著者の略歴−1975年、大阪府生れ。大阪外国語大学でヒンデイー譜を専攻する。京都大学大学院樽士課程修了。2005年、『中村屋のボースインド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞する。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員を経て、現在、北海道大学公共政策大学院准教授。著書に、『ヒンドウー・ナショナリズム』『ナショナリズムと宗教』『パール判事』『保守問答』(西部邁氏との共著)『日本 根拠地からの問い』(姜尚中氏との共著)『パール判決を開い直す「日本無罪論」の真相』(西部邁氏との共著)がある。樋口智子『父ボース 追憶のなかのアジアと日本』大川周明『東山満と近代日本』の編者もつとめた。 インドに近代化の波が、押し寄せはじめた。 ボクがインド旅行をしたのは、1997年だったから、その後、ずいぶんと変わっただろう。 なにせインド国産の車が、生産されはじめたのだから、近代化も本格的である。 我が国が、スバル360をつくった頃と、同じ感じだろうか。
筆者は、悠久のガンガーだけではなく、近代化のまっただ中にいる新たな人たちに、脚光をあてている。 デリーの空港から市街地とは反対の方向に、新しい街グルガーオンが出現し、デリーのベッド・タウンとして発展をとげている。 勃興しつつある中産階級が住む場所は、古いインドとは隔絶されているという。 グルガーオンはゲート・シティとなっており、高い塀に囲まれ、入場許可がなければ敷地内に入れない。 こうした街作りは、我が国ではあまり見ないが、外国では希有なことではない。 ガードマンを雇って、自分たちの住む地域を守る発想は、住民自治の原点だろう。 住まいの窓に鉄格子をつけ、塀の上には有刺鉄線を張りめぐらした風景は、途上国でしばしば見かける。 貧富の差が大きいところで、身を守る手法が発達してきたのだ。 その延長だろうが、住民自治が資本の手によってお膳立てされ、住民たちには何の自治意識もないというのが、我が国と同じようにいかにも途上国的である。 途上国の中産階級は、ある面で我が国より進んでいる。 たとえば、女性の社会進出は、日本より進んでいるだろう。 専業主婦が跋扈する我が国とは違って、途上国の中産階級は、ほとんどが共稼ぎである。 郊外の大きな家に住み、近代的なショッピング・モールで買い物を楽しむようなライフスタイルへの憧れは広範に浸透し、その実現に邁進する人が数多く存在する。 彼らは夫婦共働きのことが多く、両親は毎朝、子供を車で学校に送って行き、そのまま出勤するというケースが目立つ。彼らは映画やテレビドラマ、CMの背景として使われる「おしゃれ」な家具や調度品をこぞって購入し、週末は雑誌に掲載された評判の店で外食する。P26 共稼ぎ夫婦のこうした生活パターンは、先進国の家族たちとまったく変わらない。 彼(女)たちは、男性は家事をするし、女性も1人前に稼ぐ人である。 お金持ちといえども、男ばかり生むわけではない。 男女が半分ずつ生まれることは、お金の多寡とは関係ない。 お金持ちの家に生まれた女性たちは、先進国に留学し、そこで男女平等の教育を受けている。 我が国の庶民は、なかなか女の子を留学させられないが、途上国の金持ちたちは、どんどん留学させている。 そうした象徴が、コランソン・アキノや、暗殺されたブットや、アロヨ大統領である。 インドもそういう意味では、我が国より女性の解放は進んでいる。
また、近年の広告の特徴として注目すべきことは、笑わない女性モデルを起用している広告が非常に多いという点だ。P31 いまではインドでも、男性から見られるものではなく、見る主体になった女性が登場している。 そして、途上国型の美人である太った女性よりも、すらっとした女性が美の基準になり始めている、という。 1997年のインドでは、まだ男女の愛情表現は隠されたものだったが、いまでは公衆の面前でも、いちゃいちゃするようになったという。 しかし、こうした新興階級がある一方で、旧世界に属する膨大な数の人たちがいる。 彼等には消費文明の恩恵はとどかずに、いまだに電灯がない生活もある。 田舎に行けば、もちろん水道だって完備していない。 だからインド全体を平均すると、女性の地位はどーんと遅れたものになってしまう。 南米のカソリックが犯罪的であるように、インドでも近代化を阻むものは、やはり宗教だろう。 (女性の再婚にさいして扶養手当を払うべきか)の問いに対して、最高裁判所は、刑事訴訟法が宗教を超えて適用される法律であるという判断を下したのである。 これに対して猛然と怒りの声を上げたのが、ムスリムの保守層であった。彼らはイスラーム法を蹂躙する不当な判決であるとして猛烈な抗議を行い、様々な形で政府に圧力をかけた。 この事態を受けて、ラジーヴ・ガンディー政権は、翌年の1986年5月に「ムスリム女性(離婚に際しての諸権利の保護)法」を早急に成立させ、ムスリム保守層の支持の回復を図った。この法律によって、離婚したムスリム女性は刑事訴訟法の規定外とされ、ムスリム家族法が優先されることとなった。つまり、ムスリム女性が離婚後の扶養手当をめぐつて刑事訴訟法に基づいて争うこと自体が不可能となったのである。P183 古くからある多くの宗教は、農業生産に基盤をおいているので、近代化に適応できない場合が多い。 最近も、バチカンで法王がHIV予防のためでも、コンドームを使用すべきではないと言ったばかりである。 我が国からは想像しにくいが、近代的な宗教はカルト教団化しやすく、どこでも宗教が争点になっている。 筆者は、マザー・テレサを肯定的に見ているが、彼女はカソリック布教の先兵だった。 個人としては立派な生き方であるが、宗教の実現として貧者に手をさしのべたのであり、布教の手段として病院をつくったのである。 宗教に対する見方が、甘いのではないだろうか。 (2009.4.16)
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