匠雅音の家族についてのブックレビュー     下流社会−新たな階層集団の出現|三浦展

下流社会 新たな階層集団の出現 お奨度:

著者:三浦展(みうら あつし)   光文社新書、2005年  ¥780−

 著者の略歴−1958年新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集長を経て三菱総合研究所入社。1999年、消費・都市・文化研究シンクタンク「カルチャースタディーズ研究所」設立。マーケティング活動を行うかたわら、家族、消費、都市問題などを横断する独自の「郊外社会学」を展開。社会学、家族論、青少年論、都市計画論など各方面から注目されている。主な著書に『「家族」と「幸福」の戦後史』(講談社)、『ファスト風土化する日本』(洋泉社)、『団塊世代を総括する』『「かまやつ女」の時代一女性格差社会の到来』(以上、牧野出版)、『仕事をしなければ、自分はみつからない。』(晶文社)、『マイホームレス・チャイルド』(クラブハウス)、『新人類、親になる!』(小学館)などがある。
 マーケティング畑出身の筆者だから、仕方ないのかも知れないが、もし、これを社会学だというなら、社会学とは何と残酷な学問であることか。
かつて社会学にかぎらず、学問は世のため人のために、多少とも社会改革に役立とうとする気概があった。
だから、優れた社会学者たちは、政策提言などを行ってきたのだろう。
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 中流意識が分解をはじめ、中流階層が中と下に分かれ始めているという。
この限りでは、本書のいうことは、当たっているだろう。
そして、社会階層の固定化は、社会の活力を削ぐので、流動化をうながすべきだという。
貧乏人の子供でも、高等教育が受けられるように、教育の改革をすべきだともいう。

 結論に関しては同意するが、結論にいたる論理の展開には、どうもすんなりとは納得できない。
馴染みの悪さをぬぐえない。個人の生き方を、個人の意識のレベルで分析して、現状の追認に終始している。
個人が社会によって規定される、いわば社会的な存在拘束性へ向ける視線が、筆者にはほとんどない。
所与としての社会に、個人や個別企業がいかに適応していくか、そういった視線だけが本書を貫いている。

 それがマーケティングなのだから、本書の視線は当然なのだが、ほんとうにこうした分析だけで良いのであろうか。
階層分化がいっそう進むのが時代の趨勢だが、階層分化の過度の進展は、良くないと筆者はいっているようだ。
しかし、本書に従うかぎり、進んだ階層分化のなかで、いかに利益を上げるか、といった結論のほうが馴染みが、良いように感じる。

 現在の少子化対策はどちらかというと総合職女性、あるいは一般職を含めた正社員の女性の支援が中心であるように思われる。しかしこれだけ派遣社員、契約社員が増加しており、かつそれらの女性は働き続けても所得が増えず、よって出産がしにくいという状況を打破しなければ、少子化に歯止めをかけることは不可能だろう。P150

 一見すると正しい意見のように感じるが、少子化に歯止めをかけるところへ論がいっているのは、やはり論理が転倒している。
派遣社員や契約社員の増加は、同一労働、同一賃金の隠蔽という、我が国独特の搾取構造があり、法のもとの平等に反しているのだ。
派遣社員や契約社員の増加は、少子化とは関係なく、非正社員の人権の問題として語られるべきだろう。
 
 たしかに、女性の社会進出によって、女性の生き方は多様化し、結果として夫婦のみ世帯の増加など、家族形態も多様化したが、必ずしも幸福の形が多様化したというところまではいっていない。
 もちろんこれは社会が過渡期にあるからかも知れない。が、少なくとも現状では、最も階層意識が高く生活満足度も高いのは裕福な男性と専業主婦と子供のいる家庭であり、次いで裕福な夫婦のみの世帯である。P152

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 これも現状であろうが、筆者の口から次にでてくる言葉は、幸福な形をより幸福にするにはどうするか。
いいかえると、そうした人々をターゲットにして、儲けるにはどうしたら良いのか、となっていきそうである。
標準世帯の崩壊は、情報社会(筆者の言葉でいえば消費社会)の必然であり、上記の幸福感は筆者も疑うごとく過渡期のものではないのか。

 本書の分析は、つねに現状を後追いして、現状の承認に終始している。
論理が後追いであるのは当然だが、論理は現状へと舞い戻る力があってこそ、優れた論理といえる。
最初から、論理でもって現状へと舞い戻ることを放棄し、結論にいたるときに別の価値判断を持ちこむのは、どうも納得しかねる。
 
 男性と女性が、類としてではなく、個人として向き合うようになると、必然的に恋愛は困難になる。まして結婚という長期経営事業のパートナーを捜すとなれば、相手の持っている資源を事細かに吟味する必要が生じるし、そのためには相手をよく知るためのより高度なコミュニケーション能力が必要になる。P214

 筆者は、恋愛と結婚を混同しているようだ。
恋愛は個人がするもので、いつの時代も人間は恋愛した。
ただ、恋愛が結婚に帰結する恋愛結婚は、核家族が主流になった近代のものだ。
核家族が崩壊しているので、恋愛結婚が少なくなっただけである。
 
 親がヒッピーだからといって、子供もヒッピーになりたいかどうかはわからない。
 親がエリートだからといって、子供にエリートとなる人生を強要できないように、親が、自分らしく、マイペースで、のんびり生きたい、実際そう生きているからといって、子供にもそういう価値観、人生を押しつけていいわけではない。親は、そして行政、社会は、すべての子供にできるだけ多様な人生の選択肢を用意してやるのが義務だと私は考える。P234


 多様な人生を生きる道を用意するのは、行政と社会であり、親ではない。
親は自分の好きなように生き、かつ子育てをして良い。
ヒッピーはヒッピー的な生き方しか選べず、そこに産まれた子供は、与えられた環境でしか育つことはできない。

 さまざまな環境で育った子供がいる社会こそ、そして、さまざまな子供に平等な機会が与えられえる社会こそ、自由な社会である。
親にたいして、子供にできるだけ多様な人生の選択肢を用意するのが義務だというのは、二律背反の不可能な要求である。
こうした要求がでることが、息苦しい社会をつくっているのではないか。

 筆者は誠意あふれる人で、おそらく良い人であろう。
しかし、白い分析が果たす社会的な役目を考えるとき、社会学的な装いをまとったマーケティング論だけに、いささか疑心暗鬼になりながら読んだ。   (2007.05.08)
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参考:
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G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
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香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
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原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
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ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
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サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
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下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
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