匠雅音の家族についてのブックレビュー  あなたはどれだけ待てますか|ロバート・レヴィーン

あなたはどれだけ待てますか お奨度:

編著者: ロバート・レヴィーン  草思社、2002年   ¥1、800−

 著者の略歴−1945年生まれ。米国カリフオルニア州立大学の心理学教授。ニューヨーク大学で社会心理学の博士号を取得。異文化問の生活ペースの違い、および利他主義の心理について研究し、数々の賞を受ける。フルミネンセ連邦大学(ブラジル)、ストックホルム大学(スウ工−デン)、札幌医科大学(日本)で客員教授を務めた。

 せっかち文化とのんびり文化の徹底比較と、副題がうたれた本書は、民族や国民性によって時間がどのように扱われるかを考えたものだ。
地球上の人口は約60億人だが、時間を時計で測っている人は、意外に思うかも知れないがほんとうに少ない。
時計を生活の基礎にしているのは、工業化されたいわゆる先進国だけだ。
農耕社会に生きる人たちは、農作業や自然の動きと連動した、出来事時間にしたがって生きている。
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 時代をさかのぼれば、江戸の時間は陰暦だった。
同じ1刻(いっとき)でも、夏と冬では長さが違った。
また、外国を旅行した人なら誰でも、時間の扱いに違いのあることを知る。
メキシコで「アスタ マニアーナ」といわれれば、入手はほぼ絶望だと知る。
スウェーデン人と会う約束をしたら、相手のスウェーデン人は5分前にはその場所にいる、と想像がつく。
わが国の列車は、ほぼ時刻表のとおりに走るが、途上国ではそうとは限らない。

 産業革命が起き、工業社会が興隆するに及んで、自然の時間では上手くやっていけなくなった。
簡単な話、各地方ごとに基準となる時間が違ったら、列車はダイヤが組めない。
だから時計に頼らざるを得なかったのだ。
つまり時計時間にいきるのも、近代だからである。
時計なるものが生まれたから、人は忙しくなったわけではない。
近代という時代が、時計を要求したのである。

 近代以前には、時計時間で働く必然性はなかった。
だから、人間がより早く動くのは、経済的に活力があり、工業化の度合いが高く、人口が多く、気候が冷涼で、個人主義的な文化傾向があるところだ、という指摘は当然だろう。
先進工業国の人たちは、農業という自然の産業から離れたので、人為的な時間体系に従っている。
時計時間はますます早くなって、人間たちを追い立てる。

 途上国では短い寿命、劣悪な食糧事情、大きな貧富の格差、乳幼児死亡率の高さなど、庶民が生きていくには大きな困難が待っている。
しかし、途上国で金持ち側に生まれたら、至上の幸福が約束されている。
時間は金持ちの行動に従って伸縮するし、社会的な公平さは金持ちのほうに大きく傾いている。
金持ちは並ぶ必要もないし、王様には相手のほうがやってくるから、王様が待つことはありえない。
モロッコの王様が、イギリスの女王を待たせたのは有名な話だ。

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 先進工業国の人たちは、物に恵まれて経済的な繁栄を享受している。
国民の平均的なところで計れば、先進国の人たちのほうが幸福であろう。
もちろん途上国の人は、先進国の状態を知らないから、途上国の状態のままで幸せだというかもしれない。
また、ある人は人間的な幸福は、途上国にあるというかも知れない。
しかし、世界中の途上国が、必死になって工業化をめざすのは、農耕社会より工業社会に幸福があると信じているからだろう。

 最近の文化人類学者たちは、文化相対主義をとっている。
だから、先進工業国を居心地の悪い社会だといいたがる。
本書もそうした嫌いがある。
どんな社会も近代社会へとむかう、という進歩史観は旗色が悪い。
確かに近代工業社会を実現しているのは、地球上の20%くらいであって、圧倒的多数はいまだに農耕社会に生きている。
富の多くは先進国にあるが、人数は途上国のほうが圧倒的に多いから、多数決は途上国側に傾く。
ヒューマニズムの精神からすれば、人数の多いほうに正義があるということになるのだろう。

 本書の白眉は、各国の生活のペースを、実際に計ったことだ。
1.繁華街での歩く速さ 
2.郵便局での作業の速度 
3.公共時計の正確さ の3点を、31ヶ国で計測している。
その結果は次のとおりの順位になった。
西ヨーロッパ諸国と日本が上位にいる。これは何を物語るのか。

国名 生活ペース 歩く速さ 郵便局の作業 時計の正確さ
スイス
アイルランド 11
ドイツ
日本
イタリア 10 12
イギリス 13
スウェーデン 13
オーストリア 23
オランダ 14 25
香港 10 14 14
フランス 11 18 10
ポーランド 12 12 15
コスタリカ 13 16 10 15
台湾 14 18 21
シンガポール 15 25 11
アメリカ 16 23 20
カナダ 17 11 21 22
韓国 18 20 20 16
ハンガリー 19 19 19 18
チェコ 20 21 17 23
ギリシア 21 14 13 29
ケニア 22 30 24
中国 23 24 25 12
ブルガリア 24 27 22 17
ルーマニア 25 30 29
ヨルダン 26 28 27 19
シリア 27 29 28 27
エルサルバドル 28 22 16 31
ブラジル 29 31 24 28
インドネシア 30 26 26 30
メキシコ 31 17 31 26
175頁から
     
 この表が語ることは、おおむね肯首できる。
文化が洗練された、つまり先進工業化された地域は、民族性を超えて同じ様相を示す。
筆者は抑えた表現をしているが、先進工業国が時間に追われて不幸だというわけではない。
せっかちな文化に住む人でも、他人への思いやりは充分にあるし、のんびり文化の人が親切とはかぎらない。

 せっかちなわが国の郵便局員が、頼まなくても切手を小袋に入れたり、領収書を発行する。
こんなサービスは世界のどこでもやっていない。
猛烈に速い速度で仕事をして、かつ世界でまれに見るサービスを提供しているのが、わが日本の郵便局なのだ。

 時間にかんしては本書が、空間にかんしてはエドワード・ホールの「かくれた次元」が、近代人と前近代人の違いを浮き彫りにしてくれる。
近代人は時間に几帳面で、個体間距離を離したがるのに対して、前近代人は自然の出来事時間に生き、接近した個体間距離をとる。
近代人と前近代人の生活習慣や意識は、大きく異なることは事実である。
そして両者の違いには、近代人は大地から離れて生活するが、前近代人は大地に密着して生活する、というのも加えて良いだろう。

 前近代と近代のどちらが良いというのではない。
ただ、両者のあいだには明確な違いがあり、その違いを知らないと相互理解はできない。
そして、前近代にある途上国は近代化しようとするが、近代工業国は農耕社会へ戻ろうとはしない。
途上国の庶民は先進国へと旅行はできないが、先進国の庶民は途上国に旅行が可能である。
そんな違いがあるだけだ。   (2003.11.21)
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参考:
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石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
森山大道「犬の記憶」河出文庫、2001

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