著者の略歴−1953年東京に生まれる。1979年金沢大学医学部卒業。東京医科歯科大学、山梨医科大学、カリフォルニア大学(フルブライト研究員)を経て、現在、東京都精神医学総合研究所副参事研究員。著書に、「自殺の危険」金剛出版などがある。 近代の人間は自己決定権を神から奪い、自分で自分の生き方を決めるようになった。 もちろん、そこで自己決定権を手に入れたのは、市民と呼ばれる男性だけだったのは言うまでもない。
神さまに生かされていた時代、人間の命の長さは神が決めるものだった。 だから、人間が自分で自分の命を絶つと言うことは、けっして認められなかった。 と同時に人間の命は、現在ほど大切にはされていなかった。 人間が自己決定権を手にしたとき、ヒューマニズムという人間中心観をつくった。 しかし、ヒューマニズムは人間の命に至高の価値をおいた。 皮肉なことに、ここで現在言うような自殺が登場する。 本書は、自殺の傾向を次のように言う。 1. カソリックよりもプロテスタントのほうが自殺率が高い。 2. 男性のほうが、女性より自殺が多い。ただし、自殺未遂は女性のほうが多い。 前者については、カソリックが前近代の宗教であり、神さまを殺していないことを考えれば、簡単に納得がいく。 それに対してプロテスタントは、神さまを殺した後の宗教だから、プロテスタントの人間は自己決定権を手にしており、自殺も自己決定の一つとして行われる。 後者についても、男性は近代にはいるときに、自己決定権を手にした。 だから、自分で自分の命をも決定するが、女性は自立していないので、自殺に至ることが少ない。 わが国の自殺の男女比は、男性:女性=4:1である。 とりわけ最近、中高年男性の自殺が激増したことは、周知であろう。 最近の調査によると、医師、看護婦、研究者、管理職などの専門職に就いている女性の自殺率は、家庭に留まっている専業主婦と比較して高く、男性の自殺率に近づくと指摘されています。今後、女性の社会的進出が進んでいき、男性と同等のストレスを受けるようになると、既遂自殺者の男女比にも変化が現われるかもしれません。P45
だから女性の自立は、女性の自殺者を確実に増やすだろう。 明治の初めには、男女の平均寿命はほとんど同じだった。 が、近代化の進行とともに、男性より女性の寿命のほうが伸びた。 おそらく自立した女性の寿命も、男性に近づくだろう。 女性には暗い話だが、それでも女性は自立を選ばざるを得ない。 自殺率の高まりは、近代人であることの証である。 自殺は自己の存在を、自分みずから消去するものだ。 だから、自己決定権の獲得といった近代の論理でいえば、尊厳死が認められるように、自殺は認められて良い。 カソリックのように自殺した人を排斥すべきではないし、自殺者も手厚く葬るべきである。 しかし、自殺は決して勧められるものではない。 市民的な良識でいえば、自殺は認められない。 死のうとしている人間を見たら、誰でも止めるだろう。 生きてこそ花も咲くというものである。 しかし、近代人には死ぬ権利もあるはずである。 とすれば、死のうとしている人を前にしたとき、どうのような態度をとったらいいのだろう。 本書は、死にたいと打ち明けられたときの対応として、次のように言う。 ごく一般的な反応は、すぐに自殺以外の話題にそらそうとしたり、表面的な激励をしたり、社会的な価値観を押しっけたり、時には叱りつけたりしてしまいがちです。 しかし、ここで覚えておいてほしいことがあります。自殺を打ち明けた人は多くの場合、誰でもよいから「自殺したい」と話しかけたのではなく、意識的・無意識的に特定の「誰か」を選び出して、絶望的な気持ちを打ち明けているのです。(中略)絶望的な状態に置かれた人が、最後に救いを求める叫びを発する相手を必死に選んでいるのです。これまでの関係から、この人ならば自分の悩みをさらけだしても、きっと開いてくれるはずだという必死の思いから打ち明けてきているはずです。(中略) まず、徹底的に聞き役に回ってください。これは簡単なようでいて、とても難しいことです。絶望感がひしひしと伝わってきて不安になり、自殺を思い止まるような何か一言を言ってあげようという気持ちが強まってくるのが普通です。しかし、まず、本人の気持ちをしっかりと受けとめてください。P140 助言を与えたりせずに、徹底的に聞き役に徹せよと、筆者は言う。 たしかに自殺を止めるという意味では、聞き役に徹するのが最良の方法だろう。 しかし、相談相手に選ばれた人は、とても困るだろう。 被相談者として選ばれた困惑は、いわば神さまの位置に、被相談者が置かれたことを意味するからだ。 神ではない人間の、神として扱われる困惑が、そこにはある。 神さまではない普通の人が、完全に引いて対応するのは難しい。 カウンセラーとか精神科医は、被相談者になることを職業として選んだ。 だから、自殺志願者を全面的に受け入れもしよう。 しかし、人間は互いに平等なのだから、自殺を楯にして、被相談者になれと強制することはできない。 アメリカでは精神科医が、神の代わりだと言われる。 事実そうした位置に、精神科医がいるとしても、それは傲慢である。 近代で神を殺し、男性という人間は自立した。 情報社会に入る今、労働において腕力が無化したので、女性も自立しようとしている。 しかし、自立の代償は大きく重い。 自立とは恐ろしいことである。 (2004.4.2)
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