匠雅音の家族についてのブックレビュー    「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか|大塚英志

「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか お奨度:

著者:大塚英志(おおつか えいじ)&大澤信亮(おおさわ のぶあき)
  角川新書 2005年 ¥743−

著者の略歴− 大塚英志:まんが原作者、小説家、評論家、編集者。1958年生まれ。筑波大学人文学頬卒業。日本民俗学専攻。まんが誌フリー編集者を経て、その後は、まんが原作者やジュニアノベルズ作家、評論家として活躍。『〈まんが〉の構造』『少女民俗学』などサブカルチャーとおたく文化の視野からの評論・社会時評が注目され、『多重人格探偵サイコ』『木島日記』の原作でも脚光を浴びる。『物語の体操』『サブカルチャー文学論』『キャラクター小説の作り方』『r「おたく」の精神史 1980年代論』『定本物語消費論』など著作多数。
大澤信亮:評論家。左翼思想の観点から、まんが・文学・思想哲学を主な対象に、ユニークな評論活動を行っている。1976年生まれ。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。福田和也ゼミで近代思想史を専攻。(修士論文見目は「日本資本主義論争における天皇制国家論」)。2006年4月映画専門大学院大学(認可申請中)助手就任。主な評論に、「漫画家たちは公共性をいかにとらえてきたか」(「中央公論」)、「マンガ・イデオロギー」(「comic新現実」連載)、「『南回帰船』註釈ノート」(『「戦時下」のおたく』収録)、「日本近代思想の運命」(「新現実Vol.3」)などがある。

 我が国のオリジナルとして、海外でも評価が高いだろうと思っていたアニメも、どうも不調のようだ。
いやそうではない。
アニメに政府が援助の手をだすことがダメなのだ。
政府のつくるアニメは敗北する、と筆者はいう。
いや、敗北して欲しいとさえ言っている。
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 日本のマンガとともに育ってきた世代として、筆者の主張には心から共感する。
しかも、本書は我が国のマンガの成り立ちに、ていねいな分析を加えている。
じつはアメリカ発のマンガが、日本で開花し、その果実がいまアメリカで評価されているに過ぎないという。
この指摘も鋭いものがある。

 ジャパニメーションとは、アメリカがつくった言葉で、アメリカの評価基準にのったから、日本アニメが評価されている。
それを有り難がってどうする、と筆者はいう。
しかも、その一部には、HENTAIと呼ばれるオタク分野があり、「萌え」はポルノの別名だという。
むべなるかなである。
本書には書かれていないが、BUKKAKEという言葉も流通しているように、手放しで有頂天になる前に考えるべき事は多い。
  
 鎖国を解いた時点から「西欧」をひたすら導入し、「西欧」の視点で「日本」を発見していきます。今日、「日本文化」の象徴とされる美術や古典が「西欧」によって発見されたことはここでは繰り返しませんが、それは「日本文化論」の初歩です。西欧人が認めたから、そうかこれは誇るべき日本の文化なのだ、ということの繰り返しです。浮世絵も桂離宮も、小津安二郎も、その時々で「日本」は西欧に「発見」され、西欧の視点で「日本」を見ることで、「日本人」は自分たちのアイデンティティを根拠付けてきました。P12

 今また、日本のアニメが海外で受けたからといって、アニメを政府が外貨稼ぎのために、税金を投入するのは間違いだ、と筆者は言いきる。
この発言には、まったく同意する。
いままでマンガやアニメを好んできた人間は、いわば遊びにうつつを抜かしてきたので、親たちからは叱られこそすれ、褒められたことはなかった。
マンガは日陰の存在だった。

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 しかし、筆者は日陰のマンガも、じつは戦争遂行の一翼を担ったという。
そして、科学的なリアリズムは、戦時下のマンガで開花したという。
そうだろう。
マンガに限らず、表現はすべて戦争遂行に動員されるのだ。
しかも、戦争の過程で進化しさえする。
デザインが戦争協力で洗練していった歴史は、「戦争のグラフィズム」でも語られる通りである。
マンガだけが例外であるはずはない。

 まんがにおける兵器リアリズムは戦時下の思想統制下の中でまんがに持ち込まれ、そのきっかけの1つをつくったのが小熊秀雄という転向マルクス主義者だからです。P53

という指摘には、「アキラ」や「宇宙戦艦ヤマト」などを考えると、頭を抱えてしまう。
ディズニーがキャラクターまんがの原点で、キャラクターだから世界制覇した。
それにたいして、キャラクターに身体性を吹きこんだのは、手塚治虫だという指摘には、溜飲が下がった。
 
 筆者は、マンガが身体性や時間をくみ取ってくることを、ていねいに論じており、それはたぶんに戦争による死の日常化が影響した、という。
また、少女マンガがジェンダーや性を扱い得たのも、その流れをくんでいたからだと論じる。

 萩尾たちにとって「少女」とはジェンダーの問題だといえます。ぼくがかつて『少女民俗学』の中で論じたようにそもそも「少女」は近代の家制度が作り出した、極めて近代的な、身体概念です。近代以前の民俗社会では性の自己決定権がありますから、結婚する前に男性と自由に性交渉するのは普通だった。処女性などは、近代に普及した幻想です。性的な成熟を迎えながらも、家制度の中ではその性の使用を留保しなければいけない、ということで成立した、「性的に成熟しながら未使用のままおかれる身体」が「少女」の本質です。P166

 少年まんがにおける身体性の解禁が、暴力性の暴走へとつながっていき、少女まんがにおけるそれは、性行為の問題に特化されてしまう。そして、ロリコンまんがにおいて暴き出されたキャラクターの身体性は、単純に「萌え」=ポルノグラフィとして消費されるようになる。それが戦後のまんが史の現在に至る局面になるわけです。P171

 近代史をきっちりとおさえた論理展開で、とても説得的である。
マンガやアニメの原作者としても、筆者はマンガやアニメを大切にしているのが、行間から伝わってくる。
そして、日本のマンガやアニメに、大きなプライドをもっている。
だから、自分たちの大切なマンガやアニメを、政府は放っておいてくれという。

 後半では、ジャパニメーションの経済効果を算定して、とても政府が期待するようなものではないという。
そして、著作権など云々するなというのも賛同する。
我が国はアメリカから、たくさんパクって来た。
文化はパクりあって発展するものだ。
いまアジア諸国が日本をパクっても良いではないか、そう聞こえる。

 「表現の自由VS知的財産権」もいうように、著作権は金持ちの保護であり、著作権の保護はけっして文化の進展には役に立たない。
この意見にも賛成である。
フランスのとある中学で、1学年200人のうち70人が、日本の漫画を読みたくて、日本語を選択しているという。
自然発生的漫画には世界性があるが、政府が乗りだすとその生命を殺してしまう。
(2009.4.13)
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参考:
吾妻ひでお「失踪日記」イースト・プレス、2005
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001 
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993(角川文庫,2001)
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000

荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001


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