著者の略歴−1932年、東上皇日山の隠田に生まれたが、お宮まいりの頃、下北沢に移り住み、今もずっと、同じところに住んでいる。駒沢大学文学部国文科卒。1965年頃より、同性愛の問題にとりくみ1971年7月、日本で初の同性愛専門誌「薔薇族」を創刊、同性愛者への差別や偏見をなくし、同性愛者自身の自覚を促す運動を続けている。エイズに対しては積極的に取り組み、エイズ予防を呼びかけている。フランスの画家、ルイ・イカール(1888〜1950)の作品をコレクションし、1993年11月には、自力で妻、久美子の古里の新潟県弥彦村に「ロマンの泉美術館」をオープンさせた。著書:「ぼくどうして涙がでるの」「心が破けてしまいそう=親、兄弟にも言えない苦しみはなんだ」 光風社刊、「薔薇族編集奮戦記=心ある人にはわかってほしい」第二書房刊、「薔薇を散らせはしまい=『薔薇族』と共に歩んだ22年」批評社刊、「伊藤文学青春歌集・靴下と女」銅林社刊。現住所=〒155−0032世田谷区代沢5−2−11 電話=(03)3413−9411 FAX=(03)3419−7509 今から30年前、同性愛の人たちを対象にした雑誌が創刊された。 その名前は「薔薇族」である。 今日では薔薇族以外にも、たくさんの同性愛の雑誌や書籍が出版されているので、 同性愛は珍しくも何ともなくなった。 しかし、30年前は大変だった。 男女の同棲ですら、不審な眼で見られたのだから、 同性同士が表だって仲良くしたらとんでもないことになっただろう。
本書は編集長の便りのコーナーから、選んだものが掲載されている。 日本にどのくらいの数の男子同性愛者が存在しているか、正確な数を 調べることは不可能なことですが、推定するならば、男が100人の中で、 6〜7人の同性愛者(アメリカの同性愛の研究者の数字による)が自然に生まれてしまうとすると、日本全国に300万人から400万人の同性愛の 傾向を持った人がいるということになります。 しかし、その9割までの人たちが、自分は同性愛者だと自覚はしていても、 心の奥深くに封じこめてしまって、まったく行動をしていません。同性愛者と して、なんらかの行動をしている人は、そのうちの1割ぐらいの30万から、 40万人ぐらいの人たちと、僕は推定しています。 P8 なぜ同性愛者になるのかは、実のところ判ってはいない。 思春期を迎えて気がついてみると、自分の愛情の対象が異性ではなかった。 男性として男性を愛する自分がいたということになる。 筆者は同性愛を生まれつきであるかのように書いているが、それは違うだろう。 生得であるとすると、同性愛が男性に多いことも説明がつかない。 「レスビアンの歴史」に従えば、ゲイは生理的な資質にもとづくものではなく、社会的に獲得された後天的なものだ、という。 本書に限らずわが国では、原因を考えるのではなしに、生じてきた現象への対応策を講じたがる。 本書も、同性愛が生まれる理由は考えないが、現に存在する同性愛者への雑誌である。 異性愛が中心の社会では、同性愛は少数派である。 しかし、単に同性を愛するというだけなら、世界中にまたわが国にも大昔から存在した。 ギリシャの少年愛やわが国の稚児趣味は有名だし、 江戸時代には陰間茶屋といって、少年との性行為を売る施設まであった。 これら男性が相手にした少年たちは、前髪を上げる前もしくは髭がはえるまでの、ごく若い時期の男性たちだった。 この時代には、同じ年齢や地位の男性同士の、愛情関係はあまり眼にしない。
差別が厳しくて同性愛だと言えない初期の時代から、 今日のように比較的自由にものがいえる時代まで、筆者は同性愛者をやさしく見続けてきた。 筆者もいうように、筆者は同性愛者ではなかったから、こんなに長く続けてくることができたのだろう。 同性愛者だったら、嫉妬などにからまれて長続きしなかったという。 本書の多くは、成人男性同士の愛情関係について書かれている。 しかし、本書にもっとも多く登場するのは、成人男性に愛されたい若い男性である。 これは一種の受け身的な小児愛であろう。 親子ほど年齢の離れた男女関係が、不審な眼で見られるように、 男性同士であっても世代が違う者のあいだで、愛情関係が成立するのは不自然である。 ましてや、幼い少年を愛する成人男性は、小児愛者と呼ばれて異端者とされやすい。 成人男性同士の愛情関係をゲイと呼び、 世代の違う同性同士の愛情関係をホモと呼ぶとすると、ホモは昔からあったが、ゲイはなかった。 ホモは男性支配と年齢秩序が支配する農耕社会のものである。 そのため、年齢秩序が崩壊を始めた工業社会になると、ホモは厳しく規制され禁止されるようになった。 情報社会の今日、小児愛のホモは犯罪である。 しかしゲイは、男性支配と年齢秩序の崩壊とともに発生し、横並びの関係である。 ホモと違ってゲイは犯罪ではない。 小児愛者はわが国の同性愛者のなかでも、いまや日陰の存在らしく、 <少年愛者を馬鹿にするな>とか <少年愛者は、人間のクズか!> <少年愛者よ、団結を>といった、少年愛者を特別視する文章が目に付く。 異性愛でも年齢差のある愛情があるように、ゲイとホモをどこで線引きするかは、とてもむずかしい。 ましてや、同性愛全体が日陰の存在だった時代には、ホモもゲイも一緒に助け合ったのは理解できる。 しかし、筆者の使う言葉には、最近の文章になればなるほど、ゲイという言葉が頻繁に登場する。 カミング・アウトについては、考えさせられた。 ゲイでありながら、女性と結婚して、偽装している人が多い。 だからか、カミング・アウトされた妻からという文章がある。 夫は″一番大切なのは君だ。君への気持ちはずっと変わらない。でも、この性だけはどうしても押さえられない。 男と男の関係は男と女のものとは違う。最終的にもどるのは君の所″と言うのですが。相手が女だったら、戦いようがあるのですが、男だとかああ、 やっぱり私じゃダメなんだ″と思ってしまうのです。過去のことは許せても、現在進行形で夫に″恋人″ができるのは耐えられないのです。 夫は″恋人とか、愛人じゃないんだ。友だちが欲しいんだよ。本音を語り合える友だちが……″と言います。でも、その″友だち″とデートし、旅行しSEXすることを考えると気が狂いそうになります。じっと家で待つことがどれほど地獄か。こんなことが一生続いていくのかと思うと、耐えられなくなる時もあります。私との生活をこれ以上の幸せはないと言いながらもどうして崩そうとするのか。正直いって″ノーマルな人と結婚していればこんなことでは悩まないのに″と恨むこともあります。でも、その一方で本音で私にぶつかってくれた夫の気持ち何でも隠さず話してくれる夫なりの誠実さを思うと、心が揺れ動くのです。P149 やはり不自然である。 本心を隠して生きるのが、大人の生き方だとは、どうしても思えない。 夫の相手が女性であれば、この奥さんは離婚に踏み切るだろう。 相手が男性であるというだけで、共同生活が続くのは変である。 相手が女性なら離婚するとすれば、相手が男性であっても離婚すべきであろう。 ゲイに関しては、すでに多くの書籍や映画が作られており、参考にできるものがたくさんある。 「イン&アウト」や「私の愛情の対象」など、本書と比べてみると興味深い。 それにしても、ゲイで悩んでいる人が多いのには、驚いた。 ゲイがばれると、実生活に支障があるのだろう。 ホモの敵はホモ、という言葉があるらしい。 女の敵は女というのと同じで、差別されている人間が差別を克服しようとすると、 同類同士で足の引っ張り合いになる。 闘わないゲイは、いつまでたっても解放されない。
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006 礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002 東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991 バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
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