著者の略歴−1960年横浜生まれ。津田塾大学在学中の83年、「応為坦坦録」で第20回文芸賞受賞。以降「文七殺し」「源内先生舟出祝」「善知鳥」「デンデラ野」「居酒屋ゆうれい」と、才気溢れる筆致で、独得の世界を展開している注目の大型作家。 1845年(弘化2)に生まれ1878年(明治11)に死んだ<脱疽の田之助>こと、三代目沢村田之助の生涯をもとに、小説化したものである。 本書の主人公沢村田之助は、脱疽に冒され、両足のみならず、両手までも切断した。 しかも、その後も舞台をつとめたという、稀代の歌舞伎役者である。 今日ならと考えると、複雑な思いである。
そこには手足がなくて可哀想だといった、浅薄な同情心はみじんもない。 本書は小説だから、どこまでが事実でどこまでがフィクションだか判らない。 事実にもとづいた歴史小説は、事実を追うよりむしろ筆者の眼力を読むのだろう。 筆者の筆力は、手足がない人間がいかに生きているか、しかも、役者としての生き様を、ぎりぎりとえぐっている。 悪女を得意とした女形で、しかも淫猥な濡れ場、折檻されるシーン、輪姦、流血、殺人といった倒錯的な舞台が多かったと描く筆者は、美しい役者の真理にも踏み込んでいく。 芸者は芸は売るが体は売らない、芝居ではよくそんな啖呵を切るが、役者は何の因果か芸も売るし体も売る。お馴染みさんに呼ばれてちょっと、のちょっとがそれである。この稼業は各々の座元から出る給金だけではやっていけない。いい贔屓が後ろにつかなければ衣裳ひとつ、簪ひとつにもことを欠く。(中略) 役者買いなどをするのは大抵大店の旦那かおかみ、それも名代の役者に手をつけられるのはそれ相当の金持ちと相場が決まっているから、大人しくいうことを聞いていれば、美味い酒にも料理にもありつける。扱い様も決して粗末にはされない。惚れる老は舞台を見て既に惚れているので、寝床での手練手管も要らない。かえってぼーっとしている方が、可愛い気があるといって喜ばれるくらいである。P11 人気絶頂のこの時、田之助は22歳だった。 人気におだてられ、自分でも自分の美しさに自惚れなければ、人気稼業はつとまらない。 贔屓筋をそつなくまわりながら、深入りもしないで上手く身を処している。 お金の出元であれば、相手の男女をとわず、素直にベッドを共にしていく。
筆者の筆はあっさりと、足を切らせてしまう。 片足のない役者は、もう舞台に立てないかと思うと、片足の役をやり通す。 もちろん両足の時代より、無様な様子も多い。 そんな彼のところに、4年前に一度だけ床入りしたという加茂路なる女が、子供を連れて押し掛けてくる。 このすこぶるいい女に、この子はあんたの子だが、自分が育てると言わせたあと、3人で所帯じみた生活が始まる。 しかし、脱疽がもう片方にも及び、とうとう両足切断になったとき、筆者は加茂路に次のように言わせている。 いくら腹を立ててももう体のきかない田之助を、加茂路は蔑むように見下ろす。 「大きな声を出したって犬の遠吠えだよ。ふん、殴りたけりやあ殴ってもいいんだよ。ほらほら、ここまで来れるかい」 離れたところに立って手を打ちながら喋うのである。(中略) 「片足のないおまえは両足のあるおまえより色気があったけど、両足がなくなっちまったんじゃ目も当てられないだけだよ。見苦しいただの片輪だ」 加茂路は憎さげに「片輪」「片輪」といって田之助を睨んだ。P142 筆者は片足の色気という。 田之助が片足を切断しただけの時は、気持ちも滅入っていない。 むしろ片足などなくたって、立派に舞台をつとめてみせる、そう自覚している。 だから、加茂路はそうした意気に惚れている。 しかし、さすがに両足切断になると、気持ちが内側に入ってしまう。 もともと自惚れ屋だったが、それも裏目にでる。 筆者の透徹した目は、両足のなくなった田之助もとから、加茂路を引き離す。 加茂路は憎々しげに罵倒して、田之助の元を去っていく。 両手足のなくなった田之助は、まだ舞台を続けるが、とうとう舞台からも引き下がる。 史実では狂死したとあるが、小説はここで終わっている。 手足がなくても生きていく。 いや生きていかなければならない。自分の力で生きていくとすれば、自分で立つより他にはない。 障害があろうとなかろうと、筆者はまったく同じ人間としてみている。 一見すると冷徹なようだが、障害者を普通の人間としてみる、筆者の目は実に暖かい。 本書執筆当時、26歳と若い筆者の視線が、優しいまなざしとして良く伝わってくる。 (2002.9.20)
参考: アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、183 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」 KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002 橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998 エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009 島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007 工藤美代子「快楽(けらく)」中公文庫、2006
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