匠雅音の家族についてのブックレビュー    ハリウッドはなぜ強いか|赤木昭夫

ハリウッドはなぜ強いか お奨度:

著者:赤木昭夫(あかぎ あきお) ちくま新書 2003年 ¥720−

著者の略歴−1932年生まれ。東京大学文学部卒業。NHK解説委員、慶応大学環境情報学部教授、放送大学教授を経て、現在は放送大学客員教授。専攻は科学史、技術論、メディア論。著書に『インターネット社会論』(岩波書店)、『ソフトウェア・ビジネス』(NHK出版)、『自壊するアメリカJ(ちくま新書)などがある。
 映画の半可通は、ハリウッド映画を商業主義で、内容がないと馬鹿にする。
そして、フランスやイタリアの旧作や、小国のひねった作品をありがたがる。
しかし、現代の映画は、ニューヨークを含むハリウッド映画が、質量ともに優れている。
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 撮影技術はいうに及ばず、演技から主題の設定にいたるまで、ハリウッドを凌駕する映画はないといっても過言ではない。
フランスのヌーベルバーグなどが、一時期を隆盛をみたが、いまでは跡形もなくなっている。
もちろん、アメリカ資本の攻撃が、あまりにも狡猾で熾烈だったから、他の国の映画産業が敗れたこともあるだろう。
しかし、アメリカ映画の隆盛はそれだけではない。

 観客は面白い映画を好む。
その観客の希望に、ハリウッド映画がもっとも忠実に応えたからに過ぎない。
現在のアメリカ映画は、人間性を追求した深淵で難しい主題を、みごとな娯楽作品に仕立てるノウハウを獲得している。
ハッピーエンド映画、アクション映画と馬鹿にするが、アメリカ映画を見ていない人の言葉である。
 
 本書は、ハリウッド映画(ニューヨーク映画を含んでいるので、アメリカ映画といったほうが良い)が、なぜ世界でこんなにもてはやされているかを、分析したものである。
半分くらいまでは、映画の流通を押さえたから、ハリウッドが勝ったと書いている。
そう言った側面もあるだろうが、それだけでは1960年頃の凋落を説明できない。
それに現在の復活も不可解なままである。
 
 なぜハリウッドではユニオンの力が強いか。それは1本の映画制作には、総勢150人から成る一連の専門技能が不可欠だからである。
 もっとも単純な初歩的な例だが、撮影の途中でカメラのアングルせ変えたいとなると、たちまち照明もそれに合わせて変えねばならず、録音マイクの位置も変えねばならなくなる。助監督などからの指示を待つことなく、それぞれの担当者が状況の変化に即応していかねばならない。そうでないと、そこで撮影は頓挫してしまう。それを救うのは、豊富な経験から即興的につぎつぎにくり出される善後策である。
 そうした能力は属人的であり、それを尊重しなければならない。それで映画制作に不可欠な人材のプールであるユニオンは、ハリウッドではこわい存在なのである。P74


 ハリウッドがえげつなく政治献金をして、政府もろともメジャーの利益追求に、走ってきたことは否定しない。
しかし、それだけなら映画産業はとっくに枯渇していただろう。
アメリカは何よりも才能を大切にする。
日本では個人の才能より組織が優先するが、アメリカでは才能を生かすめたに組織を作る、と筆者も言っている。

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 映画というソフト産業は、何よりも主題を考え、ストーリーをつくる個人に負っている。
脚本を書くのは、コンピューターではなく、人間である。
日本の映画が弱いのは、我が国のプログラムが弱く、ソフト重視の発想ができないことと同根である。
日本のアニメがもてはやされるが、アニメの従事者が超低賃金労働者であることも、また周知であろう。
そのあたりの事情については、「『ジャパニメーション』はなぜ敗れるか」にくわしい。

 我が国では、才能にはお金が使われない。
日本のアニメを売りたいなら、それに従事する人の環境を良くすることだ。 
それにたいして、お金を使って才能をみつけ、お金を使って才能に競争させ、お金を使って才能を開花させているのが、アメリカの映画産業である。

 一度はどん底に落ち込んだアメリカ映画だった。
しかし、ソフト産業と同様に、いまではアメリカ映画が独走である。

 アメリカのライフ・スタイルにたいしフランスの若者たちはつっぱる一方どころか、むしろ彼らもアメリカ化された。彼らもTシャツとGパンを恰好いいと思う。
 パリの中心部では目立たないが、郊外ではハンバーガーのマクドナルドが繁盛している。本国では人気がた落ちだが、かえってフランスでかつての明るくて清潔なマクドナルドらしさが維持され、中産階級の子連れの家族が依然として好んで利用する。P217


 アメリカは創造的な才能を見つけ、受け入れる観客の数の多さと層の厚さで、他国を寄せつけず圧倒的なのだ。
だから、世界中の才能が、アメリカに集まる。
古い権威に守られ、老人が威張りくさっている他国では、アメリカの才能には太刀打ちできない。

 コンピューターを生みだしたアメリカは、コンピュータの限界を良く知っている。
才能は個人が担うものであり、個人の創造的な才能が、次の時代を切り開くことを、誰よりも良く知っている。
ユニークであることを尊び、創造的な才能に道をあける謙虚さが、アメリカ映画を支えているのだ。

 4層からなる制作体制が、目下のハリウッドの強さの核心である。最上層のスタジオを倒そうとして、上層の大インディーズどうしが競争する。上層へはいあがろうとして底層の中小のインディーズどうしが競争する。各層での競争と、層と層との間での入れ代わりとが、ハリウッドのダイナミズム(運動し発展する仕組み)を構成する。
 そうした広い裾野をもつ多層構造の制作体制を活発な状態で保つことができるかぎり、ハリウッドは敵なしである。ハリウッドほどの規模の大きな、才能が集中している創造的組織は、世界中どこにも存在しないからである。P233


 2005年をこえて、アメリカ映画にも陰りがみえる。
映画の主題を捜すのに必死である。ひとつの山を越えたのは事実だろう。
しかし、ソフト産業の典型である映画に、もっとも適した場所は、いまだアメリカである。
アメリカのソフト産業が凋落しないかぎり、他の国はアメリカ映画には太刀打ちできないだろう。

 「キートンの将軍」「北北西に進路を取れ」「市民ケーン」をつかって、「運動」「時間」「関係」イメージを論じた部分は、特別に鋭いと感心して いたら、ドゥルーズの抄訳だった。
この部分だけが突出していた。  (2009.4.20)
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参考:
吾妻ひでお「失踪日記」イースト・プレス、2005
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001 
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993(角川文庫,2001)
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000

荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001


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