著者の略歴−1950年青森県生まれ。立教大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。日本近世史・北方史が専門。著者に「幕藩体制と蝦夷地」雄山閣 「北方史のなかの近世日本」「飢饉の社会史」校倉書房 「アイヌ民族と日本人」朝日新聞社 「近世の飢饉」「エトロフ島」吉川弘文館がある。飢饉関係の論文としては「赤米と田稗」「三年の蓄えなきは国にあらず」などがある。 わが国の食糧自給率は、年毎に低下を続けてきた。 いまでは30%位になってしまった。 しかし、巷には食糧があふれ、飢えることなど想像もつかない。 戦争でもあったら大変だといわれるが、人々は食べ物を粗末に扱う。 食べ残しても平気だし、明日の食糧がないかもしれないことは、想像だにしない。 まったく飽食の時代といっても良い。 農耕社会、つまり農業や漁業といった第1次産業が主流だった時代には、自然の恵みとして食物がもたらされた。 今日のように流通も確立しておらず、人は自分の手でつくったものを食べるしかなかった。 食糧自給率で見れば、そんな時代は100%という以外に言いようがなかった。
そんな状況がしばしば襲った。 そして食糧の不足は、飢えにつながり、人を死へと追いやった。 それを称して<飢饉>という。 私たちは、もはや飢饉がどんなものだか、想像もできない社会にいる。 凶作や飢饉はよく人災だといわれてきた。その理由は、農業生産がそもそも人間集団による自然の囲い込みに始まるという本質に根ざしているからである。また、剰余生産のうえに作りあげられてきた社会・国家の危機管理のシステムが自然災害にうまく対応できず、被害を大きくしてしまうという性格を、常に帯びていたからである。P10 飢饉とは食糧がない状態をいうのではなく、食べ物のない人たちがいる状態であるとは、アマルティア・センの言葉である。 飢えに苦しむ人の隣では、売り惜しみや食糧の輸出さえ行われている。 だから、飢饉は食糧不足と同義ではない。 本書の筆者も言うように、むしろ飢饉は人災である。 飢饉の克服という意味では、政策論で語られる問題である。 そこで個人の話から離れていってしまう。 しかし、飢饉には個人的な面もある。 その地方が食糧不足に襲われたら、個人の次元ではどうにもできない事件となる。 政府や行政を責めようにも、とにかく食糧がない。 通常の生活をする庶民では、食糧を入手できない。 よほどの金持ちならば、飢饉でも困ることはない。 むしろ彼らは、飢饉をチャンスとばかりに、飢えた人を横目にして蓄財にはげむ。 しかし、庶民は自分の身を、生かすので精一杯である。 歴史のうえでは、時とすると飢えた人間が、人間を食べた記録すら残っている。 だから飢饉の個人史は、食糧不足への防御対策でもあった。 縄文時代には、食糧の入手のために費やす時間は、4・5時間以内だったろうといわれている。 また最近の著作では、縄文人はグルメだったとか、のんべだったと言われている。 人口の少なかった縄文時代には、自然資源を取り尽くすことはなかっただろう。 だから、食糧不足で餓死するようなことはなかっただろう。
人口が増えたら、食糧が涸渇するのは目に見えている。 農耕社会になって、はじめて人間がみずからの力で、人口を維持できるようになった。 と同時に、人口の淘汰圧が自然ではなく、人間の営為のほうへと移動した。 だから飢饉が人災となった。 餓死に直面した中世農民たちのもうひとつの生き延びる道は、自由の身ではなくなるが、親が子を売る、あるいは我が身を売るという方法だった。富裕な存在である家父長制的大経営に下人(奴隷)として抱え込まれることによって、飼養され何とか命がつながるのであった。 下人たちの哀れな物語は中世には多い。公権力は人身売買の禁止をたてまえとしながらも、飢饉時には時限立法として身売りを許容する姿勢であった。鎌倉幕府ばかりでなく、江戸幕府初期にもみられた法理であった。世の中が立ち直ってからの逃亡など、主人からの脱出をめざす下人たちの闘いも必死だった。P38 飢饉を社会政策としてみるか、食糧不足の中に生きる人間の日々の物語としてみるかでは、話が大きく違ってしまう。 私は飢饉が人災であると思いながらも、そのなかで生きた人々のほうへと、どうしても目がいってしまう。 すると、人間たちがどんな価値観をもって、長い農耕社会を生きてきたかがよくわかる。 農耕社会に限らずどんな社会でも、人間は自分の身体を生かすこと、つまり個体維持が優先する。 自分の命が長らえて、はじめて子供や他人のことに配慮がむく。 衣食足って礼節を知る。 個体維持がまずあって、その次に種族の保存である。 飢えたときには、セックスのことなど考えもできない。 それを知っていた人たちは、まず個体維持である。 個体維持のためには、生産力を上げるもしくは保つ必要がある。 それには腕力が不可欠だった。 だから、腕力に優れた男性が優位した。 本書の後半は、飢饉の時の個人の話ではない。 江戸時代の藩がどうしたとか、飢饉を回避する社会の仕組みといったものに、筆者の筆はむいている。 それは仕方ないことだろう。 飢饉から、新たな人間論を導き出すには、少し話が遠すぎる。 しかし、現代のような飽食の社会だから、飢饉がたびたび襲った農耕社会とは違う人間が生まれた。 近代化が達成されると、飢饉はほとんどの地域で撲滅されてしまう。 先進国での飢饉というのは、聞いたことがない。 インドの飢饉は、前近代のものだと考えるべきである。 食糧自給率が100%の時代より、30%の時代のほうが食糧は豊富にある。 孤独な現代人とか、近代の限界とか、近代を悪し様に言われることがおおい。 しかし、近代化したから飢饉はなくなった。 近代こそ人間が飢えずにすむ時代である。 そして、男女が平等だった、そんな農耕社会はない。 時代を下ると男女は平等にこそなれ、時代を遡れば男女の平等は夢の話になっていく。 男女の平等を維持するためにも、近代化をきちんと実現すべきだろう。 そして、情報化を推し進めるべきだろう。 飢饉の考察は、人間の原点を教えてくれる。
参考: 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994 H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988) A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985) 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994 松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980 イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000 リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993 ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986 アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003 渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005 湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005 雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007 菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000 アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990 小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001 松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988 ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001 鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000 塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997) 速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 横山源之助「下層社会探訪集」文元社 大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000 三浦展「下流社会」光文社新書、2005 高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997 長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006 石井光太「絶対貧困」光文社、2009 杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005 雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001 沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001 上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
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