匠雅音の家族についてのブックレビュー    自殺の心理学|高橋祥友

自殺の心理学 お奨度:

著者: 高橋祥友(たかはし よしとも)  講談社現代新書、1997年  ¥660−

 著者の略歴−1953年東京に生まれる。1979年金沢大学医学部卒業。東京医科歯科大学、山梨医科大学、カリフォルニア大学(フルブライト研究員)を経て、現在、東京都精神医学総合研究所副参事研究員。著書に、「自殺の危険」金剛出版などがある。

 近代の人間は自己決定権を神から奪い、自分で自分の生き方を決めるようになった。
もちろん、そこで自己決定権を手に入れたのは、市民と呼ばれる男性だけだったのは言うまでもない。
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 神さまに生かされていた時代、人間の命の長さは神が決めるものだった。
だから、人間が自分で自分の命を絶つと言うことは、けっして認められなかった。
と同時に人間の命は、現在ほど大切にはされていなかった。
人間が自己決定権を手にしたとき、ヒューマニズムという人間中心観をつくった。
しかし、ヒューマニズムは人間の命に至高の価値をおいた。
皮肉なことに、ここで現在言うような自殺が登場する。

 本書は、自殺の傾向を次のように言う。
1. カソリックよりもプロテスタントのほうが自殺率が高い。
2. 男性のほうが、女性より自殺が多い。ただし、自殺未遂は女性のほうが多い。


 前者については、カソリックが前近代の宗教であり、神さまを殺していないことを考えれば、簡単に納得がいく。
それに対してプロテスタントは、神さまを殺した後の宗教だから、プロテスタントの人間は自己決定権を手にしており、自殺も自己決定の一つとして行われる。

 後者についても、男性は近代にはいるときに、自己決定権を手にした。
だから、自分で自分の命をも決定するが、女性は自立していないので、自殺に至ることが少ない。
わが国の自殺の男女比は、男性:女性=4:1である。
とりわけ最近、中高年男性の自殺が激増したことは、周知であろう。

 最近の調査によると、医師、看護婦、研究者、管理職などの専門職に就いている女性の自殺率は、家庭に留まっている専業主婦と比較して高く、男性の自殺率に近づくと指摘されています。今後、女性の社会的進出が進んでいき、男性と同等のストレスを受けるようになると、既遂自殺者の男女比にも変化が現われるかもしれません。P45

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 女性の自立は、女性の市場参入を促進させる。
だから女性の自立は、女性の自殺者を確実に増やすだろう。
明治の初めには、男女の平均寿命はほとんど同じだった。
が、近代化の進行とともに、男性より女性の寿命のほうが伸びた。
おそらく自立した女性の寿命も、男性に近づくだろう。
女性には暗い話だが、それでも女性は自立を選ばざるを得ない。
自殺率の高まりは、近代人であることの証である。

 自殺は自己の存在を、自分みずから消去するものだ。
だから、自己決定権の獲得といった近代の論理でいえば、尊厳死が認められるように、自殺は認められて良い。
カソリックのように自殺した人を排斥すべきではないし、自殺者も手厚く葬るべきである。
しかし、自殺は決して勧められるものではない。

 市民的な良識でいえば、自殺は認められない。
死のうとしている人間を見たら、誰でも止めるだろう。
生きてこそ花も咲くというものである。
しかし、近代人には死ぬ権利もあるはずである。
とすれば、死のうとしている人を前にしたとき、どうのような態度をとったらいいのだろう。

 本書は、死にたいと打ち明けられたときの対応として、次のように言う。
 
 ごく一般的な反応は、すぐに自殺以外の話題にそらそうとしたり、表面的な激励をしたり、社会的な価値観を押しっけたり、時には叱りつけたりしてしまいがちです。
 しかし、ここで覚えておいてほしいことがあります。自殺を打ち明けた人は多くの場合、誰でもよいから「自殺したい」と話しかけたのではなく、意識的・無意識的に特定の「誰か」を選び出して、絶望的な気持ちを打ち明けているのです。(中略)絶望的な状態に置かれた人が、最後に救いを求める叫びを発する相手を必死に選んでいるのです。これまでの関係から、この人ならば自分の悩みをさらけだしても、きっと開いてくれるはずだという必死の思いから打ち明けてきているはずです。(中略)
 まず、徹底的に聞き役に回ってください。これは簡単なようでいて、とても難しいことです。絶望感がひしひしと伝わってきて不安になり、自殺を思い止まるような何か一言を言ってあげようという気持ちが強まってくるのが普通です。しかし、まず、本人の気持ちをしっかりと受けとめてください。P140


 助言を与えたりせずに、徹底的に聞き役に徹せよと、筆者は言う。
たしかに自殺を止めるという意味では、聞き役に徹するのが最良の方法だろう。
しかし、相談相手に選ばれた人は、とても困るだろう。
被相談者として選ばれた困惑は、いわば神さまの位置に、被相談者が置かれたことを意味するからだ。
神ではない人間の、神として扱われる困惑が、そこにはある。
神さまではない普通の人が、完全に引いて対応するのは難しい。

 カウンセラーとか精神科医は、被相談者になることを職業として選んだ。
だから、自殺志願者を全面的に受け入れもしよう。
しかし、人間は互いに平等なのだから、自殺を楯にして、被相談者になれと強制することはできない。
アメリカでは精神科医が、神の代わりだと言われる。
事実そうした位置に、精神科医がいるとしても、それは傲慢である。

 近代で神を殺し、男性という人間は自立した。
情報社会に入る今、労働において腕力が無化したので、女性も自立しようとしている。
しかし、自立の代償は大きく重い。
自立とは恐ろしいことである。    (2004.4.2)
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参考:
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
東嶋和子「死因事典人はどのように死んでいくのか」講談社ブルーバックス、2000
ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年

芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009

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