匠雅音の家族についてのブックレビュー     非常民の民俗文化−生活民族と差別昔話|赤松啓介

非常民の民俗文化
 生活民族と差別昔話
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著者:赤松啓介(あかまつ けいすけ) ちくま学芸文庫、2006年  ¥1500−

 著者の略歴−1909年兵庫県生まれ。2000年逝去。専攻:民俗学、考古学。主要著作:『民俗学』『非常民の性民俗』『増補 天皇制起源神話の研究』『女の歴史と民俗』『民謡・猥歌の民俗学』(以上、明石書店)、『東洋古代史講話』(自楊社)、『村落共同体と性的規範』(言叢社)、『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』『差別の民俗学』(以上、筑摩書房)ほか多数。『赤松啓介民俗学選集』(全6巻別巻1、明石書店)。
 学芸文庫にありながら、多くの学者たちの文章とは、ひどく違って戸惑う。
筆者の言葉の選び方が現代的ではなく、
たとえば夜這いを扱って、「強姦」を肯定しているかのようにすら読める。
しかし、読了してみると、むしろ筆者の感覚が、昔は普通だったのかと思えてくる。
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 民俗学と言えば、柳田国男や宮本常一などが有名だが、彼等は<性>と<天皇>の分野を避けてきた。
特に柳田は高級官僚だったせいもあって、上層農民を主な日本人と定めていたふしがある。
そして、上層農民を常民と称したので、分析の対象から下層農民や貧民はおちてしまった。
筆者は、むしろ下層農民や貧民にこそ、本当の人間だとして資料採集に走り回った。

 驚くのは、筆者の経歴である。
高等小学校だけで中学には行っていない。
しかも、株屋の丁稚から始まり、ヤクザの使い走りをしたり、治安維持法で逮捕されて、非転向のまま監獄で敗戦を迎えている。
にもかかわらず、精力的な研究活動をして、多くの著作を残している。
現代なら、こうした人物が著作を上梓できるだろうか。
南方熊楠といい、この筆者といい、瞠目するばかりである。

 本書は生活民俗といいながら、農民の生活を性的な側面から追った色彩が強く、色々と教えられるところが多い。
また、私の体験でも何とか届く時代の記述には、共感できる部分が多いので、届かない部分も信じて良いのだろう。

 昔話は、庶民が生活の中から生み出したものではなく、
支配者たちが支配者たちに都合の良い人間を育てるために、流布させ教化したものだという。

 この指摘は鋭いものである。
現代のテレビを見ていると同じことを感じるから、おそらく筆者のいう方が正しいだろう。
ただ古いと言うだけで有り難がる凡百の学者たちとは、まったく視点が違い、
その点では読んでいて気持ちがいい。
この視点から、夜這いについても鋭い指摘がなされている。

 私たちは若衆組の行事や夜這いを、かつて淫風陋習として退けたのである。しかしムラがムラであったとき、成熟した女性にとって若衆へ心身ともに健全な教育をすることは、次代への継承を維持するために負った義務であり、また権利であっただろう。ムラが一つの共同体として作動しているとき、夜這いも結婚関係も、若衆組その他と同じく、それぞれムラの「公事」であったから、かれらに「純潔」や「貞操」の観念はなく、どうして生活を維持するかが根本の約束であったものと思われる。
 (中略)近代日本は結婚を「私事」に変質させることで、「夜這い」の伝統と継承とを否定したが、そのためにかえって社会的性生活を荒廃させた。P96


 産業は農業しかなく、人々が村落共同体のなかに生きていた時代には、
生き延びるためにムラ人たちは協力しなければ、生活がたちいかなくなる。
そこには「個人」なる概念はなかった。
それを知っていた農民たちは、現在とはまったく違う価値観に生きていた。
それは性道徳にあっても、現代とは違った。
少なくとも婚外のセックスが、否定されていたことはない。

 子供だって農業生産のなかでのみ生かされていた。
学校などなかったのだから、子供への教育はムラ人たちが行わなければならなかった。
ムラ人たちの組織は、「子供組」「若衆仲間」「中老連」といった三段階になっていたという。

これは私の経験からも肯ける。
この3つの組織にはそれぞれ区分けがあって、
子供が若衆に入ることもなく、老人が若衆に入ることもなかったことは、私の体験でもわかる。
 
 私は昔の方が子供は早熟であったとか、最近になってとくに早熟になったとか、は信じない。昔であろうと、今であろうと、子供が10歳にもなれば、相当の性感覚もできるし、子供としての性生活も生まれる。大正頃までのムラの大人たちは、お互いの性生活もそんなに秘密にしなければならぬものとも考えていなかったから、子供の性意識、性行動にも、それほど禁断的でなかった。といっても、子供の性感覚、性行動には限界がある。コドモガシラ、ガキ大将などの幹部が教えてくれるのは、せいぜいマス、播州あたりではヘンズリという地方が多いが、それまでであった。それ以上の教育になると、大人が介入してくる。どことも同じであろうと思うが、若い衆や娘たちが介入してくることは殆どない。いわゆる中年、熱年の男、女であった。P167

 子供が早熟になった等信じないと言うのも、同感である。
また、大人たちが子供に性の分野を教えたというのも、そのとおりである。
ただ、私の時代になると、性的なことを口にするのは、教養のない時代遅れの人とみなされていた。
そして、猥談をするオトコは下品であり、
子供に性の分野を教える大人は、悪い大人だと見られていた。

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 高等教育を受けた大人は猥談をしなかったし、
サラリーマンのような都市生活者は、性的なことを口にしないと見られた。
しかし、農村の人たちや職人たちは、男女ともにあけすけに性を口にした。
私が成人する頃には、立派な大人は性を口にしない、という時代になっていた。
しかし、立派な大人も、性には興味があったので、子供たちから隠れてひっそりと堪能した。

 核家族の普及は、性を家庭のなかに押し込み、
しかも、セックスは誰にも気づかれずに、ひっそりと行うものへと変質させた。
農村部では生命の誕生は日常茶飯事だったから、動物たちのセックスも当たり前に目にしたし、
人間のそれもそれほど隠すことではなかった。
しかし、核家族はセックスを悪い行為にして、夫婦のセックスだけを例外的に許した。
もちろん、夜這いなどとんでもないことになった。

 夜這いは単に好奇心の対象になってしまい、正確な事実すら忘れられてしまった。
太古の昔から夜這いがあったという風説を筆者は否定して、
江戸時代の後期はじめ、つまり享保持代くらいから、田舎でも夜這いが盛んになったという。
村落共同体の人口再生産を維持するために、夜這いが始まったのだというのは肯ける。

 筆者の男女関係への指摘は、斬新でしかも歴史に基づいており、筆者の指摘が事実だったように思える。
むしろ歴史的な事実を、支配者たちが意識的に捨象して来たようにも思える。

 よく誤解されるがオトコにする、オンナになるは、夫婦になることではない。主人がありながらオトコをもつ女もあるし、妻がありながらオンナをもつ男もある。片方が独身で、他方が結婚というのもあるし、いろいろの型はあるが、いわゆる情夫とか、妾とかいう関係とは違う。双方とも独立的な生活をしながら、必要なときの性的交渉を保証し、他の者よりも優先的順位を与える。その限りで男が夜這い他の遊びをしようが、女が他の男と遊んでもよい。お互いに財政その他の援助をし合ってもよいが、所有財産を一つにはしないのである。そうした関係を認知し、保証する法的規制はないが、どちらかが合意の上でオトコあるいはオンナになったことを、その周辺の人たちに宣告する必要があり、それが暗黙に認められれば、夫婦とほぼ同じに見てくれるだろう。また、双方が同意すれば、いつでもその関係を解消できる。ただ、そのために経済的その他の負担を負わせることはない。すなわち夫婦のような法的関係でないし、ヒモや妾のような経済関係もなく、ただ双方の信頼だけで維持されている愛情関係といえるだろう。P321

 農耕時代にあっては、結婚は生活のためにするものであり、
夫婦は互いに力を合わせて口を糊するが、必ずしも愛情関係がともなうとは限らない。
そうした時代、筆者がいうオトコにする、オンナになるは、充分にあったはずである。
核家族が主流になって、女性の収入がなくなり男性に養われるようになると、
「彼女はあいつのオンナだ」という表現が蔑視を含んだものになったのだろう。

 今後、女性が自立し、核家族的な結婚が無意味となる。
すると経済的に自立した男女が、婚姻せずに性関係を維持することは、充分にあり得る。
だから、この視点は、男女が自立した今後の男女関係に示唆的である。

 辺見じゅん「海の娼婦はしりがね」や山崎朋子「サンダカン八番娼館」など、
最近のノンフィクションは、プライバシーを暴いて暴露本になりさがって、限界を超えていると非難する。
これも傾注すべきだろう。   (2007.07.10)
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参考:
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」中公文庫、2006

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