匠雅音の家族についてのブックレビュー     私は河原乞食・考|小沢昭一

私は河原乞食・考 お奨度:

著者:小沢昭一(おざわ しょういち)  2005年(1969年)岩波書店 ¥1000−

 著者の略歴−1929年東京に生まれる。49年俳優座養成所入所。52年早稲田大学文学部仏文科卒業。舞台、映画、 テレビ、ラジオで活躍するかたわら、60年代後半より日本の放浪芸の調査に携わる。82年劇団「しゃぼん玉座」を結成、主宰。著書は『日本の放浪芸』 (白水社)、『私のための芸能野史』(ちくま文庫)、『小沢昭一がめぐる寄席の世界』(朝日新仙間社) など多数。
 小沢昭一という特異な役者の息吹を伝えたいのであろうか。
岩波書店から刊行された本書は、1969年に出版された本の焼き直しである。
本書のなかで、筆者は自らを蔑まされた河原乞食だといって、親が河原乞食なるのに反対したといっている。
そんな筆者にかかる本書が、岩波書店から出版されるのも、なんだか不思議な感じである。
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 役者が河原乞食からはなれて、人間国宝になったり、文化人としてもてはやされたりしている。
そうした風潮に抗して、筆者の立ち位置は、あくまで見世物として晒される河原乞食である。
しかし、本書は40歳のときに書かれたもので、その後、筆者も河原乞食から文化人のほうへと、立ち位置をかえてきたのは周知であろう。

 筆者の変節を責めるつもりは毛頭ない。
そうではなくて、時代の変化が河原乞食を、そのままの位置に置かせなくなったことを考えたいのだ。
むかしは役者といえば、見世物人であり、庶民以下の蔑まれた賤民だった。
弁護士も三百代言と呼ばれていたし、そうした空気は、戦後になっても残っていた。

 むかしの見世物は、見る者が見せてる者を哀れんだというが、現代ではお客が哀れみの目で見られているという筆者である。
近代社会は多くのモノを変えたが、表現する人間を文化人に変えたのである。
シェークピアだって、写楽だって、偉い文化人などではなく、見世物書きだったのだ。
 
 もともと、芸能が、芸能の「出身地」をはなれて、支配者の側についた時には、その芸能はみじめであった。これまた日本の芸能史が証明ずみだ。宮中に入った雅楽。武家式楽となった能。「演劇改良」とやらで洗われて、明治大帝の天覧に供した歌舞伎。大政翼賛会推薦の愛国浪曲。体制がわにくみいれられた時、その芸能は輝きを失って滅びる方向へまっしぐら。そしてその反対のがわにいる限り、芸能は、涙と怒りをはらにこめ、猥雑、放埒などハレンチな毒をもドツプリと包んで、みずみずしく、溌剌として民衆を楽しませるのである。
 そこで、さあ、問題はむしろこれからだ。そういう民衆のがわの芸能を創り出すのに、いま、われわれ芸能者は、具体的に、どうすればいいのだろう。P137


 本書は今から40年前に書かれたのだ。
その後の40年の変化を、どう評価すればいいのだろうか。
筆者のことではない。
時代の変化は、どうだったのだろうか。
時代の変化を肯定的に考えるボクでも、筆者の指摘には返す言葉がない。

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 我が国は、世界でも有数の長寿国である。
高度経済成長以降、極度の貧乏がなくなり、誰でもが天寿をまっとうできるようになった。
そのかげで、芸能が出身地をはなれ、職人は仕事を奪われていった。
本書に登場する門付け芸人たちが、テレビへと変じたのではない。

 門付けをしようとしても、マンションでは扉を開いてはくれまい。
漂泊の芸人は、すっかり死に絶えてしまった。
彼(女)等の亡骸のうえに、別の芸能文化人が誕生したのだ。
野球帽に玩具の太鼓をもった漂泊芸人に、筆者は共感している。

 もともと、この国には、漂泊芸人に対して、コジキ同然と蔑視する一方、他郷より渡り来る神の使いと畏敬する風習があるのだとよくいわれる。そういうことが、いまも生きているのであろうか。P223

 筆者は女性には目がなく、赤線にもかよったし、トルコ風呂の愛好者だった。
芸人たちがほとんど売春婦と変わらない位置にあったのだから、筆者には売春婦を差別する意識などまったくない。
むしろ、赤線のなかに身を沈められない自己を、不思議な生き物のように見ている。

 実はこの時、私は、彼が羨しくて仕方がなかった。おそらく馴染の女のいる店なのであろう。そこで彼女たちと、そして「おかあさん」とも、すっかり仲良くなって、「客」というよりもう「仲間」になっている彼の姿が、ハッキリ感じられて、、私は、彼と自分との距離を感じた。女郎屋遊びといっても、たかだか「お客」 で、物珍しくそれを観察する「エトランゼ」 であり傍観者に過ぎない自分と、ドツブリ彼女たちの中に入って「暮らしている」風の彼との間に、はっきりと、気質の違いとでもいったようなものを感じとった。そういう自分にちょっと淋しかったが、人間にはこの二通りの型があるものなのだな、と考えたりもした。P397

 友人の落語家が、赤線のなかに生きている。
それにたいして、どんなに足繁く通っても、彼は外の人間なのだ。
この気持ちは痛いほどよくわかる。
結局、この寂しさが新劇を選ばせたのだ、と筆者はいっている。
これも肯ける話である。
筆者が羨ましく感じていた世界が、消滅させられていった時代、それが近代化だったのだろう。

 最後に、「ホモセクシュアルについての学習」という章をもうけて、ホモについて蘊蓄を傾けている。
筆者はストレートでどうしても、ホモの気持ちがわからない。
しかし、男性をも体験しないと、芸人としては不勉強ではないかと悩む。
そのあたりを正直の告白しているが、40年前の話しである。
 とある対談のなかで、次のような発言がある。

小沢 ホモとゲイとでは、その道では、多少言葉のニュアンスが違うようですな。
大野 ニュアンス、違います。最近の若い人は、ゲイというのをいやがりますね、やっぱりホモといってほしいと。年輩の人はゲイという言葉を使いますね。若い人は、ゲイといわれると何んか自尊心を傷つけられたような、ホモといわれると、なにか今の社会にあってるような……、また、いやらしい感じがないというふうな……。

                      
今ではゲイが全盛だが、時代の変化を考えさせる発言だった。  (2009.2.12)
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参考:
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001年
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002


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