フランスとアメリカの雑誌に掲載された、フーコーが50才の時のインタビューをまとめたものが本書である。
フーコーは概念を弄んで捕らえどころがなく、相も変わらず彼の言葉は難しい。
フーコーがゲイだったことは有名だが、
彼自身が体験してきた性的な世界と、本書はどのように関係しているのだろうか。
彼は同性愛ではなく、ゲイだ、ゲイスタイルが大切なのだと言っている。
同性愛者になるべきなのではなく、しかし懸命にゲイになるべきなのだと付け加えましょう。P42
この発言を聞くと、彼のなかで同性愛とゲイが別物であると意識されているようだ。
しかし、本書では同性愛とゲイの違いが、明確に定義されていない。
私はもちろん同性愛とゲイは、まったく別物だと考えている。
同性愛とは、いわゆる少年愛をさし、年長の男性と年少の男性との性愛関係である。
同性愛に関しては、本書でも論及されており、ギリシャ時代の同性愛に関して次のように彼は言う。
自分と同じ性の人間と寝た人間は、自分が同性愛者だと感じはしなかった。これは、
根本的なことだと思います。
成人男怯が少年と性交渉を持ったとき、道徳的な分割線は次のような問いを通ってい
たのです。その男性は能動的であるのか受動的であるのか? そして−髭の出現が或
る限界の年齢を規定していたために−髭のある少年と性交渉を持っているのかどうか?
この二種類の分割の組み合わせは、道徳性と非道徳性のとても複雑な輪郭を作り出し
ます。したがって、ギリシャ人においては同性愛が黙認されていたのだとするのは、何の
意味もないことになります。P22
この限りでは当然の発言である。
わが国における陰間の存在にしても同様である。
成人男性が、女性を買いに行くのと少年を買いに行くのは、
肥った女性か痩せた女性かの違い程度であったろう。
つまり、男性性の象徴たる能動性が発揮される限り、
女性であろうと少年であろうと同質の存在だった。
受け入れる存在として、肉体を男性の前に差し出しさえすれば、
相手の性別が問題になることはなかった。
だから、奴隷との性関係は自由市民が犯すもので、奴隷が犯されるものだった。
それは強姦の被害者が、常に女性か若い男性である必要と同じである。
性関係も、その社会の人間関係の反映に過ぎない。
それにたいして、同性成人間の性愛関係をゲイと呼ぶ。
ここでは両者が等質の横並びになっている。
彼は、成人男性間の関係と成人男性と少年の関係を区別していながら、
両者をはっきりとは定義しないまま話を進めている。
そして、話は突然に17世紀に飛んでしまう。
同性愛者とは呼ばれず、17世紀からは男色家(ソドミ)と呼ばれていた者たちに対し、一群の措置や訴訟や有罪判決等が行なわれたのです。それは非常に視雑な歴史で、三段階の歴史だと申し上げておきましょう。中世より、男色に対する死罪を含む法が存在していましたが、嘆かわしいと言わざるをえないその適用は、きわめて限られていました。その法の存在、法が適用された枠組み、そしてなぜ、その場合にしか適用されなかったのかという諸理由など、この問題の構成を検証しなければならないでしょう。P38
ここで見えることは、近代以前にあったのは少年愛だけで、
成人男性間の性愛関係つまりゲイはなかったということである。
とすれば、話は簡単に説明が付く。
近代になって年齢秩序にヒビが入り、成人男性間の性愛関係が生まれた。
しかし、未だ強固な年齢秩序によって、新たな性愛関係は頑強に否定されたのであろう。
情報社会化によって年齢秩序の崩壊はより進むから、
今後子供との間の性愛関係が増えるだろうが、
現在の倫理は幼年者への性関係を厳しく禁止している。
成人男性間の同性愛の台頭は、幼児性愛のこうした事情と同じ経路だったろう。
私は成人間の性愛関係だけをゲイと呼び、少年愛的な同性愛をホモと読んで区別している。
このあたりは、フーコーに問いただしてみたかったことである。
それにしても、少女愛的な同性愛つまり年長の女性と、
年少の女性が性愛関係を持つことはなかったのだろうか。
ところで、筆者が次のように言っていることは、やはり疑問が残る。
近親相姦は、ポピュラーな、つまりここで言いたいのは民間に広く普及した、とても長い間行なわれてきた実践でした。近親相姦に対して様々な社会的圧力が向けられたのは、19世紀の末になってからにすぎません。そして、近親相姦の大禁止は、知識人たちの発明であることは明らかなのです。P74
近親相姦の禁止は、人間に限らず社会生活を営む動物のすべてに行き渡っている。
筆者はそれをいとも簡単に否定してしまう。
ここは再考が必要だと思う。
大きな文字でスカスカの本だが、フーコーだというので上梓されるのか。 |