著者の略歴−1966年、東京生まれ。高校在学中より雑誌にコラムを執筆。立教大学社会学部観光学科卒業。広告代理店に三年間勤務の後、執筆に専念。独自の視点、細やかな観察眼にもとづき「細部」に宿る快楽、心の奥底に潜むかすかな意地悪までも鮮やかに描き出し、女性はもちろん男性の読者も急増中。著書に「負け犬の遠吠え」(講談社)、「結婚疲労宴」「ホメるが勝ち!」(ともに講談社文庫)、「入れたり出したり」(角川文庫)、「容姿の時代」(幻冬舎)、「観光の哀しみ」(新潮文庫)などがある。 後半になってやや力が衰えたが、それでも読ませる。 本書を出版した後、かの有名な「負け犬の遠吠え」を上梓しているが、 筆力のある筆者ならではなのだろう。 出産は女性にしかできないので、本書のような本音の記述にであうと、 男性である私は何も言えなくなってしまう。 しかし、ちょっと言わせてもらう。
子供が減っている現状をみつめ、少子化対策がなされても、少子化は止まらないと筆者は言う。 ほとんど同感する。 物造りに都合の良い核家族は、出生数をコントロールできたから、高度経済成長もあった。 家族数だけ増やして、1軒の出産数は減らせたから、有効需要が伸びたのだ。 戦後、人口は右肩上がりだったが、じつは1人の女性が産む子供の数は、一貫して減り続けていた。 戦後の女性は、4人も5人も子供を産んでいたわけではない。 それでも家族数がふえた。つまり、ほぼすべての女性が結婚して、子供を産んだから、人口は増え続けたのだ。 とすれば、戦後の経済構造が、女性にたくさんの子供は不要だと言ったことになるだろう。 本書は女性が子供を産まなくなった原因を、さまざまに探っているのだが、 社会的な理由と言うより個人的な理由をあげている。 だから、人口が減少し始めた理由を、子供が不要になったからだとは言わない。 それでも本書がユニークなのは、本音を語っているからだ。 女性が子供を産まなくなった理由の1番目は、「痛いから」だという。 出産はとんでもなく痛いらしい。その恐怖が、女性たちを怯えさせ、出産をためらわせているのだという。 まったく同感である。 痛い、それも尋常ではない痛さなど、誰が好んで体験するものか。 子供は可愛いのが判っていても、痛さの前に引いてしまうのは、まったく当然だろう。 先進国では無痛分娩が普通だというの、我が国では激痛分娩が普通では、出産がふえないのは当然である。
これも納得。筆者のいうことは、まったくもって個人的な理由であり、 個人的な理由を理由にできるのが、産む女性が書いた特権なのだ。 「面倒くさいから」子供を産まないという理由に至っては、まったく膝をたたいて同意する。 自分が産むことを棚に上げて、女性の学者が少子化を論じても、ほとんど説得力はない。 筆者は子供を産んだ経験はないが、自分が産むことを視野に入れて発言している。 そこが良い。 そして、筆者は大学フェミニストのように、女性一般という捉え方をしない。 で、今。自分の周囲を見回してみて、最も深い溝の存在を感じるのが、対「子持ち専業主婦」との間なのです。 それは、既婚者と未婚者の間や、経産婦と未産婦の問にある溝よりも、ずっと深いものです。結婚をしていても子供を産んでいても、「仕事をしているか否か」が、仲間かどうかの分れ目になってくる。つまり私は今、「社会との関わり」という共通言語を持っていない人を相手にすると一番、話しづらいらしいのです。(中略) 子持ち専業主婦と話す時、私は国際交流をしているような気分になります。こちらとあちらは、違う文化圏に生きる身。ですから外国人と話す時と同様、まずは「私の価値観とこの人達の価値観は、全く違うのだ。友好関係を築くには、お互いの文化を尊重し合わなければならないのだ」としっかり認識してからでないと、お互いを傷つけることになる。P72 我が国の大学フェミニズムが、この視点をもっていたら、 女性学者たちももう少し女性たちの役に立っていただろう。 しかし、我が国の大学フェミニズムは、女性が解放されることの意味をわからず、女性をすべて一緒くたにしてしまった。 女性の解放とは、男性を家庭に引っ張り込むことではなく、 「人形の家」のノラが家を出たように、女性が核家族から脱出することだった。 いまでも大学フェミニズムは、「男性も子育てを」などと言って、男性を核家族に引きずり込もうとしている。 しかし、「クレーマー、クレーマー」が描いたように、 女性は核家族内で行われる、子産みも子育ても放棄すべきだったのだ。 そして、自分1人で子供を産むべきだったのだ。 そうしてこそ、女性の解放があったのだし、女性の自立があったのだ。 男性が女性に1人で産めといえば、男性は無責任だと言われる。 だから、けっして1人で産めとはいえない。 しかし、核家族という制度のなかで子供を産む以上、 稼ぎのない女性は男性支配のなかで、子育てせざるを得ない。 核家族を維持できれば、男性支配が維持できるのを男性は知っているので、 核家族での子育てには、男性も反対しないのだ。 ほんとうに女性が、私生児を産み始めたら、男性たちは青くなるだろう。 核家族とは、<産んだ女性が子育てをする>ことを女性に信じさせた。 子供は産んだ女性ではなくても育てられるのに、産んだ母親が育てることを正しいと、 社会や女性に信じさせたことが、核家族を普及させた最大の功績だったし、 また最大の罪悪だった。 核家族によって高度成長経済も達成できたが、 同時に核家族によって人口減少も招いてしまった。 (2007.07.10)
参考: ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001年、 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005 越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972 大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002 J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997 磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003 賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997 E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001 S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001 石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002 マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003 上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990 斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001 斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997 島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004 伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004 山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999 斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006 宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000 ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983 瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006 香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005 山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006 速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003 ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004 川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001 菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005 原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003 A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998 ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001 棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999 岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992 加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004 バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001 中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005 佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984 松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993 森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997 林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997 伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998 斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009 高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006 デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995 ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997 ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997 編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995 ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005 広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002 服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972 ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
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