匠雅音の家族についてのブックレビュー    インターコース−性的行為の政治学|アンドレア・ドウォーキン

インターコース 性的行為の政治学 お奨め度:

著者:アンドレア・ドウォーキン−−青土社、1989年 ¥2、400−

著者の略歴−1946年生まれ。米国の作家。1970年代初期からラディカル・フェミニストとなり、特にセックス,女性に対する暴力,ポルノグラフイに現れる男性支配に関する著作で有名である。キャサリン・マッキノンとの共著で,ポルノ反対のモデル法案を書いている。アメリカにおける古いタイプのフェミニスト。「ポルノグラフィ」青土社、1991
 本書は、「男性が作り上げた世界の中でのセックス」「女の状況」「権力、身分、憎悪」の3部からなる、表現されたものからの性行為にかんする考察である。
1987年にアメリカで出版された本書は、わが国では性行為に関して、何度も引用されきるわめて有名な本である。

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 フェミニストから書かれたもので、大ざっぱにいえば本書の趣旨は、すべての性行為は男性による女性への支配の行使だという。
筆者は反ポルノを掲げる女性で、80年代には戦闘的なフェミニストとしてもてはやされた。
しかし、今では売春婦や性産業に従事する女性たちからは、むしろ敵視され嫌われてさえいる有名人である。

 女性の運動が生理的な女性性に拘り、女性であることを運動の基盤にしていた頃、女性は弱者だからという理由で女性特有の権利なるものを要求していた。
こうした運動を、私はウーマニズムと呼ぶが、アメリカではウーマニズムは早くから克服されて、女性も人間としての普遍を追求するようになっていた。

 しかし、わが国では女性が母性から脱皮できず、女性特有の権利を要求する側面を引きずった。
それは現在でも、女性らしくとか女性的な見方といった言葉に象徴される意見が、大手を振ってまかりとっているのをみれば明らかだろう。
わが国のフェミニズムは、男性と女性を違う生き物と見なしたがる傾向があり、性別と性差の区別がいまだについていない。
そうした状況では、本書はきわめて順当に受け入れられたのだろう。

 女性殺害をそのように捉えるトルストイの、女性に対する嫌悪感も、現代的ではない。現在、この嫌悪は、文字通りかつ直線的であり、とりわけ女性の生殖器に対して、胸に対して、また新たに性器官として理解されるようになった口に対して向けられる。それは、女性性器に対する無条件の憎しみである。女性は、人間としての大きさも、人間としての意味も全く持たせられていない。この嫌悪感は、説明も理由づけも一切不要である。女には内面的生活もなければ、人間的な共鳴もないのだから、人間として解釈する必要など全くないというわけである。女は肉体以上には何もない、肉体そのものとされているのだから、女の肉体が憎悪の対象である。この憎悪には、人間としての個別性も、高級な哲学も、月並みの情緒的動揺も介在する余地が一切なく、機械的に決定づけられるものである。P20

 こうした言説が、書籍となって出版されるということが不思議である。
もちろん出版されるためには、編集者がいて内容をチェックしているはずである。
アメリカでの出版、そしてわが国でも出版と、2度にわたるチェックが入っているにもかかわらず、本書が上梓される背景はいったいなんだろうか。
そして、わが国のフェミニズムで、本書がしばしば肯定的に取り上げられるのは、いったいいかなる理由によるのだろうか。

 男にとって、女の体を使用する権利、セックスで女を搾取する権利は、 男の側の徹底的な傲慢きと、自分がすべてを所有しているという感覚から 生じる悪夢的次元を備えている。P35

といわれれば、この筆者はセックスを、男性のためのものとしてしか考えていない、といわざるを得ない。
異性とのセックスを拒否するここからでてくるのは、同性とのセックスしかあり得なくなってくる。
つまり筆者の立場を突きつめていくと、インターコースをおこなう両者の平等性を保とうと思えば、女性のゲイにしか行きつかないのである。
こうした立論を、多くの男女は受け入れるだろうか。
もちろんゲイを否定するわけではない。
しかし、多くの人は異性愛を愛好しているのではないだろうか。
男と女しかいないのだから、よりよいセックスのあり方を考えるべきだろう。

 性交は通常、所有の一形態、もしくは所有の行為として書かれ、理解されている。性交において、また性交が行なわれている間、きらには性交であるという理由のために、男は女の中に存在し、身体的に女を覆い、押し潰し、同時に女を貫いている。男が女の上位および内側に位置するという、女に対するこの身体的関係が、男の側の女所有である。男は女を持っている。また事が済んだ時には、男は女を持っていたのである。女を貫くことによって、男は女に支配的になる。彼の貫きは、女が征服者としての後に降伏すること、女が彼に自己を譲り渡すこととして理解されている。男は、性交という女所有によって、女を占領し、支配し、女に対する基本的な優位を表現する。P114

 筆者は、書かれたもののなかでの性交の扱われ方を述べているのだが、実際の性交との関係をどうとらえているのだろうか。
筆者は、つねに女性は貫かれ、男性が貫くという視点で語る。
筆者は多くの表現がそう語っているというだけで、実際の性交がどうであるかは語らない。
女性上位での性交も充分にあるし、男性が貫くのではなく、女性が握ると考えることも可能である。

 本書が80年代に出版されたように、書かれたものはその時の時流を反映して出版されるわけだから、その社会の反映に他ならない。
むしろ、実際の男女がおこなう性交を分析すべきだろう。
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参考:
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005

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