匠雅音の家族についてのブックレビュー     真夜中の裏文化−最後の夜這奴|村上弘義

真夜中の裏文化
最後の夜這奴
お奨度:

著者:村上弘義(むらかみ ひろよし) 2008年 文芸社 ¥1000−

 著者の略歴−1940年福井県に生まれる。1964年東京で印刷会社開業。1995年オートキャンプ場開業。現在、岐阜県に在住。
 夜這いのことを書いた本書は、大きな文字で活字の数も少ない。
買うのをちょっとためらった。
自費出版のようだが、なんだか信憑性があるような、ないような不思議な感じである。
筆者と渡辺徹夫という作家のあいだに、交わされた手紙を公開した形になっている。
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 筆者が、地元での体験を思い出しながら、渡辺氏に書き記している。
筆者の育った場所は、山深い盆地で、冬には積雪が2〜3メートルにもなり、かつては陸の孤島となったという。
昭和25年になって、道路が整備されてバスがかようになり、急速に古い伝統文化が消滅していったらしい。

 この頃から、若者が都会の会社に就職して、村からでていった。
そして、農作業の結(ゆい)も終わって、耕作に機械が導入されていったという。
そして、同時に、夜這いの習慣もすたれ、みなが帰省するお盆だけに行われるようになったという。
そして、筆者は面白い記述をしている。

 この頃になくなつたものとして印象深いのは女の立ち小便です。それまでは、年老いた女性なら立ち小便をしているのをよく見かけましたが、だんだん少なくなり、ついには見かけなくなつてしまいました。山でも田畑でも、ほとんど人の居ない所での仕事では、今のようにしゃがんで用をたしても無意味なのです。つまり、立ち小便は理に適った方法でしたが、残念ながら消えてしまいました。P21

 ボクも近くの老婦人が、立ち小便するのを見ている。
また、ベトナムの山奥では、中年女性も立ち小便をしていた。
農業を主な産業とする社会では、どこでも女性の立ち小便は、ふつうに行われていたのだろう。
近代化するにしたがって、日本の女性はしゃがんで小便するようになってきたが、いったい誰がしゃがませたのだろうか。

 女性も男性と同様に、立ち小便していた時代は、少なくとも男女間に違いはなかった。
このことに関しては、男女は同じだった。
男性は立って小便をし続けたにもかかわらず、女性はしゃがんでするようになった。
ここにはどんな社会的な力が加わったのだろうか。
これは女性の地位の低下をものがたっているだろう。

 夜這いの話しに戻すと、夜這いにもルールがあったという。
そして、「田舎のマドンナは、身体ががっちりして健康で、力強く、愛想が良く、子供が多く産めそうで、家の事が良くできる娘でなくてはダメなんだ」といっている。
これは、農業社会でのもてる女性の基準だが、ちょっと話が出来すぎるようにも感じる。

 当サイトも、この意見をしばしば書く。
それは、農業社会では力強くて尻の大きな、つまり安産型の女性こそ不可欠だったはずである、という推論から書くのである。
体験者の口から、これほど同じ言葉がでると、当然と思いながらも、どこからの書き写しではないか、と思ってしまう。
  
1.泥棒と間違われるような行動はしない。
2.結婚の決まった娘のところへは行かない。
3.家の人に見つかったら、娘さんが好きだから夜這いに来たと謝る。
4.娘さんが己の事を多少でも知っている所へ行く。
5.他人の声色は絶対にまねしない。
6.家の中が暗くても、裸火はつかわない。
7.娘に断られたら、すぐに帰る事。
8.「ホウカムリ」は頭巾被りにする事。P44


というのが、夜這いのルールだったという。
春になって雪囲いがとれてから、秋に雪囲いができるまでが、夜這いのシーズンだったらしい。
 
 4歳年上の従兄にも連れて行ってくれる様によく頼んでおきました。この従兄が夜這いを出来るのも、あと2、3年です。24、5歳になっても夜這いをしていると、その年になっても夜這いをしているのは、よほど甲斐性なしで結婚できない男と見られるからです。P62

 先輩は夜這っていって、相手の布団のなかで男女の関係を結んだというが、本人がそこまで行った体験談はでてこない。
夜這いにいったが失敗したとか、夜這いにいった相手が今の奥さんだとか、無難な話ばかりである。
それも当然だろう。
いまでは夜這いは否定的に見られているし、今の奥さんに手前もあって、赤裸々には書けないだろう。

 戦後の話だから、夜這いも廃れていく時代だった。
なにより奥さんの手前、本当のことは言えないに違いない。
しかし、小さな村落共同体でのこと、かつては性のコントロールは不可欠だったろう。
それが夜這いという形だったことは、充分に考えられる。

 農業を主な産業とした長い時代、夜這いは性の分配方法として、暗黙の村公認だったに違いない。
そして同時に、女性たちも認めていたのだろう。
見ず知らずの男が、突然に襲いかかるような夜這いであったら、女性たちから反逆されて続くはずがない。

 農業という厳しい肉体労働が支配していた時代、人間たちは農業が要求する掟に従わなければ、生きていけなかった。
明治のはじめまで、離婚率がきわめて高かったことも、女性の地位が高かったことの証拠でもあろう。     (2009.2.25)
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参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002

プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

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