著者の略歴−大学卒業後、ネクタイ時代、OL時代を経て、現在は文筆業&イラスト描き。雑誌、Webなどに多数の連載をもつ。著書に、『くすぶれ!モテない系』(ブックマン社)、『たのしいせいてんかんツアー』(竹書房〉、コミック『縁遠(えんどう)さん』〈メディアファクトリー)がある。 2006年当時、筆者は精神的には限りなく女性に近くなっていたが、肉体的にはまだ男だった。 その筆者が、高校時代からの日常を書いたのが、本書である。 その後、<チン子>を取るリフォーム手術をして、女性風呂にも堂々と入れるようになった。 文章が実に自然である。 おそらく自然の流れで、男性から女性になったのだろう。
限りなくマッチョな男性もいるし、限りなくフェミニンな女性もいる。 とすれば、フェミニンな男性がいても、マッチョな女性がいても不思議ではない。 ボクにも、筆者のように何となく細身で、女性的な同級生がいた。 しかし、男性にはマッチョに、女性にはフェミニンに振る舞うように、社会は要求する。 社会の要求する性差に適合できないとき、本人たちは戸惑うだろう。 我が国では有色人種と白色人種といった、外見で分かる違いによる人種がいない。 だから、人種差別はあまり衆目を集めない。 それに対して、男女はどこの社会でも、外見上の違いとして表れる。 我が国では、男性には男性らしい、女性には女性らしい服装や行動を要求する。 学校制服からして、男女別が強制される。 小さなときから、男性と女性はそれぞれの属性に分けられて、別の人種であるかのように育てられてくる。 筆者は、自分のことを<性同一性障害>といわれるのが好きではないと言う。 その発言には微妙なニュワンスを感じるが、子供の頃から自分は心が女だと思ってはいなかったという。 せいぜいが男ではないくらいだったらしい。 しかし、男性として育ってきたわけだから、さまざなエピソードがあった。 高校時代はわりに幸福な時代だったらしい。 文化祭でも軽いノリで女装したりもしている。 大学に行っても女っぽい男で通っていたらしい。 この頃から、女性に見えるように意識し始める。 そして、友人関係でも齟齬が生じるようになる。 女性と恋愛関係が結べないのだ。 違和感を感じているのは伝わるが、文面は重大事のようには書かれていない。 ウェイトレスを1ヶ月やった後、女性としてOLになっていく。 まだ<チン子>を付けたままの筆者は、いつばれるかと、ヒヤヒヤものだった。 しかし、<チン子>を付けたまま、3年もOLをやってしまう。 その間、女性を演じ続け、男性だとはバレなかった。 他の性を演じるのは、精神衛生上よろしくない。 「ボーイズ ドント クライ」の結末のようになりかねない。 やがて筆者は<チン子>を切る手術を、タイで受ける。
(OLになって)さらに、新鮮な発見が。重い荷物を運ぽうとすると、オトコの社員が持ってくれる!! いや、すごいふつうのことなんだが。 でもいままで男子だったころは自分で運ばなきゃいけないし、……といっても私は非力だから力仕事を人にやってもらうことも多かったけど、そういうときは「オトコのくせにしょうがね−な−」みたいに思われてたし、こういうふうに優遇(?)されるの初めて!! うわ−。なんて女って楽なんだろう。堂々と力仕事をオトコの人に任せてもいいのね。それまでは人に任せるのがすごく申しわけなかったのに。上司も、オトコの部下には「○○やっとけよ」なのに、私には「悪いけど、○○やっといてね」だ。ネクタイしめてた時代とはえらい差だ−。オーエルってなんてステキな立場なのかしら。 こんなことを書くと、フェミニストのせんせえに怒られそうだわ。 P17 こうしたノリが、筆者を息苦しさから解放しているのだろう。 実際の本人は暗いかもしれないが、文章はあくまでも明るい。 性的な少数者にたして、差別にあって大変だねって言いがちだが、多数者と違う資質を見られれば、誰でも驚く。 男性的な外見の人が女性だったり、女性的な人が実は男性だったと判れば、驚いて当然である。 驚かないほうが変だ。 怪我でもして、ビッコを引いていれば、驚いてどうしたのですかと言うだろう。 筆者は女性的な立ち振る舞いで、友人を失っていない。 むしろ、高校時代の友人たちとは、いまだに交友が続いている。 どんな人間関係をつくるかは、やはりその人のキャラクターによるのだろう。 否定すべきは、性別によって差別する制度である。 たとえば、男女別採用とか、異性でなければ結婚できないと言った、制度こそ改正すべきなのだ。 なぜ、オカマと自称するのかと問われて、筆者は次のように答えている。 「性同一性障害」って、病名だから。 「性同一性障害」って聞くと、テレビのドキュメンタリーなんかでもよく出てくるから、たいへんな人なんだなあ、障害に負けずにがんばってるんだなあ、と思われそうです。それがイヤだ。ものすごいイヤ。私すごい普通ですもん。そんなにがんばってね−よ、と思う。 それに、「性同一性障害」は、「スミマセン私こんな受け入れづらい人間なんですけど、病気なので許してください」みたいな、卑屈な感じが少しする(これはわたしの偏見ですが)。(中略) でも、他人にもし「オカマなんですよね?」って言われたら、けっこうムカッとしてしまう複雑な私だ。チン子ついてることを知っていても、あくまでも日常生活ではオンナってことにしてほしいのです。P51 他の人から、オカマと言われると、ムカッとなるのも自然だ。 ところで美しい女性は、高齢になっても美しい。 性転換した女性は、美しいといっても限界がある。 美しいオカマは、美しい女性にはかなわない。 今後、年齢を重ねていくと、肉体は衰えていく。 肉体の衰えは、不安だろう。 性転換した少し美しい女性は、どんなふうになっていくのだろうか。 筆者は、ゲイとは<男として男に恋愛感情や性欲を感じる人>といい、オカマとは<男から女になろうとする人>のように使い分けている。 ゲイとオカマは違うものだと、きっちり認識しており、筆者は自分をオカマという。 オカマは差別用語だから、<MTF(=Male to Female)>を使うように進めているが、了解である。 女性版は、レズビアンと<FTM(=Female to Male)>。 伏見憲明の書いた「ゲイという経験」は、ゲイとは何かが判っていないように感じたが、筆者は性的少数者についてよく判っている。 筆者はやがて日本の<オカマ>文化を、作ることができるかも知れない。 オカマ=MTFとは、男性性がはっきりと確立しており、よりマッチョになりたい嗜好である。 社会に性差が薄れていったら、はたしてオカマは生き残れるだろうか。 「常識を越えて」を書いた東郷健は、本当に大変な人生を生きてきたのだ、と思いだした。 東郷健はゲイとオカマを区別していないが、性自認が違うのだから、やはり区別するべきだろう。 オカマは、マッチョ指向社会の裏返しのようにも感じるが、本書はさわやかな読後感だった。 (2009.9.2)
参考: フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002 橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998 エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
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