匠雅音の家族についてのブックレビュー    アメリカがまだ貧しかった頃−1790−1840|ジャック・ラーキン

アメリカがまだ貧しかったころ
 1790−1840
お奨度:☆☆

著者:ジャック・ラーキン−青土社、2000年  ¥2、800−

著者の略歴−マサチューセッツ州の野外歴史博物館の学芸部長。
 情報社会化がすすむ現在、世界で一人勝ちを謳歌するアメリカ。
しかし、ほんの100年前までは随分と貧しかったのだ。
しかも、それは農耕社会に共通の貧しさである。
本書を読んでいると、わが国のことがしきりと思い出された。

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 本書はアメリカのことを書いていながら、わが国にも同じ時代があったことを、しっかりと思い出させてくれる。
前近代はどこでも同じ状況を現出させ、近代への転換もまた同じ体験をさせるのだ。

 今日では、家族とは、婚姻や血縁で結ばれた人々を指し、世帯ほ、寝食を共にする一集団を指すが、19世紀初め頃のアメリカ人は、チェロー・べックのように、ほとんど例外なく、奉公人たちを家族と呼んでいた。(中略)
  1800年頃になっても、日常生活の営みを左右していたのは、家の規模と構成だった。人々は、農場、仕事場、商店などを兼ねた家で暮らし、働いていた。食事を共にし、寝室を共有する(時には、同じベッドで眠ることがあった)世帯は、消費のみならず生産の場でもあった。P24

 いわゆる大家族が、人々の生活を支えていたのであり、ここには個人なる概念は登場しようがなかった。
生産の規定する生き方が、各人に強制されたのである。
そして、誰もが自らの力に応じて、必死で働いてきたのが前近代だった。
必死で働いても、子供はたやすく死んだし、今日のように誰でもが長生きできるわけではなかった。

 今日では、親切心で何かすることがしばしばある。
それには見返りは求めていない。
そして親切を受けたほうも、それにたいして感謝の気持ちを表すだけで、物質的な返礼をしようとは思わない。
精神的な気持ちのやり取りで、互いに充分につうじるのである。
しかし、前近代ではそうではなかった。
他人への親切な行動=労働の提供は、無形の親切心の表れというより、好意の交換として記憶された。
だから、必ず返すことが期待された。

 (村の)網の中では、相互責務の約束を守ることの方が、親切心などよりはるかに重要だったのである。
多くの家庭では、他家との貸し借りを、堅苦しい計算をせずにゼロにするよう心掛けた。たとえば、小石で鍋の蓋に印をつけたり、掻き傷を作ったり、家の食料貯蔵室の扉にチョークで印を数個描いたりして、いずれ返してもらうことになる金額を記録したのである。P58

 わが国でも、こうした事情は変わらなかった。
農村部では、何かしてもらったときは、必ず形あるもので返すようにしむけられた。
例えば、車のパンク修理を手伝ってもらったら、ありがとうの言葉だけでは許されない。
お礼に煙草の1箱でも返すのである。
品物はなんでも良い。
とにかくありがとうの言葉ではなく、労働の提供には品物で返すのである。
それが村のしきたりであった。
そして、すぐに返さないときには、上記のようにきちんと記録されて、何かの時にお返しをするのだった。

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 今日では普通と考えられていることの多くが、農村共同体では普通ではなかった。
子供への愛情にしても、出産しても死んでしまう例が多かった。
そのため、親たちは子供がある年齢になるまでは、真剣な愛情を注がないようにした。
また子供の世話にしても、日課の仕事の一つにすぎず、重要ではあっても面倒な仕事ではなかった。

 19世紀になると、母親の役割が強調されて、子育ては女性の役割だと言われはじめた、という。
これもわが国と同じである。
3才までは神ものといわれたように、子供の死亡率はどこでもきわめて高く、20才まで成人できるのは4人に1人くらいだった。

 大家族で働いて生きた前近代の人たちだが、年期奉公人や住み込みの職人たちは、やがて従業員へと変わっていった。
わが国でも今では、住み込みの働き手はいない。
しかし、地元に密着した職種では、従業員化への流れは遅れたのも、わが国とまったく同じである。
それでも、労働と近所付き合いのつながりが、だんだんとうすくなってきた。
そして、農業が主な産業でなくなるのと平行して、人々の生活は自然の縛りからも自由になってきた。

 田舎の人々が、結婚式の日取りを決める時は、昔通り季節のリズムに従っていた。北部の農村地帯では、17世紀の結婚の様式をそのまま踏襲していた。挙式は、早春の3月と4月が圧倒的に多かった。真冬と激しい農作業が行われる5月から10月までの期間は避け、植えつけから収穫までのサイクルが始まる前、ないしはその後に行われた。(中略)
 仕事の手順も考え方も農業とはほとんど無関係な都会では、結婚式が集中する時期は、田舎ほど顕著ではなかった。(中略)1800年以降、この村と州都であるボストンとの繋がりが強まるにつれ、季節とは無関係に結婚式を挙げる住民が急速に増えていったのである。P93

そしてもちろん、子供誕生も季節性に委ねられていた。

 結婚した男女は、新たに生殖と性という個人的なサイクルに加わることになる。17世紀から19世紀前半の数十年の間に、農村地帯の出産数には、規則的でリズミカルな、ある変化がみられた。白人家庭の場合、出産の数が最も多いのは、冬の終りの頃であり、最も少ないのは春の終りと初夏だった。北部のある地域社会では、前記の二つの時期の次に出産が多いのが秋のほじめだった。出産時から受胎まで9ケ月遡ると、4月から6月までの植え付けの季節が最も妊娠しやすく、反対に受胎率が急激に下がるのは夏の間であり、最低に落ちるのが8月と10月の間であることは、誰も書かなかったけれども、誰もが知っている事実だった。P94

 前近代の厳しい肉体労働は、人々の肉体をも変形させ、共通の動作を身につけさせた。
わが国でも、農民たちの猫背、職人たちのガニ股など、ながく厳しい仕事が肉体を変形させた。
今や機械が入ったので目立たなくなったが、私は農民や職人たちの身体の動きは、世界共通だったと思っている。

 田舎の人なら誰でもそうであるように、ニューイングランド人の動作も鈍かった。機械に頼らず、人力のみで行う農業には桁外れの肉体の力が必要とされたために、男たちほ、独特の重々しい歩き方と姿勢を自然に身につけた。体力があり、辛抱強くもあったが、男達の動きは鈍重で、ぎこちなく、猫背であり、ゆっくり左右に身体を揺すって歩いていた。P189

 これもわが国の農民と同じである。
彼らはけっして不親切なわけでもないし、仲が悪いわけでもない。
しかし、肉体労働者は、どこでも口が重く無表情で、ぶっきらぼうで無愛想だった。
それは、長年にわたる過酷な肉体労働がつくる人格であり、農耕社会に共通のものだったのである。

 厳しい自然と闘いながら、肉体労働に従事していた私たちの先祖たちを思うとき、思わず頭が下がる。本書は私の心をやさしく慰めてくれた。
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参考:
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