匠雅音の家族についてのブックレビュー     ヒジュラ−インド第三の性|石川武志

ヒジュラ
 インド第三の性
お奨度:

著者:石川武志(いしかわ たけし) 青弓社 1995年   ¥2000−

 著者の略歴−1950年生まれ。写真家。1972年、東京写真専門学院を卒業後、ユージン・スミスに師事し、水俣を取材、渡米.1975年にフリーランスとなり、その後、シルクロード、インド、タイ、フィリピン、中国などのアジア各国、南米の取材を行っている。
 インドといえば、何でもアリの国とみられる。
しかし、珍しい行動がみられても、たんに近代化以前の様式が、残っているに過ぎない。
本書が扱うヒジュラにしてもそうだ。
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 我が国でも、ちょっと前まで不具者(今でいえば身体障害者)を、衆目にさらすことでお金を稼ぐ職業があった。
ろくろ首などといわれた、見世物である。
<親の因果が子に報い>という科白で、特異な身体障害者を見世物にして、稼いでいた。

 身体障害者を見世物にするなんて、今では人権蹂躙として許されることではない。
しかし、社会福祉などなかった前近代社会でも、身体障害者は自力で生きていかなければならない。
しかも、肉体労働しかなかったので、欠損があったり非力な身体障害者は、健常者のように働くことができない。
そこで自分の身体をさらしたのだ。

 ヒジュラもそれと似たところがある。

 ヒジュラとはウルドウー語で、「半陰陽、両性具有者」を意味する。日本には「ふたなり」などという言葉もある。つまり、ヒジュラは女性器と男性器を併せ持った存在とされており、インド特有のカースト制度からは外れた特異な社会に生きる人々のことである。ヒジュラ自身は自らを生まれながらの半陰陽だと主張するが、実際には先天的な半陰陽者、すなわち真性半陰陽者はきわめて稀であり、少年期から青年期にかけてヒジュラとしての自覚を持った者が去勢してなるケースがほとんどである。P13

 身体的に特異な状態で生まれた人間を、前近代社会は異物として排除した。
排除の仕方も2通りあった。
肯定的な場合は、神の使いとして奉ったし、否定的な場合には、座敷牢などへ幽閉した。
もっとひどい場合には、生まれたとたんに間引いてしまった。

 ヒジュラも先進国に生まれていれば、性の多様性といって、半陰陽のままカムアウトしただろう。
ゲイが差別されたのが、いまでは進歩的な自由人とみなされているのと同様である。
前近代社会には差別という観念がなく、ただ蔑視と貧困があるだけである

 一般にヒジュラの生活の糧は、その伝統的職業としての結婿式でのパフォーマンスや、子どもの誕生を祝福するという、印象としては、シャーマン(巫女)的な役割を持つ儀礼から得るバダイ(祝福あるいは報酬)と、各戸を回る喜捨(日本でいう門付け。喜捨を行うこともバダイという)、そして売春とに大きく分けられる。P14

 我が国には、もう盲目のゴゼさんはいない。
彼女たちは三味線を弾きながら、門付けをして生きていたのだが、ときとして身体を売ったこともあった。
近代になると、売春が悪いこととされたので、彼女たちは身体を売らなかったようにいう。
しかし、身体を売ることは芸を売ることと違わなかったのだ。

 インドのヒジュラは、インド社会がいまだ前近代にあるので、上記のような仕事になってしまうのである。
また、前近代では個人で稼ぐのがむずかしく、どうしても一家をつくらなければ、生きていけなかった。
ヤクザの一家というと、色眼鏡で見がちだが、コミュニティといえば美しいものにみえるだろう。

 前近代のコミュニティの実体は、おおくが一家である。
ヒジュラもコミュニティ、リーダーの元に一家をつくって生活している。
今風にいえば、ヒジュラは差別されている。
差別されているから、貧しいかといえば、決してそうではない。

 ボクのインド旅行でも、ヒジュラにであっているが、彼(彼女?)たちは普通のインド人より、はるかに裕福そうだった。
女装はしているが、女性というには逞しい身体で、腕など筋肉(?)がついて太かった。
ウォークマンを聴いているのが印象的だった。

 前近代社会では、近代のように均質性が支配していなかったので、地域ごとに生き方が異なっていた。
我が国でも、遊芸に生きた人がいたりしたが、近代社会になると特異な人は消滅したのは、 小沢昭一さんが「私のための芸能野史」で描くとおりである。

 ボクのヒジュラ体験は、「インドの空気」で書いている。
インド旅行はとても面白かった。
 (2009.2.18)
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参考:
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石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
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生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
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カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
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アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
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正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」 KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」中公文庫、2006

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