書めいたものを書いている。 西洋人がおこなう体位を、宣教師の体位と馬鹿にされたが、西洋人は宣教師の体位を肯定したのである。 <宣教師>の体位のおかげで、体液を浪費せず効率的に種の結実をもたらし、快楽を最小限にとどめて男性の優位を維持することが可能になる。当時の聖職者が神聖祝していた表現によれば、「貴重な精液が女の器から漏れて流れ出すことがない」すばらしい循環がもたらされるというのだ。そしてこの体位は、男が女よりすぐれた役割を担っていること、支配者・主人として女をその身体の下に押しつぶしてもよいことをはっきりさせてくれる。男は仰向けに寝た女の上に馬乗りになり、農夫のように鍬の先で、目の前にある女の唯一の肥沃な場所である畝に、小さな種を植えつけるのだ。そのほかのどんな性 交の形態も、獣のような、あるいはもっと悪ければ悪魔のような行ないなのであり、「奇形」や「瀬病」や「不具」や「怪物のような」子どもが生まれる原因となるとされた。P42 今これを読むと、いささか呆れるだろう。 快楽を最小限にとどるだって! 女をその身体の下に押しつぶしてもよいだって! そのほかのどんな性交の形態も奇形の子供が生まれるだって! おそらく、近代初期の西洋人たちは、本気で上記のように信じていたのだろう。 もう少し時代をさかのぼった中世では、肛門性交をおこなう者は、死罪に処せられた。 ギリシャなどでは、プラトンをはじめとして、多くの男性が肛門性交を楽しんでいながら、中世のヨーロッパではソドミーとして、厳しく禁止されていた。 現在では、ゲイとして肛門性交が復活しているが、時代によって価値観は大きく変わるものだ。 近代というのは、人類がはじめて体験する時代であり、西ヨーロッパだけにもたらされたものである。 そのため、近代では人間の習慣から見れば、魔女裁判をはじめ、おかしなことがたくさん起きた。 セックスや肛門性交にたいする、意味づけの変化も近代の産物だろう。 マスターベーションに対する戦闘に関して、1803年に『教育学』を公刊し、哲学的な貢献を果たしたのがイマヌエル・カントである。道徳を擁護し、若者たちを純粋理性に導くために、このケーニヒスペルグの先生が主張したのは、若者には真実を示さなければならないということだった。 自己自身に向けられた性欲によって、思春期の少年が種の繁殖に役立たなくなること、その性欲によって体力はその大部分が失われること、その性欲によって思春期の少年は早老を招いて、その場合には精神が非常に損なわれること、などについて説明しなければならない。P248 上記はかの哲学者カントがいった言葉である。 あのカントですら間違いもあると考えるべきか。 こんなことを言う奴の言葉は、信じることが出来ないと、全面的に見直すか、どちらが良いのだろうか。 誰でもおこなうセックスも、考えてみると不思議なことが多い。 (2009.3.12) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002 匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992
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