人を殺すのがなぜ悪いことなのか。
そんな疑問が、若い人たちからだされ始めているのは、実に良いことだと思う。
殺人が悪だと言い切れるようになったのは、ごく最近のできごとである。
殺人は本当に悪なのかを、徹底して考えてみる必要が大いにある。
カニバリズムについて考えていたときに、本書を手にした。
本書は、「ヒトはなぜヒトを食べたか」という邦題だが、「食人者と王」が原題である。
原題邦題共に、書名が内容と一致していない。
本書に従うまでもなく、ヒトはヒトを殺し続けてきたのだ。
狩猟採集の時代には、人間の寿命は30才程度だったといわれる。
しかし、30才で死んだとしても、
女性は15才くらいから出産可能になり、15年間は子供が産める。
この間、3年毎に1人を出産したとしても、5人の子供が生まれる。
人口が増えも減りもしない静止出生率は2.1人だから、
5人の子供が生まれれば人口は爆発的に増加することになる。
近代にはいるまで人口の増加が穏やかだった、と歴史はいっている。
避妊ができなかった時代には、否が応でも子供は生まれてしまった。
結婚年齢を上げたり、禁欲をしたりしたが、それでも人間は性交を止めることはできなかった。
5人と2.1人の差から導かれる現実は単純である。
大人が子供を殺していたのだ。
だから人口爆発は起きなかったのである。
つまり、現在生きている人間が、生存可能な程度に子供を殺していたのだ。
しかも、生産力に劣る女の子を主たる対象として。
食糧生産の範囲でしか人間は生活できない。
最近の人類学の定説では、狩猟採集民族の健康上多は悪くなかったとされる。
本書も定説を採用しながら、次のように言う。
食糧に見あうだけの低人口を維持している限り、狩猟採集民はうらやむべき生活水準を享受できたということである。P28
そして、人間たちは人口増加の圧力に負け、農業社会へと渋々と足を踏み入れたのだ。
狩猟採集時代には、1Kuあたり1人の人口密度だったものが、
農耕社会ではもっとずっと多くの人が生活できた。
しかし、農業が大勢の人間を養えるとすれば、人間はより多くの子供を産んだ。
だから人口圧力は常にかかっていた。
この人口圧力こそ、人類に様々な試練を強いた元凶であった。
筆者は戦争も人口圧力がさせたという。
バンドや村落は、人口増加率を低くしようとする場合、男性の戦死を第一に利用するのではなく、別の方法(中略)を用いた。その方法とは女児殺しである。バンド社会や村落社会では、戦争が女児殺しの慣習を生んだ。戦争は男児の養育を奨励し、男児の男らしさを戦闘に対する備えとして称賛する一方で、戦うことのない女児の価値を
下げていった。こうして、女児はほったらかしにされ、虐待され、公然と殺されるように
なり、そのために人数が制限されるにいたったのである。P68
こうした議論から、筆者は男性優位の社会が通例だったというが、
それは決して自然ではないとも言う。
男性優位の諸制度は、戦争が行なわれたり男性が武器を独占したり攻撃的な男性の人格をはぐくむために性が利用されたりしたことから、副次的に生じたのである。そして戦争は、すでに指摘したように、人間本性の表現ではなく、再生産や生態環境の圧力に対する反応にはかならない。故に男性優位は、戦争が自然なことでないのと同様、自然でないのである。P90
しかし、人口圧力の存在を認めれば戦争も必然になり、
女性フェミニストたちには大変困ったことになる。
再生産の圧力、生産の強化、環境資源の涸渇が、家族組織、財産関係、政治経済、食事の嗜好や食物禁忌を含む宗教的信仰などの進化を理解する鍵となるように思われる。P10
といって、本書は「文化唯物論」というべき立場をとっており、
人間の歴史を環境の変化におく私にはとても馴染みやすい。
そして、近代なって人口爆発が起きた原因を、燃料革命、避妊革命、仕事革命の3つに求める。
前2者は賛成だが、仕事革命については半分了承といったところだろうか。
本書は前半が断然におもしろく、後半は射程とする時代が広すぎて説得力に欠ける |