著者の略歴−1979年福岡県生まれ。大学を卒業後、現在、シンクタンク研究員の傍ら、いくつかの仕事に携わる。 本サイトは売春を肉体労働と考えており、たとえ金銭の授受があっても、成人が同意でする性行為を、犯罪とは考えていない。 現実的にも女性の売春は、若い人々のあいだでは徐々に肯定されてきた。 ところで今まで、男性が女性を買うことはあっても、男性が売ることは少なかった。 しかし、ゲイの台頭は当然に男性の売春市場を生み出す。
男性が男性(ごくまれに女性)を相手に、性的なサービスを売る仕事を、ウリ専というらしい。 ゲイがカムアウトしていない我が国では、男性が好みの男性にとって、恋人を捜すのが難しいらしい。 ゲイの誰でもが、発展場だけで相手を捜せるとは限らない。 そこで、男性向けの性サービスが登場している。 本書はそこで働く5人の若者を取材したものである。 「ゲイという経験」を初めとして、ゲイにかんする本はたくさん出版されているが、どうも隔靴掻痒の感がぬぐえなかった。 本書の筆者は、ストレートだというが、ゲイの心理の襞に入り込もうと、懸命の努力をしている。 むしろ、ストレートだから、ゲイを理解しようとする姿勢があり、それが本書に判りやすさを与えているのかも知れない。 ゲイ自身が書いた本は、差別に苦しめられた話とか、ゲイである特権を振りまわす話が多く、ゲイ自身を冷静に対象化できていないものが多い。 ゲイが少数派である以上、仕方ないのかも知れないが、本書は筆者がゲイではない特権を上手くいかしている。 もちろん本書全体では、筆者のゲイに対する愛情を感じるが、かなり厳しい指摘もしている。 本書の良いところは、ゲイに愛情を持ちながらも、冷静に対応しており、無条件の賛辞を呈していないことだ。 取材物の多くは対象に埋没し、ミイラ取りがミイラになりがちで、前面肯定か全面否定になりやすい。 しかし、対象を厳しく見ることは、むしろ取材対象に対する愛情の現れである。 筆者は冒頭で、ホモ、オカマとゲイの違いを説明しているが、この点に関しては、本書のなかでの記述はない。 本書はウリ専で働く若者を、無条件にゲイと言っており、このあたりはちょっと抵抗がある。 ウリ専で働くボーイの年齢を、いくつかの有名店のプロフィールから平均すると、おおよそ19歳から20歳となる。これは両ランキングも同様だ。従って、このことから単純に若ければ良いとはいえない。しかしながら、ボーイ達によれば、 「やっぱり10代の方が20代より売れるよね」 という意見もある。確かに、10代という響きの持つ力は絶大なようだ。これについては、(ランキング2)の最年長が20歳という点、加えて両ランキングの1位がそれぞれ10代である点からも読むことができる。P81 現代社会では、未成年者の風俗営業はできないから、この年齢が最低限だろう。 そして、客の方はといえば、10代から70代まで広いと言いながら、核となるのは30代から50代だという。 ボーイと客とのあいだに、大きな年齢差のある構造に、やはりひっかかるものがある。 本書を読んでいると、ホモとゲイを分けることの意味は、少ないとも感じる。 しかし、若さを売り物とするウリ専では、ゲイ本来の関係ではないように思える。 毎度言うように、ホモは成人男性と年少男性、ゲイは同年齢の男性間とすれば、ウリ専はむしろホモに近いのではないか。 もっとも、ウリ専にたよる男性は、自分で相手となる男性を捜せないのだろうか。 ウリ専は、男女間の性産業とも似ているように思う。 女性が男性相手に性サービスをするにしても、多くは若い女性が好まれる。 とすれば、ウリ専の作る世界は、女性の売春と年齢構造においては同じではないか。 ゲイが少数派だから、相手を捜せないから、年齢が離れているわけではないだろう。 男性が性を売るのも、社会の反映なのだろう。 男女のあいだでも、通常はほぼ同じ年齢の両者が、恋愛関係に陥ることが多い。 ゲイでもおそらく事情は同じだろう。 性的なつながりを含めて、話が合うとか感覚が近いといったことが、ゲイ同士の人間関係を決めているはずである。 あまりに年齢の離れた男性間では、肉体関係は成立しても、充実した精神的な関係は、なかなか難しいのではないだろうか。 話が本書から外れてしまったが、本書のいう限りでは、とても興味深く読めた。 女性の売春と違う点が一つある。 それは、元ウリ専だったというのが、ゲイの間ではステイタスになるということだ。 だから、元ウリ専だったことを、隠す必要はないらしい。 これは女性が元風俗嬢だった、という場合と比較すると、その違いが歴然だろう。 ゲイたちが少数であるがゆえに、連帯感を持っているという観測も、肯首される指摘である。 考えれば、これは案外、ゲイの世界全体の「味」なのかもしれない。発展場にしても出会い系にしても、そこで出会って即、行為に持ち込めるのは「連帯感」に基づいた信頼あってのことに違いない。逆にそれなしでは成立し得ない。どこの誰が、信頼できない相手にアナルを差し出すだろうか。そのリスクは置くとして、それは決して悪いことではない気がする。P179 ウリ専の客は、本当に様々だそうである。 丁寧な取材に基づいた本書は、ゲイへの共感も呼び起こしてくれるし、読後に暖かい気持ちにさせてくれる。星を献呈します。 筆者に質問したい 本書の冒頭でも、新宿2丁目は世界でも珍しい、ウリ専の街だと言っている。 ここにはかのフレディ・マーキューリーも通ったとの噂もあるが、なぜ我が国にウリ専の街があるのだろうか。 ゲイの露出度にいては、西洋諸国のほうがはるかに進んでいるし、売春に関しても取締は緩やかだと思う。 にもかかわらずウリ専は、なぜ我が国に特有なのだろうか。 アジアを歩いていると、実はウリ専はいるように感じる。 たとえば、タイでは少年たちの売春が盛んで、西洋人たちが好んで買っている。 ただし、タイでは思春期前の少年も、春を売っており、子供に対する虐待だと問題にすらなっている。 我が国では、少年の労働が禁止されているから、少年のウリ専がいないだけで、実はタイなどの少年愛と我が国のウリ専は同質のものなのか。 それとも、我が国のウリ専は、少年愛ではなく、同年齢の男性ゲイなのだろうか。 (2006.10.31) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006 礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987 アラン・ブレイ「同性愛の社会史 イギリス・ルネッサンス」彩流社、1993 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002 東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
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