匠雅音の家族についてのブックレビュー    性への自由/性からの自由−ポルノグラフィの歴史社会学|赤川学

性への自由/性からの自由
ポルノグラフィの歴史社会学
お奨度:

著者:赤川学(あかがわ まなぶ) 青弓社、1996年   ¥2、200−

著者の略歴− 1967年石川県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学、信州大学人文学部助手。専攻:社会学、ジェンダー/セクシュアリティ論、共著「子どもというレトリック」青弓社、「性の商品化」勁草書房、「セクシュアリティの社会学」岩波書店など。
 1992年に提出された筆者の修士論文が、本書の元になっているという。
「性的主体化の装置としてのポルノグラフィ」なる視点が、本書を貫く筆者のモチーフらしい。
ポルノといえば、現在では2つの側面がある。
まず、猥褻な表現というものであり、今まで多くの論争は猥褻の定義をめぐってなされた。
もう一つは、ポルノは女性にたいして、差別的な表現であるとするものである。
 
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 筆者は、フェミニズムにきわめて近い立場に立っているが、性の商品化とか女性のモノ化といった論法をとらない。
むしろ筆者にとって、性の商品化とか女性のモノ化といった論理は、知的な生産力がないという。
猥褻つまり歴史性を分析することによって、女性差別にも応えていこうとしているようだ。
しかし、本書がポルノの記述に成功しているかといわれれば、必ずしも肯首できない感が残る。

 フーコーなどの言説を引用しながら、主体という概念を多用するが、
ポルノが主体化の装置といった視点で、問題にできるのだろうか。
もっといえば、主体という言葉を使うなら、近代という時代認識が不可欠なはずで、
ポルノという文書や写真などの意味を語る、歴史的な背景が問題になるだろう。

 筆者は、性科学とか恋愛といった近代特有の現象を扱いながら、表現されたポルノに拘る。
しかも、ポルノと性科学の共犯関係をいい、ポルノや性科学の読まれかたよりも、
両者のあいだの関係を問題視する。
近代は人間なる概念を生みだしはしたが、庶民=大衆が登場するのは20世紀になってからだ。

 ポルノグラフィを受容する主体の登場は、大量安価販売で黙読を要求する近代小説の成立と、個室空間においてひとりで黙読するという実践様式の編成という二つの線分が交錯する場所において誕生した。それは同時にポルノグラフィを使ってオナニーをする実践の登場、すなわち「オナニーの補助道具としてのポルノグラフィ」という私たちが定義する意味でのポルノグラフィの誕生でもあった。P94

 この記述は、現代社会の価値観での読み込みのように感じる。
というのは、均質な人間がいると前提することは、現代の感覚なのだから。
しかも、わが国の艶本や春画も、ポルノと規定しているが、
筆者のポルノにたいする定義では、いささか無理があるだろう。
西洋における近代への道程で、ポルノが登場したととらえれば、
わが国の江戸時代は近代の分析にはのらない。
わが国の艶本や春画は、むしろギリシャの壺絵など比較されるべきだろうか。

 性的な心性が、性欲からも恋愛からも分離したといい、
セクシュアリティという言葉を使うが、このセクシュアリティという言葉が、本書において実態をもたない。
本書にあって、セクシュアリティは重要な概念であるにもかかわらず、通俗的な意味というだけで定義がなされず、きっちりとした輪郭が浮かんでいない。
分析の概念が不明確なため、ポルノへの言及もぼんやりしたものに留まっている。
 
 筆者が男性であるせいでか、自分の性体験と密着しすぎている。
とりわけ現代的な状況になると、いくつかの例を無原則につまみ食いしている。
 
 ポルノグラフィの描写は単なる性行為の記述ではなく、女性の身体を、女性に固有のセクシュアリティを描写することにあくまで力点があるのだ。とりわけ近年のアダルトビデオやポルノコミックの性描写においては、男女が性行為を行っているというコンテクストの一貫性を放棄してまで、男性の身体を不可視化して女性の身体の描写を優先する技法が発達してきている。P148

 具体例の取り上げ方が無原則で、自分に都合のいい例を拾っているように感じる。
だから、上記のようにも言えるだろうが、快楽追求を優先しているとの反論も可能になる。
また、女性同性愛の描写は頻繁にみられるのに対して、
男性同性愛の描写は量的にも質的にも少ないというが、
男性間の性描写はすでに独自のジャンルが形成されている。
筆者の選択してきた例が、一般性につながるかというと、どうも疑問に感じる。

 例のあげ方が恣意的であるために、筆者のポルノたいするスタンスが不鮮明になっている。
一冊の書物を読み終わったときには、主題にたいする筆者の主張が透けて見えるものだが、本書にはそれがない。
そのために結果として主題すらが、現代のイデオロギー状況に寄りかかり、本書の論自体が飲み込まれてしまう。
ポルノをめぐる書物であるなら、ポルノの一般理論へとたどり着いて欲しい。

 なお、本サイトも「遡及的想像力」で、ポルノを考察している。
(2003.5.23)
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参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992


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