匠雅音の家族についてのブックレビュー      パンツが見える−羞恥心の現代史|井上章一

パンツが見える
羞恥心の現代史
お奨度:

筆者 井上章一(いのうえ しょういち)   朝日新聞社 2005年 ¥2800−

編著者の略歴−1955年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒業,同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手を経て,1987年より国際日本文化研究センター助教授。専攻は風俗史,意匠論。1986年『つくられた桂離宮神話』(弘文堂)でサントリー学芸賞、1998年『南蛮幻想』(文芸春秋〉で芸術選奨文部大臣賞受賞。〔著書〕『霊柩車の誕生』『戦時下日本の建築家』(以上,朝日選書),『美人論』(朝日文庫)『法隆寺への精神史』(弘文堂),『狂気と王権』〈紀伊園屋書店〉,『愛の空間』(角川選書)など

 かつて女性も立って小便をした、と本サイトは何度も書いてきた。
男性は屋外・屋内をとわずに、立ち小便をしたが、女性は屋外でのみ立ち小便をした。
女性にしゃがんで小便をするように仕向けたのは、いったい何だったのか。
それは、女性の地位を向上させたのか低下させたのか、判断に迷うところである。

 本書は女性がパンツをはくようになったから、パンツが見えることに対して、羞恥心が生まれたと言っている。
そのとおりだろう。
だいたい陰部が見えることを、かつての女性はそれほど恥ずかしがってはいない。
だから時代が下って、スカートの中を見られても、恥ずかしさが沸かなかったのだ。
しかし、現代ではちょっと様子が変わってきた。
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 女性がパンツをはくようになったのは、白木屋の火災からだという俗説を批判し、それは間違いだと論証する。
たしかに、1932年(昭和7年)頃の女性は、和服姿が多く、職場でも和服だった。
下着といえば腰巻きだけで、パンツのように局部をじかに覆うものは、身につけていなかった。
そのため、下からは丸見えになってしまった。

 火事にあって避難するにも、衣服が風であおられて、下の野次馬から局部が見えてしまう。
そのため、恥ずかしさが邪魔して、避難ロープから手を放して、墜落死したというのが俗説である。
筆者はこの俗説を丁寧に反証していく。
そして、なぜ俗説が生まれたのかまで、突き止めていく。

 具体的な論証は、本書を読んでもらうとして、筆者は面白いことを言っている。

 ふだんからパンツをはいている女と、はかない女。その両者が陰部を目撃された時にいだく羞恥心は、どちらが強いのか。こたえはあきらかである。パンツをはいている女のほうが、はずかしがるにきまっている。
 陰部をのぞかれた時にいだくたえがたい羞恥心。これは、パンツをはく習慣が女たちにうえつけた心性である。パンツによって、洗脳されていった気持ちのありようなのだ。
 彼女たちは、陰部の露出がはずかしくて、パンツをはきだしたのではない。はきだしたその後に、より強い羞恥心をいだきだした。陰部をかくすパンツが、それまでにはないはずかしさを、学習させたのである。P78


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 そのとおりだろう。
羞恥心とは隠されたものを見られたときにおきる。
最初から隠していなければ、恥ずかしいという気持ちは沸きようがない。

 セックスに関しても、開放的になったといわれるが、かつてのほうが開放的だった。
まわりには大型動物がいて、サカリがつけば衆目の前で、セックスをしていた。
また、性に関すること自体が、隠されることではなかった。
だから、セックスへの羞恥心も今ほどではなかった。
核家族の誕生が、セックスを隠したのだ。

 隠すから羞恥心が生まれ、羞恥心が生じたから、ますます隠すようになった。
これは人間心理の真相をついている。
問題は、なぜ、誰が、何の目的で隠すようになったかだ。
筆者は、そこまで論じてはいないが、羞恥心のあり方に、パンツをネタにして分析を続けている。

 パンツをはかないと活発な行動ができない、というのは嘘だ。
かつての女性は、着物姿で野良仕事をした。
また、男性には褌こそあったが、ズボンではなく股引きしかなかった。
股引きは左右が重なっているだけだから、大股開きをすれば、下からは男性のシンボルも見えていた。
本書は男性には触れていないが、六尺褌ははなはだ心許ないもので、横から見えてしまうのだ。
つまり男女ともに、陰部を隠すという意識が薄かったのだ。

 現代の女性たちは、パンツを何枚ももって、毎日はき替えているだろう。
だから、汚れたパンツを、はいていることはないに違いない。
しかし、1960年(昭和35年)以前頃は、まだ汚れたパンツをはいている女性もいた。
経血の処理が上手くできるようになったのは、そんなに昔のことではない。
そうした事情を、本書はこと細かく調べ上げている。

 パンツは男性の劣情を刺激する小道具として、まずプロの女性たちに普及したという。
けっして労働のための下着として、普及したのではない。

 男に媚びをふりまき、公然と誘惑する。そのことが、以前はみとめられていなかった。社会が、そんなふるまいを禁圧していた時代も、あったのである。
 男への挑発的な媚態が公認されている場所は、遊廓や花柳界にかぎられていた。男権的な社会は、それを色街という閉ざされた空間に、封じこめていたのである。女の性的な誘惑が社会へ蔓延するのをおそれ、閉域に隔離していたと言うしかない。
 近代化は、しかしこの空間をかこむ壁に、穴をあけていく。男を誘惑し挑発する。そんなふるまいを、色街の外側にも、解放していった。娼婦のような女が浮上することを、市民社会においても促進させたのである。P289


 陰部を隠すようになったのは、女性のセックスを家庭へと閉じこめるためだったのではないか。
女性が男性と同様の働き手だった時代には、セックスを管理しなくても良かった。
だから、女性たちも陰部をさらしても、それほどの羞恥心が沸かなかったのだ。

 最近、女性が男性並みに働けるようになると、パンチラには恥ずかしさを感じなくなったようだ。
そして、中国女性はまだパンツが見えても、恥ずかしがらないという。
それは近代化が途上についたばかりだからだろう。   (2010.10.19) 
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参考:
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生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
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村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
岩永文夫「フーゾク進化論」平 凡社新書、2009
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メイカ ルー「バイアグラ時代」 作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノロー グ」白水社、2002
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」 文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
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ジャン=ルイ・フランドラン「性と歴史」新評論、1987
レオノア・ティーフアー「セックスは自然な行為か?」新水社、1988
井上章一「パンツが見える」朝日新聞社、2005

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