匠雅音の家族についてのブックレビュー      性と歴史|ジャン=ルイ・フランドラン

性と歴史 お奨度:

著者ジャン=ルイ・フランドラン   新評論、1987年 ¥5、670−

編著者の略歴−

 本国のフランスでは、1981年に出版された本である。
主としてフランスにおける、15〜6世紀から近代までの性意識を扱っている。
下記のような目次になっているが、不思議な感じのする読後感である。
TAKUMIアマゾンで購入

T 愛
U 性道徳と夫婦の交わり
V 子どもと生殖
W 独身者の性生活


 現代社会では、夫婦は愛情によって結ばれており、その証としてセックスをすることになっている。
セックスの多いことは、仲睦まじい証だとされる。
いまや愛情とセックスは、切っても切れない関係にある。
夫婦間のセックスは多いに奨励され、むしろセックスのないことのほうが大問題とされる。

 16世紀のフランスでは事情が違った。
セックスは生殖のためになすものであり、男女の愛情の確認のためにするものではなかった。
そのため、すでに子供がいたりすれば、セックスは慎まなければならなかった。
妻を愛しすぎるのは、つまり妻とセックスをしすぎる者は、神の御業の濫用であった。
しかし、実際の話、若い夫婦はたびたびセックスをし、おおいに神の御業を濫用したと、筆者は考えている。

 フランスにおいては、婚約にあたって、当事者の意志の一致が大切だったという。
それはクレアンターユと呼ばれ、クレアンターユがなされると、2人は婚約したことになった。
クレアンターユをしたにもかかわらず、結婚しないと婚約不履行となった。

 そこから検事は、「被告とディディエールは、彼らが約束しあった結婚を、否、肉体関係によって完成すらさせた結婚を、教会によって正式なものとすべき義務をもつ」と結論する。つまり、ジャン・ギヨが一方的に女中に結婚の約束をしただけだったのに対して、ジャナン・ブノワとディディエール・ブロスのふたりは、結婚の約束をとり交わしている点が根本的な違いで、約束の相互性が結婚状態を成立させていたのである。そしてこの相互の約束は当時、定められた文句を厳粛にのべることで行なわれたと考えられるふしがある。その文句は、ピエール・ペラール通称モルディエンヌがジャン・ジャコマールの寡婦と約束したときにとり交わした文句に似ていたと推測される。P74

 クレアンターユという言葉は、決まった文句があったらしい。

それだけではなくちょっとした贈り物をして、婚約意志の担保にしたらしい。
贈り物とは、貨幣1枚でも、リボン状の布地1本でもよかったようだ。
 実際の結婚は、今日とは随分と違っていたようだ。 

 結婚と恋愛はいつ結びつけられたのか? 17世紀にはまだ、「惚れた相手と」結婚する者は世間から厳しく非難された。それでは18世紀が、夫婦の絆の土台として人間的感情をおき、同時に伝統的な生殖義務を忘れはじめたのだろうか? それとも19世紀があれほど執拗に冷えきった夫婦像をえがいてみせた事実こそ、そうした夫婦関係がまさにそのとき問題化しつつあった証拠なのだろうか? こうした疑問に正確に答えるための研究は、いまだ行なわれていない。P131

 結婚は愛情とは無関係だった。
結婚は財産の維持を目的としてなされた。
しかも、財産を相続するために、女性が必要だったに過ぎない。
だから、女性は男性の所有物だった。
つまり、父親の所有物であるミスから、夫の所有物であるミセスに変わるのが、女性にとっての結婚だった。
男性にとっては、自分の子孫をつくることが、結婚の目的だった。

 キリスト教は性欲を邪なものと考え、禁欲を最上とした。
禁欲できないなら、結婚しても良いといった。
しかし、結婚の目的は生殖だから、子作りが終わったり、生理中や妊娠中のセックスは禁止だった。
もちろん、結婚前や婚外のセックスは、御法度だった。

 子供は無尽蔵に必要なわけではない。
また、結婚前や婚外のセックスでは、妊娠しては困る。
そこで、避妊が普及していたと、筆者は考える。
しかし、避妊が普及していたことを論証することは難しい。
また、人口調節の方法は、避妊だけではない。
それ以外に、中絶と嬰児殺害、それに捨て子があった。
 後半では、子供に対する目を、避妊に絡めながら展開していく。

 19世紀初頭以来試みられた幼児の括約筋訓練によって説明できる現象かもしれない。周知のとおり昔の子どもはパンツも何もはかずに−シャツ一枚、もしくは長めの服だけを着て−、ちょうど18世紀の風俗画にえがかれている土間で餌を漁るめん鶏のように、家の内外で自由に大小便を垂れ流していた。19世紀になって清潔癖が西欧社会で一般化するまで、子どもの汚らしさはやむを得ざるものとみなされていたのである。P264

 欠けていたのは(子供の数を制限する)技術的能力ではなく−フランスでは早くも18、9世紀にピルや他の避妊器具なしに「マルサス革命」が成就していた−、心理的能力だった。親は子どもが何人できようとその数に無関心であり、栄養失調でわが子が死んでも親はその費任を神に着せ、自身はなんら費任を感じなかったのである。それに教会もまた、16世紀から第二バチカン公会議にいたるまでこの考え方を助長した。P274


 近代にはいると、性的行動が抑制されていく。
かつては15歳前に結婚していたのが、25歳くらいまで晩婚化してくる。
それにともなって、若者の性欲をどうするかが、問題になってくる。
ここでフロイトの登場である。
本書はこまかく資料をあたりながら、ヨーロッパにおける性の歴史の細部を展開している。

 なぜか、同じ本が藤原書店版では、「性の歴史」となっている。

  (2010.7.17)     感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ

友人のサイトへリンク→「モデルへのインタビュー」

参考:
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
S・メルシオール=ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実の ゆくえ」原書房、2001
フラン・P・ホスケン「女子割礼:因習に呪縛される女性の性と人権」明石書店、1993
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国  T・U 古代ギリシャの性の政治学」岩波書店、1989
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」 飛鳥新社、1992
謝国権「性生活の 知恵」池田書店、1960
生出泰一「みちのく よばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這 いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのく よばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」 現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」 河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系 譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「イ ンターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメ リカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーの カーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原 書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世 社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公 認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」 筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないは ワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」 KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」 河出文庫、1992
正保ひろみ「男 の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスム スのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガス ムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」 光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」 原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、 2001
ジュリー・ピークマン「庶民た ちのセックス」 KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
山村不二夫「性技−実践講座」河 出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」 文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性か らの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系 譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化 の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中 世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・ イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」 幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」 新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品 社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋 社、1984 
石川武志「ヒジュラ」青弓社、 1995
村上弘義「真夜 中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這 いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平 凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」 草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」 作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノロー グ」白水社、2002
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」 文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」 中公文庫、2006
ジャン=ルイ・フランドラン「性と歴史」新評論、1987

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる