匠雅音の家族についてのブックレビュー     ゲストハウスに住もう!−Tokyoの非定住生活|今一生

ゲストハウスに住もう!
Tokyoの非定住生活
お奨度:

著者:今一生(こん いっしょう) 晶文社、2004年   ¥1600−  

 著者の略歴− 1965年生まれ。コピーライターを経て、90年からフリーライターに。オルタナチイヴ・カルチャーを題材にさまざまなイヴェントを主催。著書に、『生きちゃってるし、死なないし/リストカット&オーバードーズ依存症』(晶文社)、『大人の知らない子どもたち〜ネット、ケータイ文化が子どもを変えた』(学事出版)など。編著に、『オルタカルチャー日本版』(メディアワークス)、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙/生きていく人として』(宝島社)など。

本書からは、新しい時代を感じる。
取材対象はもちろん、筆者のスタンスにくっきりした個人主義を感じる。
ゲストハウスに着眼した筆者の視線に、大いに敬意を表する。
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 コーポラティブ・ハウスやコレクティヴ・ハウス、また福祉マンションなど、住まいに関しては、新たな動きが以前からあった。
家族と住まいないことを、主題にした著作もある。
しかし、そうしたものも結局は、工業社会の核家族から抜け切れていないものが多く、ネトネトした人間関係を引きずっていた。
本書は地域べったりの人間関係から無縁であり、情報社会の住まい方を提示しているように感じる。

 1993年に、長谷川文雄さんが「定住を越えて:マルチハビテーションへの招待」を書いているが、当時、言われた定住を越えるとは、むしろ定住地をたくさん持つと言った感じだった。
いわば別荘を何軒も持って、そこを徘徊しようと言った非定住で、土地との関係は切れていなかった。
本書では、完全に土地との関係が切れている。新しい人種が、やっと登場しつつあると感じる。

 ゲストハウスという名前は、アジアを旅するとよく目に付いた。
貧乏旅行者には、絶対の必需品で、私もよくやっかいになった。
ホテルに比べるとずっと安く、長期滞在に向いたものである。
正確な定義は知らないが、ペンションのようなものである。
1泊でも構わないし、長期滞在もでき、自炊もできることが多い。
バックパッカーたちが好んで投宿していた。

 貧乏旅行者といっても、現地では金持ちである。
仕事をせずに旅行できるというのは、先進国の住人しかあり得ない話である。
先進国の貨幣価値はアジアではとんでもなく高かった。
したがってゲストハウスも、現地の人には決して安い宿ではないだろう。
ところが、我が国のゲストハウスは、外国からの貧乏旅行者向けではなく、我が国の貧乏な若い人向けに発達したらしい。 

 海外のゲストハウスはトラベラーとか外人向けだと思いますね。それに比べると日本のゲストハウスは安いんですよね。家賃プラスアルファぐらいで住めるから。イニシャルコスト(入居時の費用)はふつうの賃貸よりも安いのでコミュニティも容易に出来ますし。
 ふつうの日本人、派遣OLやフリーターの若者がいるところに入れるってところかな、特徴は。みんながツーリストというゲストハウスが海外のスタンダードだとしたら、日本はむしろロングステイで住む日本人とコミュニケーションができるってことですかね。P143


と、あるゲストハウスの経営者が語っているが、両者は似て非なるもののようだ。
一般のアパートに比べると、たしかに外国人が多いが、住人の半分以上が日本人である。

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 敷金・礼金、仲介料ゼロ。仲間つき。保証人不要で、入退居も簡単。これが、首都圏で急増中のゲストハウスだ。
 ここにやってくるのは特別な人ではない。引きこもりから脱したい。懐は寒いけれど、親元を離れてみたい。夢を実現するめに東京で暮らしたい。暴力夫から逃げたい……。自分の居場所を探して一歩踏み出した彼らは、どんな生活をして、何を見出しているのか?
 ゲストハウスならではのメリットと、知っておきたいこと。プライバシーの守り方。隣人との上手なつきあい方。物件探しのコツなど、実用情報も満載。
 『完全家出マニュアル』の著者が報告する、新しい共同生活のかたち。


と、扉の見返しに書かれているように、地域共同体に頼らない生き方が提示されている。
ここには新しい共同生活の形がある。
どこかネトネトした人間関係が切りきれていないコーポラティブ・ハウスやコレクティヴ・ハウス、また福祉マンションなどと違って、個人が潔く1人になっている。

 普通のアパートやマンションでは、地域に根付いたとか、地域住民のつながりを大切にといった、農業社会のしきたりが跋扈する。
良識ある住人たちは、戦前の町内会まがいの、相互監視社会を理想としているようだ。
この反対にあるのは、隣とはまったく没交渉のマンスリーマンションである。
両者は同じことの両面であり、地縁・血縁に立脚している。
いずれも個人が未確立な、農耕社会の子孫たちでないと、住み続けることは難しい。

 外国にでた旅行者は、土地との関係を持ちようがない。
土地に定着しなくても、生きていける。
土地との関係が切れると、なんと自由なことか。
外国にでて、自由な人間関係を知ってしまうと、もはや農耕社会の人間関係には戻れない。
土地→物→情報と流れる時代のなかでは、それは当然のことだ。

 情報社会化は、人間を浮遊化させるので、人間が地域に根付くことができない。
地域に根付いた人間しか、住んでいない中では、情報社会化した人間は浮いてしまう。
当人たちは自覚していないが、浮くのは個人的な問題ではなく、生きる価値観の違いである。
農民に個人主義を求めても無理である。産業構造の違いが、人間の生き方やセンスを決めてしまうのだ。

 情報社会とは、土地に生産の基盤をおいていない。
個人の頭脳が生産基盤であり、個人的な発想が何よりも大切にされる。
しかし、人間は関係性に生きざるを得ないから、1人では生き続けることはできない。
だから拘束の緩いゲストハウスは、ちょうど良い距離感を保った住まいなのだろう。

 浮遊する人間関係の反映が、非定住であり、土地からの無拘束だろう。
今まで、浮遊する個人に対応する住宅がなかった。
現在のゲストハウスが、情報社会の典型住宅となるかは不明である。
しかし、保証人を求めるような住宅は、農耕社会のものであり、情報社会に対応できない。
保証人がいなければ入居できないような住処は、人間を人間として扱っていないと言っても過言ではない。

 ゲストハウスの住人たちこそ、今後の情報社会に生きる人間たちだろう。
ゲストハウスは今後の住宅に、大きな意味を持つだろう。
筆者は建築関係の専門家ではないから、既存の住まいにとらわれずに、本書のような視点が提示できるのだろう。
小さな本だが、とても大きな衝撃力があった。   (2005.06.10)
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参考:
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997

ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997



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