匠雅音の家族についてのブックレビュー    碁打ち・将棋指しの誕生|増川宏一

碁打ち・将棋指しの誕生 お奨度:

著者:増川宏一(ますかわ こういち)平凡社、1995年    ¥980−

著者の略歴− 1930年長崎市生まれ。旧制甲南高等学校卒業.以来,将棋史および盤上遊戯史を研究.大英博物館リーディングルーム・メンバー,社団法人将棋博物館顧問.遊戯史学会理事. 著書に,「将棋T・U」「盤上遊戯」「賭博T〜V」「碁」「さいころ」「すごろくT・U」(以上,法政大学出版局),「賭博の日本史」平凡社,「ゲームの博物誌」宝島社などがあるほか,共著に“Homo Ludens−Der spielende Mensch:Verlag Emil Katzbichler,Munchen−Salzburgがある.
 盤上遊技とは碁・将棋やチェスのことである。
盤の上で遊ぶので、盤上遊技である。
論理をおって遊ぶ囲碁や将棋は、千年近く昔にわが国に伝来した。
そして、本格的に普及し始めたのは、中世からだと言われている。
本書は、碁や将棋を生業とする人が、どのように生まれてきたかを、
文献を遡ってたどったものである。

 まず筆者は、碁や将棋といった勝負事が、芸事だったという。
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 各種の遊芸が長く伝えられた現在では、芸術は高尚で勝負事は下劣、下賎という概念が広く浸透している。この理由と根拠には様々な要因と歴史的な経過が存在するが、中世において芸術と勝負事の間には、いまの我々が考えているような隔たりはなかった。P14

         
 連歌にしてもお茶にしても、すべて勝負がかかっていた。
勝ったことによって品物が手に入った。
公家や貴族たちは、多くの景品を差しだして、勝負に勤しんだ。
もちろん囲碁・将棋とて同じである。
私は、囲碁や将棋といった論理を遊ぶゲームが、庶民層に普及すると近代化が始まる、という仮説を立てている。
が、筆者には必ずしもこの仮説は支持されない。

 碁や将棋は、15世紀には既に公家や上層の僧侶の独占物ではなくなっていた。各地の出土駒はそれを証明していて、京都の公家とは無縁の城館跡で発見されているのは、各地の豪族や下級の武士にまで普及していたことを示している。P46

 兵農が分離していなかった時代、下級武士と言えば、庶民をまで含めて良いのだろうか。
通常、働かなくても良い支配階級は、人口の1割といわれるから、
武士を支配階級とすれば、まだ庶民にまで普及したとは言えない。
しかし、江戸時代になると、相当に普及の度を広めたようである。
それは多くの浮世絵などにも残されており、庶民しかも女性もが碁や将棋を遊んでいる。
 
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 これまでの史実は、京都の上層部の人々を中心に、17世紀初頭に至るまでの囲碁・将棋の愛好を伝えてきた。この頃になると京都だけでなく江戸においても、日向の宮崎城主上井覚兼の日記から九州南部でも、碁・将棋が盛んであったことがわかる。また、水無瀬駒の発注者のなかには堺衆の名前が幾人かみられる。さらに近年、遺構から発掘された15、6世紀の将棋の駒から推定すると、少なくとも一乗谷のほかに島根県の新宮党館跡、兵庫県姫路の御着城跡、静岡県の小川城跡、長野県増自城跡、大阪市中等々の各地で、将棋が遊ばれていたことがわかる。P143

 16世紀になると、碁打ちが模範対局などをするようになる。
徳川家康は碁が好きだったらしく、碁打ちが月に何度も召し出されている。
これはもちろん多くの武士たちに、碁や将棋が遊ばれていた背景があり、
家康だけが碁を遊んだわけではない。
つまりこの頃には、相当広く普及していたと見るべきだろう。

 しかし、私が庶民層に普及と言っているのは、
近所のオジサンでも碁や将棋に、時間が使えることを言っている。
つまり庶民が、すべての時間を生産活動に割かなくても良い。
その位の生産力になった段階を想定している。
それが近代化に突入し、将棋が盛んに遊ばれる、現在のアジアだと思っているのである。

 碁・将棋は高度に知的な遊戯であり、遊び手は一定の解析力や論理性が必要である。競技の内容からみて決して他の遊戯に劣るものではない。着手ごとに対局者の修練や考え方があらわれているので、内容の分析や検討も技偶の発展史として貴重なものである。P208

と思うがゆえに、近代化と論理を遊ぶ盤上遊技の普及は、相関関係にあると思うのだ。
運を遊ぶ賭博から論理を遊ぶ盤上遊技への転換は、近代の論理的思考=科学の前哨ではないだろうか。
筆者も言うように、盤上遊技の研究はほとんどなされていない。
私の仮説はまだまだ検証が必要だが、筆者の著作からは教えられるところが多く、いつも感謝しながら読んでいる。
   (2002.7.19)
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参考:
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クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
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野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
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李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
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ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
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平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980

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