匠雅音の家族についてのブックレビュー    人口から読む日本の歴史|鬼頭宏

人口から読む日本の歴史 お奨め度:

著者:鬼頭宏(きとう ひろし)−−講談社学術文庫、2000年 ¥860−
(「日本2千年の人口史」PHP研究所、1983)

著者の略歴−
 高齢化や少子化で、人口問題に注目が集まっている。
しかし、私が気になっていることは、人口が遙かに少なかった前近代も、現代も同じように語られることである。
人口が少なかった時代は農耕社会であり、そこで生まれる考え方が現代と違うと考えるのは、私だけだろうか。

 反対に、過去はまったく人間が違うかのように語るのも、おかしいように思う。
人間の質は、どんな時代でもどんな社会でも、そうは変わらない。
そうでありながら長い時代スパンで見ると、人口圧が人類に及ぼした影響は、非常に大きいと思う。
人口的視点を欠いては、歴史を語れないと思う。
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 人類は過去1万年のあいだに、2つの経済革命を体験したとは、よく言われる。
一つは農業革命であり、もう一つは産業革命である。
前者は食糧生産と家畜の利用を促し、後者は非生物的エネルギー資源を使うようになった。

 これらは原始社会、農業社会、工業社会と、時代を区分したが、3つの社会には人口学的にも特徴があるという。
前記の革命以外に、本書は縄文中期と16〜7世紀の人口の増加を認める。

 縄文時代のことも大切なのだろうが、私の関心は現在に連なる江戸時代以降である。
そこで、江戸時代の人口の変化を見てみよう。
本書は次のように言う。

 倫理的問題は別にして経済的帰結は明白だった。出生制限が農民の間で広く行われたことが、マルサスの罠に陥ることから回避させて、江戸時代後半の一人あたり所得水準の維持向上を可能とした。このことこそ、17世紀の出発点では似たような状況にあったにもかかわらず、19世紀には、工業化の達成において日本が中国よりもずっと先んずることとなる原因でもあった。P109

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 倫理的問題は別としてもと書かれているが、
ここでは命にたいして、今とは別の考え方があったと見るべきなのだろうか。
本書では、堕胎や間引きが行われていたことが、経済的発展からは肯定的に評価されている。
 
 江戸時代の人々は、なぜ危険がいっぱいで悲惨な方法を用いてまで人口制限を行なおうとしたのだろうか。間引や堕胎は時代、地域を越え、さらに階級を越えて実行されていたという。下層武士(旗本)のあいだでさえそれは常識であった。(中略)通説に反して、人口制限は真の困窮の結果ではないと見る立場が増えている。むしろ人口と資済の不均衡がもたらす破局を事前に避けて、一定の生活水準を維持しようとする行動であったというのである。P214

 現在の人工妊娠中絶をどうみるであろうか。
後世になれば外科手術の安全度は高まるだろう。
だから、現在の中絶手術は危険きわまりなく見えることだろう。
とすれば中絶手術は、間引きや堕胎と同じように考えることができる。
貧困だから中絶したとは、誰も言わないだろう。

 人間の感覚とか、嗜好はそれほど違わないし、
種族保存より個体維持が優先するのも、いつの時代でも変わらないだろう。
それでありながら、産業革命以前の人間には、極大利潤の追求は思いもつかなかっただろう。
なぜなら、農業とは大地を相手にした労働であり、大地の制約を超えることはできなかったからである。

 われわれが伝統と考えているような人口学的な特徴も、農業社会における市場経済の発展と生活水準の上昇に対応して生みだされた歴史的な産物であったということである。現代日本で起きている結婚の変化、少子化、高齢化、家族形態の変化も、一概に社会病理や社会問題としてみるのではなく、工業化をともなうひとつの文明システムが形成され、やがて成熟してきたことに随伴する現象であり、ここに近代日本の新しい人口学的システムが形成されつつあるとみるべきなのである。P270

 本書の立場に、私も賛成する。

そして、工業社会の次に情報社会がきており、情報革命という新たな動きがあると考えれば、人口が減少することも説明がつく。
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参考:
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972


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