著者の略歴−1949年、京都生まれ。東京大学文学部卒業、大阪大学大学院修士課程修了。大和文華館を経て、現在国際日本文化研究センター助教授。「江戸の性とエロス」国際セミナーなどの主要メンバー。主な著書「蕪村画譜」毎日新聞社、「浮世絵秘蔵名品集」学習研究社、「夜色桜台図」平凡社 ゲイの台頭を受けて、同性愛に市民権を与えようという動きが目立つ。 ゲイは少数者で、差別されているから、何とか市民権を獲得したいという願望は、よく判る。 伏見憲明氏も「ゲイという経験」で、ゲイ差別の解消を切々と訴える。 当サイトも、ゲイの解放を支持する。 しかし、同性愛一般を語ることによって、ゲイも女性論と同じ過ちを犯そうとしている。
女性史研究家の語った女性論は、大昔には女性が権力を握った時代があった、と言った。 しかし、今ではそれは否定されている。女権支配はなかったが定説である。 歴史上女性が権力を握ったことはなかったが、先進国では今、フェミニズムを掲げて女性が台頭してきた。 女性の台頭は歴史上初めてのことである。 我が国の女性運動は女性であることに拘り、人間に脱皮しなかった。 専業主婦をも女性として擁護したので、結局、働く女性たちから見捨てられてしまった。 ゲイも同性愛者をすべて仲間と見なして、異性愛の支配する世界に対置しようとしている。 そして、ゲイの新しさを訴えず、同性愛者とゲイの違いを論じない。 日本文学に表れた同性愛の最も古いものは、「昔、男いとうるわしき友ありけり」と書かれた「伊勢物語」であるといわれる。 これほど昔から、同性愛はあった。 同性愛があったのは、我が国だけではない。 中国にもあったし、ギリシャにもあった。 世界中にあったし、いまでも途上国にはあるはずである。 しかも、男性の同性愛は、けっして日陰者ではなかったし、差別の対象でもなかった。 本書は、男色つまり男性の同性愛を描いた浮世絵集である。 男女の性交の姿態を描いた、春画とか枕絵と呼ばれるのは有名だが、男色は語られることは少ない。 しかし、男色もたくさん描かれていた。 菱川師宣、鈴木春信、葛飾北斎、喜多川歌麿などといった有名画師が、あでやかに男性同士の絡みを描いている。 しかし、これら同性愛は、現代のゲイとは決定に異なる。 かつての同性愛は、成人男性と年少の男性との間にかわされた、肉体的な愛情関係だったのである。 変声期までとか、髭が生えるまでといった少年たちが、成人男性の相手をしたのである。 しかも、成人男性の性的な行動として、女色(男性と女性の間の性行動)とまったく同じ位置に、男色(成人男性と若年男性の性行動)が位置づけられていた。 江戸時代の初期はまさしく男色が「衆道」として立ち表れてくる時期と重なるが、このことはそれだけ男色が武士社会に定着してゐたことを物語ってゐるであらう。そして男色が「道」として立ち表れてきたといふことは、必然的に他の性現象との差別化が強く意識されてきたことを意味するであらうが、当時の男色論の多くは「女色・男色いづれが優れてゐるか」といふものであつた。ところがさうした論争を読んでゐて興味深いことは、「女色・男色いづれが優れてゐるか」といふ設問の根抵に、女色と男色を明確に区別する意識が見出せないことである。すなはち当時の論者の性意識においては、女色と男色が決定的な区別なく同一線上にあつたことを意味し、それはまたそれまでの日本の性風俗において、男性の性的欲望の対象が女であつても男であつても、選択自由であったことを意味するのである。P6 かつての性関係は、年齢秩序と性別役割を背景とし、社会的な上位者が下位者に挿入する関係として、成り立っていた。 だから、社会的に上位の男性が、下位の女性に挿入するのと、年齢が上=社会的に上位者が、年齢が下=下位者に挿入するのは、まったく同じことだと見なされていたのである。 プラトンの「饗宴」でも書かれているように、若年男性が高齢者に挿入する関係は、文化の流れに逆らうことだから、どんな社会でも厳しく禁止されている。 肉体が優位した社会では、知恵は加齢によって蓄えられので、年齢秩序が文化の継承を支えた。 文化的な上位者が主導権をとる限り、どんな性関係も許容範囲内だった。 しかし、現代にいうゲイは、年齢秩序が崩壊したので、登場した対等な横並びの人間関係である。 ここで、同性愛として、男色とゲイを一括りすると、年齢秩序の崩壊が、もたらした意味を殺すことになる。 ゲイは性別役割の崩壊によって生まれたのではなく、年齢秩序の崩壊によって誕生したのである。 かつての同性愛=男色は、明らかに年下もしくは女性の代わりとして、愛情の対象としたのである。 浮世絵に表された男色図に共通していへることは、男色相手のほとんどが年若い女性と見紛ふほどの美形の若衆であるといふ点である。着物も女性物を着てゐるので、図柄を見ただけでは男か女か分からないことが実に多い。明らかに男と男という図柄はまったくといつていいほどない。P91
同性愛は、子孫を残せないからタブー視されたのではない。 どこでも男色という同性愛は、大手を振って認められていた。 しかし、両当事者が対等の、男と男というゲイは許されなかった。 今日のゲイは男性の意識のまま、もしくは女性の意識のまま、横並びの関係として同性を愛する。 上下関係の支配する中で、横並びを強調するのは、秩序に刃向かうことだ。 だからゲイは許されなかったのである。 歴史上、同性愛が差別されてきた歴史などない、と言っても過言ではない。 しかし、歴史に存在したのは、男色という同性愛であり、今日いうゲイとは似て非なるものだった。 しかも、女性癖も女性への変身である「おかま」も、劣位者たる女性となることによって、その存在を許されていた。 だから、一部のゲイがいうように、同性間性愛が差別の対象なのではなく、同年齢の同性による愛情関係が、存在を許されなかったのである。 今日のゲイは、男性間のみならず女性が女性を愛する形もある。 しかし、女色とは男性の女性に愛する性愛だったように、女性が女性を愛する関係はほとんどなかった。 もちろん文学作品や浮世絵などに残ってはない。 本書にも女性同士の絡みは、まったくない。 女性が主導権を持てない社会で、女性のゲイは存在しようがなかったのである。 女性論が、エンゲルスやバハオーフェンなどを受けて、歴史にないことを言ってきた。 そのツケが今来ている。 ゲイもきちんとした歴史認識を持たないと、たちまち時代に取り残される。 女性の自立は進んでいながら、我が国ではそれに対応する女性論がない。 それと同じ現象がゲイにも訪れようとしている。 近視眼的な運動の拡大のみを考えていると、時代から根底的な逆襲を食らわされる。 歴史上初めて登場したゲイには、同質の先達はいない。 かつての男色は、今や先進国では、幼児虐待として犯罪である。 男色というイメージを払拭することに、西洋諸国のゲイたちは、心底苦労してきた。 我が国では子供保護の意識が弱く、男色の対象になる子供の保護に欠けると、先進国から非難されている。 最近になって、やっとゲイの真価が認識されて、都市部では市民権を獲得しつつある。 今までの説明で、ゲイがなぜ都市部にしか、生活できないのかも判るだろう。 我が国のゲイも、ゲイの市民権確立のために、きちんとした歴史認識を確立したいものだ。(2004.4.16) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006 礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987 アラン・ブレイ「同性愛の社会史 イギリス・ルネッサンス」彩流社、1993 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002 東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
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